北京五輪にみる日本の戦略の弱さ

2008.09 代表 松田久一

本稿は、弊社社員向けの研修プログラムでの松田の講義を要約したものです(文責:舩木)。

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 北京オリンピックが終わりました。日本はがんばりましたが、前回のアテネ五輪よりも金メダルの数もメダルの数も少なくなりました。人口が日本の半分ぐらいしかない韓国とメダル数で並んでいるのではなくて負けています。スポーツの戦いに負けた、ということです。スポーツに限らず、日本の負け方には独特の構造があると思います。それについて、北京オリンピックを通じて考察してみたいと思います。

 負ける要因のひとつには、リアルな認識が欠けていることがあげられます。スポーツにおいては、身体能力というものを無視したり、あるいはそもそもの潜在的な力を無視したようなことが行われていたりするのではないかと思います。たとえばイチロー選手は違います。以前にテレビのインタビューに答えていましたが、イチロー選手のトレーニングは、筋肉をつけるのではなく、関節を柔らかくするようなマシンを独自につくってやっているそうです。イチロー選手は、「自分はアメリカとか外国の選手に比べて体は強くない。だから筋肉をつけても意味がない、勝てないし、向こうのほうが大きい。筋肉をつけても意味がない、だから柔軟性で勝っていきたい」と言っていました。柔軟性で勝っていきたいということで、独自のトレーニングマシンでいつも練習している。だから柔軟性にかけては絶対に外国の選手に負けないという言い方をしていました。リアルに状況を認識し、自分の強みを徹底的に深掘りしていく。日本にはそういう認識が欠けている選手が多いのではないかと思います。

 超悲観論に陥ればそれでリアルな認識になっているという勘違いもありますし、また何事も楽観的に考えていけばいいという、そういう楽観主義的なものの見方があってもどうしようもありません。国際政治においては、軍事力がベースになっているにもかかわらずそれを無視した展開をしようとしているということもありますし、経済においても、量産とか価格とかコストとか、いわゆる市場支配力と言われるようなものを無視した行為が圧倒的に行われていたりします。かように、スポーツから軍事、政治、経済のあらゆる場面において、日本の負けている構造を考えていきますと、リアルな認識に欠けているのではないかという点が第一にあげられます。