林和夫

東京方面から新幹線で広島駅に到着する直前、左側の窓からマツダスタジアムでの試合風景が10秒間ほど覗けることをご存知だろうか。特に筆者が東京から広島に通い始めた2018年は、広島東洋カープ(以降カープ)が3連覇を達成した年であり、窓から覗くスケルトンの球場は、いつも真っ赤なユニフォームに埋め尽くされていた。通るたびに「何とかしてこの球場に入りたい」との思いが沸き上がる。設計者の上林功氏によると、この「ちらみ」は「遊環構造」という建築原則に沿って、意図的に設計されたそうである。実際に2009年の開設年は、以前の広島市民球場と比較して約1.8倍となる187万人以上を集め、2018年には過去最高となる223万人が来場している。これは、プロ野球12チーム中4位。広島県の人口が281万人であることを考えると、大きな数字であることは明解である。

試合スケジュールは把握していなくても、カープ戦の行われる日は在来線がユニフォーム姿の親子サポーターで埋まるので、「そうか試合日か」と気が付く。またゼミの学生が「今日はカープ戦のバイトがあるので」と言って、嬉しそうにそそくさと帰ることでも知らされる。
時折、広島駅周辺で会合を行い、ちょうど試合終了後にサポーター軍団と満員となった帰宅列車に同乗することがある。筆者は試合結果をTVニュースで確認することを楽しみにしているので、結果が判明しないように携帯は決して見ず、音楽を聴いている。しかし、列車に乗って来たファンの様子で結果がわかってしまう。先日、乗客の9割を占めるファンの誰一人も言葉を発していなかった夜は、阪神に惨敗していた。反対に、ほぼ全員が笑顔で語りあっていた夜は、巨人軍にサヨナラ勝ちを収めていた。「地域密着型の成功例」と評されるカープの独自の経営戦略が、広島市民の生活に溶け込んでいることは日常の中で実感される。
カープは1949年の創立以来、プロ野球12球団のうち唯一の「市民球団」としての歴史を持つ。1949年に代議士の谷川昇、広島電鉄の伊藤専務、中国新聞の築藤社長が連名でプロ野球連盟に加入文書を提出したのがスタート。ここでのポイントは、1企業としての申し込みでなかったのが、カープが唯一であった点である。他の球団は、例えば読売新聞社や阪神電鉄といった大企業1社が申し込みをして親会社となり、野球球団はその子会社化されている。そしてジャイアンツはチケットを活用した新聞拡販、タイガースは電鉄を利用しての乗客確保といった経済的効果を目標として運営されてきた。一方、カープの発足理由は「広島に野球球団があれば、どれだけ市民が喜ぶだろうか、原爆被害からの復興に役立つだろうか」という思いだけであったと言われる。
1954年、国税庁から「職業野球団に対して支出した広告宣伝費の取扱について」という著名な通達が出された。これ以降、プロ野球球団の赤字を親会社が補填すれば、親会社は損金として計上できることになり、今日に至っている。球団の経営には数十億円の費用が必要となるが、新聞社や電鉄といった大会社にとっては、赤字が発生しても損金扱いによって十分に吸収可能な額である状況が続いてきたのである。
これに対して、親会社を持たないカープは自力での経営を余儀なくされた。
重大な経営難に瀕した1967年、広島カープは「広島東洋カープ」と改名した。カープは市民球団として親会社を持たなかったが、当時の東洋工業(現・マツダ)社長の松田恒次が筆頭株主になったのを受けての改名である。しかし、東洋工業が親会社になったわけではなく、体裁上は市民球団の形を維持し、ネーミングライツ的に「東洋」をチーム名に加えたのである。実は経営難への支援として、球団に資金を回す際に、東洋工業は税制上の経費として認められるにはチーム名に社名をいれるように、と税務当局から指示を受けた。この時点で、同社の自動車は「マツダ」として通用しており、宣伝効果を狙うなら「広島マツダカープ」とすべきである。しかし、そうなればマツダの球団というイメージが強くなり、今まで市民球団として親しまれ、県内の複数企業からの支援を得てきたこととの整合性が取れなくなる。そこで、西洋・東洋など、一般名詞でもある「東洋」を冠して、「広島東洋カープ」としたそうである。こうした、スケールが大きく人情味に満ちた松田家の勇断が、今日まで唯一の「市民球団」カープを支えてきたのではないだろうか。
日本のプロ野球は2004年に「球界再編成」の大きな転機を迎えた。巨人戦のTV放映権料を中心とした収益が、TV視聴形態の大幅な変更に伴い崩壊したこと。ダイエーの倒産など、複数の球団の親会社の経営が破綻に向かったこと。さらに日本代表人気に支えられたサッカーなどのスポーツが台頭したことなどに起因し、野球人気が低迷、近鉄バッファローズが消滅した。経営側が主導する1リーグ制への移行に反発して、古田選手が率いる選手会が史上初のストライキを実施する事態に発展した。
騒動の結果、ライブドアの堀江元社長と争った楽天が、50年ぶりの新球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」として参入を果たした。またソフトバンクがダイエーホークスを買収して「福岡ソフトバンクホークス」が誕生するなど、3大都市以外の「地域密着型」球団の誕生をもって、この球界再編劇は収束に向かう。
この間、カープも買収されるのではとの報道もあったが、実際は独自の危機対策を着実に実行している。TV放映権は球界再編成前には30億円くらいであったが、2008年には17億円と半額近くに下落。また旧スタジアムの老朽化により、新スタジアムの建設問題も浮上していた。ここで新たな収益として、カープが考え出したのがグッズ戦略である。
1975年に初優勝を果たし「赤ヘル旋風」を巻き起こしたカープには、コンバットマーチと共に赤ヘルを被り、メガホンを持ち込んで応援するスタイルを始めた伝統がある。松田元オーナーの支援を受け、カープは2005年からライセンスグッズ数の増加に踏み切る。2005年に180点であったものが、2009年には500点、2018年には1,000点を超えている。主力商品となるユニフォーム、タオル、帽子なども毎年リニューアルしている。17年にはグッズの売り上げが54億円となり、全体収益188億円の30%を占めることになる。他の球団で、このような高い比率を持つところはない。
カープのグッズ生産の特徴は、グッズ制作会社へ委嘱することを控えて、自主製作を実施し、直接販売を行っている点にある。自主製作であることから、製品のアイデア出し、作成までのリードタイムが短い。先日、MLBからの移籍が決定した秋山選手のケースでは、背番号9が発表になった翌週には、ユニフォーム等数多くの秋山グッズが店頭を飾っていた。
また、地元企業を大切にしており、福山市の丸天産業とタイアップして選手の顔が入ったマスキングテープを大ヒットさせた。また、田中食品の「カープふりかけ」など、地元産業と提携して数々の実績を上げている。
在庫リスクを抱えながらの大胆なグッズ戦略は他球団には見られないことであり、TV放映権やスポンサー収入が限定される中で、新たな大型の収益を作り出した成功事例となっている。これも、親会社からの支援を期待できないが故に編み出された「逆境」に打ち勝つ施策のひとつであろう。
グッズ戦略による財政の強化を受けて推進されたのが、新スタジアム建設である。2004年の球界再編成問題とほぼ同時期に旧広島市民球場の老朽化問題が浮上した。この土地に建て替える案が有力であったが、技術、コスト面での困難があり見送られる。代替地として決定したのが、現在の広島駅周辺の再開発地であった。2009年に新スタジアムが完成、5年総額11億円のネーミングライツを得て、マツダスタジアムと呼ばれている。建築の際にこだわった点は、「スタジアムビジネスを可能にし、稼げること」「スポーツでのまちづくりに貢献すること」であった。MLBの視察などで得た知見をベースに、「ボールパーク構想」の実現に取り組んだのである。
広島駅からスタジアムまでは徒歩で20分ほど。ほぼ歩行者天国となるプロムナードの壁には、山本浩二選手など歴代のスター選手のパネルが並び、眺めながら歩けば歴史を再確認しつつ、あっという間に到着してしまう。
会場内の最大の特色は、場内を360度回遊でき、スケルトン構造のためどこからでも試合を覗くことができること。例えば、2,000円くらいの外野チケットで入場したファンでも、バックネット裏といった遙かに高価なチケットゾーンの通路から試合を観戦することができる。通路の幅が広く、人々が混み合うことも少なく、「ユニフォームを着たカープファン」であれば(公式にはNGでも)、咎める人は見られない。
また、周遊しながら「バーベキューシート」や「砂かぶり席」など多彩な特殊席を視察することが可能で、「次は寝そべりシートで見てみたい」とリピーターを増やす効果もある。年間指定席は新型コロナ以前まで完売が続いており、球団に安定的な収益をもたらしている。
また、広島県では厳島神社と原爆ドームの2件が世界遺産に登録されている。現在は、注目度の高いマツダスタジアムを訪れ、さらに世界遺産訪問を希望する訪問客が増大している。いわゆる「スポーツツーリズム」の成功例として、高い評価を得ている。「まちづくりに貢献すること」という初期の目的は、十分に果たせていると言えるだろう。

15年の球団調査によれば、マツダスタジアムの観客数の約8割がリピーターで、女性客が56.8%と半数を超えている。他球団には見られない、突出した数字である。
新スタジアムの誕生に伴い、旧市民球場には現れなかった10代から20代の女性ファンが、ユニフォームをまとって大挙してやって来たのである。これは「カープ女子」と呼ばれ、14年度には流行語大賞に輝いている。
筆者の大学の卒業生数名がカープに就職し、ファンクラブや試合前のアクティビティーの運営、グッズ制作などで活躍している。彼女たちに聞くと「実際は球団としては、特に女性ファンを増やすような仕掛けは実施していない。新スタジアムができて、女性や家族連れでも俄然入りやすくなった。ユニフォームに着替えて一度行くと、非日常空間で発散出来て楽しく、また行く。こうして自然と発生したのだと感じる。これをメディアが取り上げてくれたのでは」との解釈であった。3世代が楽しめる「ボールパーク」づくりを推進し、結果的に「カープ女子」ブームを生み出したのであろう。
カープはこのブームには冷静に対応し、むしろ広島以外の都道府県において、新たなカープファンを作り出すことに注力している。オフシーズンに全国を巡回し、新幹線を貸し切って首都圏から試合観戦ツアーを実施するといった取り組みを行っているようである。効果は高く、神宮球場や東京ドームでも、Awayチームであるはずのカープファンが多数訪れているのを見かける。非日常的な真っ赤なユニフォームや帽子をまとった姿は、強い存在感を残すのである。
以上、簡単ではあるが、カープの球団経営の特徴をピックアップしてみた。被爆の悲劇から立ち直るための市民球団としての生い立ち、親会社に依存しない独立採算制の経営、いくつかの「逆境」を独自のアイデア力で跳ね返してきた努力が、今日の発展をもたらしているようである。
コロナ禍を経て、どのような成長を続けていけるか、その取り組みに引き続き注目していきたい。
参考文献
「消費社会白書2024」のご案内

中流層の暮らしぶりは終わった。まん中がなくなって、焼け野原のような空洞感が支配している。「こころの戦後」だ。 「欲望自由主義」のもとで「個人欲望」の解放を可能にした消費社会は終わり、生きがいを求めてさまよう価値社会が始まった。
著者プロフィール
林和夫
1980年早稲田大学理工学部卒業後、電通に入社。25年間、FIFAワールドカップ、UEFAチャンピオンズリーグ、世界陸上、世界水泳など国際スポーツのスポンサーシップ、TV放映権、大会運営業務に携わる。97年からスイスのISL(電通とアディダスのスポーツビジネス会社)、2010年からは電通スポーツ(ロンドン)での勤務など国際経験を蓄積。2018年より広島経済大学にてスポーツビジネスを担当し、今日に至る。
参照コンテンツ
- プロスポーツのマネジメント~なぜMLBとNPBで7倍の年俸格差があるのか?~ 第一話「日本のプロ野球ビジネスの変遷」(2023年)
- プロの視点 今治.夢スポーツ 「スポーツが日本の未来にできること」を求めて、岡田武史氏の挑戦(2021年)
- MNEXT 眼のつけどころ 戦略思考をどう身につけるか-スポーツ観戦で学ぶ(2019年)
- MNEXT 2014年ブラジルW杯観戦で学ぶ 実践戦略思考(2014年)
- MNEXT W杯のコートジボワール戦敗北の戦略的読み方(2014年)
- MNEXT W杯日本代表のリーグ戦敗退の戦略的読み方(2014年)
- MNEXT 北京五輪にみる日本の戦略の弱さ(2008年)
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