林和夫

2度に渡ってサッカー日本男子代表監督を務めた岡田武史氏。その岡田氏が、2014年に「株式会社 今治.夢スポーツ」の株式51%を取得、オーナーとなった。「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する」を企業理念に掲げる同社は、サッカーJ3のFC今治の運営を中心に、教育事業や地域貢献活動などさまざまな事業を手がけている。
代表監督の後、日本サッカー協会の副会長にも就任した岡田氏は、言うまでもなく日本サッカー界の重鎮だ。この転身はNHKを始め多数のメディアが伝え、多くの人に驚きと関心をもって受け止められた。
筆者は2020年に2度今治を訪れ、J3に昇格したFC今治の試合、環境プロジェクト運営など、今治.夢スポーツの具体的な活動を視察。岡田代表と関係者の方々から直接、話をうかがう機会を得た。その構想は驚くほど壮大だ。当コラムでは、その一端を紹介したい。

筆者の前職は電通サッカー局。その時の上司であり、現職の広島経済大学でも指導を受けている濱口博行教授は、岡田代表と長く深い交流がある。その縁で、2018年には本学主催の「国際スポーツサロン」のゲスト講師として、岡田代表を招いた。岡田氏が今治プロジェクトに関して発信したメッセージは、含蓄に富み心を熱くするものであった。
実際に訪問すると、構想の通りに実に数多くのプロジェクトを考案し、スタッフ、パートナー、自治体の協力を束ねて、確実に実行しているという印象を強く受けた。
下記は今治.夢スポーツ企業紹介のパンフレットの一部分で、同社が取り組んでいるプロジェクトの一覧を示している。

一見して分かるように、本業ともいえる「フットボール/今治モデル構想」に加えて、「教育/次世代育成」および「地域/ブルーゾーン」と、ふたつの項目が提示されている。さらに各々に、「しまなみ野外学校」「Bari Challenge University」「孫の手活動」「島の清掃活動」など、興味深い活動が並ぶ。
環境教育プログラムは、作家の倉本聰氏と協力し、北海道富良野自然塾を土台としているそうだ。当地には「地球は子孫から借りているもの」というネイティブアメリカンの言葉が刻まれている。「これは自然は子供たちから借りているものだから、壊したり傷つけてはいけないという意味のメッセージ。ところが、文明人の私たちが考えるのは『今日の株価』だったり、『今の経済』の事ばかり。生命の基本は『命をつないでゆくこと』なのに、人間は今の事しか考えない。そこを何とかしたい。それが、野外環境活動にもサッカークラブの経営にもつながっていく」と岡田代表は語っている。
例えば、教育プログラムのひとつに「瀬戸内海横断プロジェクト8泊9日」がある。無人島キャンプを行いつつ、シーカヤックで広島から海を渡る。小学生がサバイバル生活を通じて、「真に、生きるための知恵をみつける」事を目指している。
また、今治市から指定管理を受託して「しまなみアースランド」の管理業務を行っている。自然に親しみ、体験を通じて自然との共生を学ぶことを目的に造られた公園だ。岡田代表自身も、この公園でインストラクターとして活動し、今治市内の小学5年生全員を含めて、年間体験者数は1,500名を超えるという。
今治は瀬戸内海に面した、人口16万程度の中都市。自然資源に恵まれている事、および地元自治体からの信頼を獲得している点が、こうした環境教育プログラムの実施に生かされている。
また広島駅からは、しまなみ海道を使って2時間半程度の旅。今治市のみでなく、広く瀬戸内海生活圏をターゲットとした活動を視野に入れているのだろう。
構想の基幹を成すのは「岡田メソッド」という指導方法。子供の頃には、まず基本的な型を教える。自由なサッカーは16歳くらいから。普通は子供には自由にサッカーをさせる、ここにも逆転の発想がある。この指導法により、2019年に今治東中等教育学校が全国高校サッカー選手権に出場、ベスト16に進出するなど、既に成果を上げている。
この「岡田メソッド」を用いた今治全体での長期一貫指導により、日本一質の高いピラミッド「今治モデル」を構築。2025年までにはトップチームは常時J1で優勝争いをするとともに、クラブチームによるサッカーの大陸選手権大会であるACLチャンピオンズリーグ優勝を狙う存在になることを目指している。さらに、常に日本代表チームに選手を輩出することも視野に入れている。
2020年、新型コロナはJリーグのビジネスを直撃した。最高峰の浦和レッズでさえ、10億円程度の赤字を計上するという。Jリーグクラブは93年の発足以来、地域密着型で会場を密にすることに尽力し、入場料収入を中核としてビジネスを拡大・安定させてきた。その矢先、大幅な観客数の制限を余儀なくされ、各クラブはいまだに苦境に立たされている。
一方、FC今治は300社余りのパートナーを開拓、大きな黒字を達成しようとしている。ここにも、従来のスポンサーシップの枠組みを超えた岡田代表のアイデアが機能している。

企業は看板露出への期待では無く、「FC今治の理念に共感し、感動したからパートナーになる」「コロナの弊害は全く無い。むしろチャンスである」と語る。
私の実感だが、信念に溢れる語り口に実際に接すると、閉塞感を忘れて、何か明るい希望が差し込むことを強く感じさせてくれる。300社の企業が共感する源泉は、この迷いの無い姿勢にあるのだろう。
J2では、10,000人、そしてJ1では15,000人以上収容可能なスタジアムが必要となる。
「これを複合型のスマートスタジアムにする。スポーツクラブを併設させて、試合日以外は使用させる。例えばドクタールームを大型にして、健康診断をする場所にしたり、VIPルームを学童教室にするなど、用途をシェアーして365日稼働する場所として活用する」と語る。
いわば、サッカーはあくまでも人が集まってくる切っ掛けと定義。スタジアム全体を複合型として開発し、今治や周辺に住む老若男女にとって、生きがいや希望を感じられる魅力的な場所に開発する。そして、試合前後に長い時間をこのエリアで過ごしてもらう事を目指すというビジョンである。これは、イタリアのセリエA、ユベントスFCを訪問した時の経験から発想を得たそうだ。
プロ野球日本ハムの新スタジアム「エスコンフィールド北海道」も、座席料を無料にして、周辺のレストラン、ショッピングセンター等を試合前後にじっくりと利用してもらう計画を立てている。共通した未来型スタジアム・コンセプトといえるだろう。
FC今治は2020年シーズンをJ3の7位で終了。J1に昇格するには、最速でも2年を要する。
現在のスタジアムのすぐ隣に、普段は駐車場として使用する広大な敷地が存在する。J1に昇格する際の新スタジアム建設予定地であり、今治市からの無償長期レンタルを計画している。
新型コロナの影響を受けて、工事着工が遅れることも予想されるが、焦りはない。「J2昇格を拙速に急ぐ必要は無い。そもそも、岡田メソッドの効果を見るには時間が必要」と岡田氏。じっくりと、着実に前進していくことを目指している。

このように「今治モデル」は、単なる地域創生という言葉では収まり切らない、長期的かつ革新的な構想である。「スポーツが日本の未来にできること」を探求する上で、将来像を示す成功例として、歴史的な役割を果たすことが予感される。
今後も、その取り組みに引き続き注目して行くことが重要であろう。次回は、学生諸君と共に尾道からしまなみ海道を自転車で渡り、「今治モデル」の発展に協力しながら、FC今治のJ2昇格を応援できればと願っている。
参考文献
著者プロフィール
林和夫
1980年早稲田大学理工学部卒業後、電通に入社。25年間、FIFAワールドカップ、UEFAチャンピオンズリーグ、世界陸上、世界水泳など国際スポーツのスポンサーシップ、TV放映権、大会運営業務に携わる。97年からスイスのISL(電通とアディダスのスポーツビジネス会社)、2010年からは電通スポーツ(ロンドン)での勤務など国際経験を蓄積。2018年より広島経済大学にてスポーツビジネスを担当し、今日に至る。
参照コンテンツ
- MNEXT 眼のつけどころ 戦略思考をどう身につけるか-スポーツ観戦で学ぶ(2019年)
- MNEXT 2014年ブラジルW杯観戦で学ぶ 実践戦略思考(2014年)
- MNEXT W杯のコートジボワール戦敗北の戦略的読み方(2014年)
- MNEXT W杯日本代表のリーグ戦敗退の戦略的読み方(2014年)
- MNEXT 北京五輪にみる日本の戦略の弱さ(2008年)
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