半歩先を読む日本最大級のマーケティングサイト J-marketing.net

公開日:2026年03月11日

業界分析
EV失速から始まる自動車産業の脱成熟戦略 - 世界の食、自然、道を楽しむ移動拡張産業へ


 EV(本稿ではバッテリーEVを指す)は、脱炭素の旗印として巨額投資を集めたが、2025年に入り主要市場で「政策・需要・収益性」の三つが同時に揺らぎ、戦略の見直しが顕在化した。とりわけ、①補助金/税額控除の変動、②充電インフラ投資の資本効率悪化、③中国の過剰生産と価格競争の常態化が企業努力では埋めにくい問題をもたらし失速したといわれる。

 しかし、EV失速の本当の原因は「認知価値の低さ」「業界の低収益構造」が生む構造的要因であり、EV失速を乗り越え、自動車産業が再生するには産業定義の転換が必要である。本稿は業界分析から要因を明らかにし、日本と各国固有の資源を活かした「移動拡張産業」への転換を提案するものである。

 自動車産業は、20世紀に「移動拡張」によって成長した産業である。家族・週末・郊外モデルを前提に行動半径を広げ、周辺産業を育てた。しかし21世紀に入り、家族構造の変化、デジタル化、都市構造の変容により、この前提は揺らいでいる。EVはその延長線上で生まれたが、歴史的転換点において技術置換に留まった。


1.なぜEVは期待を裏切ったのか

 EVは政策、インフラ、中国企業などの外部要因で失速したのではない。三つの構造的な要因で自滅した。

 EVは「移動拡張の第二世代」として登場したが、移動の意味そのものを再定義する第三段階には至らなかった。

価値提供できなかったEV

 ひとつは、EVは「売れなかった」のではなく「価値がつくれなかった」ことだ。

 EVは環境性能や先進性を訴求したが、その価値が生活者の欲望と結びつかなかった。高価で不便という印象は、単なる価格・設備の問題ではない。「それでも欲しい」と思わせる価値が設計されなかったことの帰結である。

 移動の魅力を、速さや所有から、静けさ・安心などの具体的便益や発見・ワクワク感などの感情的経験に再定義できれば、EVは「選ばれる理由」を持てたはずだが、現実には、合理性の説明が先行し、導入後の生活がどう変わるのかが提示されなかった。購入検討者は、充電や利用の段取りまで含めた日常負担を想像し、結局はガソリン車との習慣維持を選んだ。

 EVは環境性能や先進性を訴求するだけで、生活者の欲望と結びつかなかった。高価で不便という印象を覆せず、移動の喜びを再定義できなかったことが需要サイドからみた停滞の本質である。


完全競争化したEV市場

 ふたつは、EV市場が完全競争化し、価値が価格に還元されなかったことだ。

 EVは部品点数が少なく参入障壁が低い。その結果、同質化が進み、企業は差別化より価格で競う局面に入りやすい。市場が完全競争に近づくと、付加価値は企業の利益として残らず、消費者価格の引き下げに回収される。つまり技術が進歩しても、利益が厚くならない。重要なのは、競争の激しさが構造問題だという点である。

 構造を変えずにEVを量産しても、同じ土俵での消耗戦が続くだけである。対策には、①製品の同質化を前提に収益源を車両外へ多重化する、②顧客が価格比較しにくい体験価値を組み込む、③利用と保守を含むシステムを設計する、といった手段で競争軸をずらすことができたはずだ。


技術置換に留まった電動化

 三つは、EVは生活スタイルを前提にせず、技術置換に留まったことだ。

 EVは内燃機関(ICE)の代替として設計され、従来の車の使い方を前提にした。つまり、移動の意味や生活構造そのものが変わるという訴求が弱く、エンジンをモーターに置き換える技術転換に留まった。技術転換は起きても、産業転換には至らない。

 産業転換とは、顧客が車に期待する役割が変わり、周辺産業や都市のあり方まで連動して変化する状態を指す。EVがその段階へ到達しなかった理由は、生活様式の変化を起点に設計を組み直せなかったからである。

 結果としてEVは、従来車の代用品として比較され、価格・航続・利便性の減点方式に晒された。必要なのは技術の追加ではなく、生活の前提を描き直した上での用途開発である。たとえば通勤・送迎・買い物・余暇といった行為を分解し、どの場面で何が嬉しいかを設計し直すことで、EVは単なる置換から生活に欠かせない新しい役割へと進化し得る。

 EVはICEの代替として設計され、移動の意味や生活変化を前提にしなかった。技術転換は起きたが、産業転換には至らなかったということである。



2.業界分析からみるEV失速の構造的要因

 EV失速の要因を、ポーターの5フォースで分析すると、低参入障壁下の同質競争、供給寡占、販売・充電の補完事業者依存が招く「構造的低収益」が帰結だったことがわかる(図表1)。


図表1. バッテリーEV業界の5フォース分析


① 業界内競争(完全競争下の同質財による価格競争)

 EV業界はテスラとBYDの寡占に見えるが、「200社が参入する完全競争市場」で、参入脅威により価格が平均費用に近づき、利潤ゼロへ向かうコンテスタブル・マーケットの特性を持つ(図表2)。


図表2. バッテリーEV市場の参入企業数と上位寡占度


 部品点数が少なくアセンブルが容易で、ITによる販売・サービスが可能なことが背景にある。需要曲線は右肩下がりで差別化が乏しく、価格が下がるほど需要は弾力的となり、結果、たった数年で7万ドルから3万ドル割れへと急降下した(図表3)。


図表3. バッテリーEVの需要曲線


 テスラは原材料確保、ブランド・自動運転・AI投資、7,000の屋外充電網と工事業者網など、巨額投資で参入障壁を築き参入阻止を図ったが、電池と車両を垂直統合したBYDが参入し、22のモデルを一斉値下げ、エントリーモデルを、1万ドルを切る価格に設定するなど「多品種を安く」の限界価格設定で撤退を促す戦略に敗北した。中国の購入補助・取得税免除、インフラ補助がこの戦略を後押しし、EVを魅力のない業界に変えた。


② 供給業者との関係(中韓専業メーカーによる基幹部品の寡占。力が強い)

 EVの供給業者には、電池、モーター等の駆動装置、車載ソフト、半導体、車体製造会社がある。とりわけ電池では「中韓専業メーカーの寡占」が交渉力を持つ。ガソリン車時代は4万点の部品供給が中小専業中心に行われた。

 供給側は少数の大手アセンブルメーカーへの依存が高いため、系列傘下に入り受注安定を優先した。EV時代は逆に部品点数が少なく供給寡占で、取引先が自動車以外にも広い。結果、メーカー側は限られた供給源に頼らざるを得ず、高コスト調達を強いられる。製造原価はガソリン車120万円に対しEV194万円、半分の約90万円を電池が占める。電池市場はCATLとLG化学で46%を占め、CATLは1kWh88ドル、超寿命電池(16年・200万km)を武器に合弁供給しつつ全方位供給するため、メーカーの依存度は高い。BYDは垂直統合でこの交渉力を排除した。


③ 買い手との関係(販売店のコントロール喪失。電力供給業者との力比べ)

 EVの買い手は販売店だけでなく、電気供給を担う補完サービス業者にも拡張している。

  ガソリン車時代、メーカーは流通の専売化と系列化を進め大量販売の仕組みを構築した。一方、EVはディーラー格差が大きく、販売増のインセンティブに加え、充電器とのパッケージ販売や商流・物流の分業支援など「支援コスト」が増える。さらに屋外充電網の整備やCPO(チャージポイントオペレーター)との関係づくり、家庭用充電器の設置会社とそれを仲介する業者、電力小売やエネマネ企業が新たな力関係を形成する。

 これらのEV走行に必要な補完業者には取引・サーチコストを下げるプラットフォームがありネットワーク外部性で寡占化が進む。メーカーは補完事業者に依存が大きい一方、補完側は複数メーカーと取引でき、依存が小さいため交渉力はメーカーに不利となる。EVは協賛金や無料充電、仲介業者との提携、Utility(電力会社)とのVGI(TOU充電・売電報酬)などを緩やかに統合しないと売れない高コスト商品になった。


④ 代替品の脅威(移動の単独化・近距離化・垂直化。移動手段の再選択の時代)

 代替品の脅威としてHV/PHVとの競争に加え「移動の単独化・近距離化・垂直化」による移動手段の再選択問題が挙げられる。一方で潜在的代替が増えている。

 ガソリン車時代は家族単位の週末レジャーが主用途で、公共交通との競争が中心だったが、現在は個人所有に拘らない意識を背景にシェアリングが浸透する。1回あたり乗車コストが1,800円を上回るドライバーはカーシェアのメリットが高く、若年層を中心に、近距離モビリティ(キックスケーター等)、デリバリーサービス(UBER等)、インナーレジャー(ゲーム・アニメ・動画)との競争が広がる。高齢者を中心に「自転車」や「徒歩」の脅威もある。

 EVは「誰のどんな移動」を満たすのかを明確にし、他の交通手段の中での役割分担を設計しなければ、需要が代替へ流れやすい。


⑤ 法規制に翻弄されるEV

 5フォースを補完する論点として、EVが消費者ニーズと無関係に「正義(温暖化対策)」を掲げて強引に導入され、法規制や政策に翻弄されやすい点も失速の要因となった。

 政府は補助金で購入インセンティブを与え、充電インフラ整備まで含めて市場を作ったが、これは欧米を中心とした日本からの覇権奪還戦略でもあった。欧州はESG投資で資金を集める狙いも含んだが、歪みが生じる。

 EVで優位を取るには巨額投資、量産コスト優位、労働者プール、需要規模が必要で、その条件を満たしたのが中国である。中国は政府が作らせ・買わせ・充電施設を作り、国内消費を超える規模で生産してコスト優位で勝つ戦略をとった。結果として欧米は中国を利するEVから身を引き、米国はトランプ政権で一蹴され、自国の雇用と産業を優先してEVシフトから後退、排他的な関税政策へ転じた。企業は制度ショックに翻弄され投資回収ができなかった。



3.自動車産業の本質的課題

 自動車産業の競争は、①移動拡張期(1900-1990)、②性能高度化期(1990-2020)、③電動化試行期(2020-現在)という三段階で進んできた。現在は第三段階の停滞局面にあり、次の成長段階への跳躍が問われている。

 EV失速が意味するのは「製品の延長」では、自動車の成熟を突破できない、プロダクトライフサイクルを変えられなかったということである。自動車業界はEV以前から三つの「成熟の壁」に直面していたが、EVで変えることはできなかった。


家族・週末・郊外モデルの崩壊

 ひとつは、自動車が依然として家族・週末・郊外モデルに依存していることである。

 自動車産業は、家族で遠出をする週末レジャーと郊外生活を前提に成長した。自動車の所有は一家の象徴であり、移動は家族の時間を拡張する装置だった。しかし家族の縮小と生活の個人化によって、この前提そのものが崩れている。

 目的地が共有されにくく、週末の過ごし方も多様化し、共に移動し共に体験する移動の価値が弱まったのである。この変化は、車の性能を上げれば解決する類の問題ではない。産業側が依存してきた需要の条件(家族・週末・郊外)に代わる、新たな需要の起点を作り直す必要がある。

 具体的には、家族単位ではなく個人や小集団で、移動を「体験の切り替え」に結びつける設計が求められる。つまり、車は週末に一度の大移動ではなく、日常のなかで気分や関係が切り替わる小さな移動を支える道具へと接近する必要がある。メーカーは車種の多様化だけでなく、利用シーンの再編(短距離・寄り道・滞在)を含む提案へ踏み出さねばならないと考えられる。


移動の快楽が負担へ反転

 ふたつは、移動が自由からコスト・リスクへ反転したことである。

 渋滞、事故、疲労、費用の増大によって、移動は快楽ではなく負担として認識され始めている。かつて移動は「行ける」こと自体が自由だったが、成熟社会では「行かない」ことが合理的選択になり得る。移動の価値が下がると、車の価値も下がる。なぜなら車は移動の手段であり、移動が増えるほど価値が立つ設計だからである。この負担を放置したままEVや自動運転を導入しても、問題は移動の量と心理的コストにあるため、買い手の意思決定は揺るがない。

 運転ストレスを減らすだけでなく、移動を回復や気分転換に変える体験設計が求められる。移動が負担である限り、技術革新は減点項目の改善に留まり、欲望にはならない。だからこそ、産業の課題は「より遠くへ」ではなく、「移動を怖くない・疲れない・気持ちのリセット」へ移る。AIによる心理調整のような手段は、そのための具体策となるだろう。


公共空間を侵食した結果の反作用

 三つは、自動車が公共空間を侵食する存在になったことである。

 高速・重量化した車両は街を分断し、人が歩けない空間を生んだ。自動車は自由の象徴から、公共空間のリスク要因へと転じたのである。ここで問題なのは事故件数だけではない。都市の地上面が車のために割かれるほど、人が偶然に出会い、立ち止まり、滞在する余地が失われる。結果として生活の質が落ち、車がもたらす便益と社会コストの差が可視化され、反発が強まる。

 産業にとってこの反作用は重大だ。公共空間の正統性を失った乗り物は、規制や社会的圧力の対象となり、需要の前提が揺らぐ。したがって解決は、車が街を支配する構図を改め、人が主役の空間へ戻す設計にある。低速化・軽量化・共存の思想が、単なる安全策ではなく産業の存続条件になる。

 車が通過だけを担うのか、滞在を支えるのかで都市の価値は変わる。メーカーも自治体も、車両設計と空間設計を切り離さず、生活圏全体の編集として扱う必要がある。



4.本質的課題は自動車産業の「脱・成熟」

 今後の戦略は、短期(構造的低収益への対応)、中期(競争軸の転換)、長期(産業定義の再構築)の三層で設計すべきである。

 EVで変えられなかった自動車産業の脱成熟をどうするか。三つの鍵がある。

 ひとつは、産業の定義である。

 セオドア・レビットが指摘したように、産業は自らを狭く定義すると衰退する。自動車産業も「移動手段」あるいは「車を売る産業」に留まったことが問題である。

 EV論争はしばしば、内燃か電動かという技術選択の二項対立に回収されるが、これは製品代替を巡る議論に過ぎない。顧客が求めているのは移動手段そのものではなく、移動を通じて手に入る固有の生活体験である。

 産業定義を誤れば、価値拡張の範囲が狭まり、改善すべき対象が車両性能に固定される。企業は、技術ロードマップの前に、何を提供する産業なのかを言語化し直す必要がある。定義を変えることは、事業領域を広げるだけでなく、顧客の欲望を作り直す作業である。これが脱成熟の第一歩となる。

 定義は社内の意思決定を揃える羅針盤であり、投資や提携の優先順位を決める。

 ふたつは、移動によるコスト増の悪循環からの脱却である。

 人口減少とデジタル化が進む社会では、移動需要は構造的に減少する。量的拡大を前提とする産業モデルは、どれほど技術が進んでも限界を迎える。ここでいう限界とは、販売台数が伸びないというだけでなく、移動が増えるほど生活コストや社会コストが増え、社会の支持を失うという二重の意味を含む。

 したがって自動車産業が従来の延長で成長しようとすれば、より激しい競争と規制の強化に挟まれやすい。成熟社会で求められるのは、移動の量を増やすことではなく、移動の質と意味を変えることだ。移動が少なくても生活が豊かになる設計、あるいは短い移動でも体験が切り替わる設計が、次の需要を作る。

 量から質へ、輸送から体験へ、という軸の転換が構造的課題への回答となる。この転換を避けるほど、産業は価格競争の罠に深く沈む。需要が伸びない局面では、供給側の論理だけで伸ばす理由を捏造しがちだが、それ自体が成熟の兆候である。

 三つは、生活そのものへの再接続の必要性である。

 成熟産業が再成長するには、価値スタイルや人間の欲望に接続する必要がある。自動車も例外ではなく、性能や規格の改善だけでは需要を作れない。生活者が日々直面する課題(時間の使い方、安心、家族や地域との関係、外に出る動機)のなかに、産業の価値を埋め込むことが求められる。

 車の価値を、走行性能や所有満足から、生活の切り替えや公共空間の自由自在な移動の仕組み創出と捉えると、商品企画・販売・サービス・協業の全てが変わる。脱成熟とは、成熟した市場で新規顧客を探すことではなく、既存の生活のなかに新しい欲望を作ることである。

 したがって企業は、生活を観察し、接点を設計し、体験を運用する能力を中心能力として育てねばならない。これが産業再定義の土台となる。



5.自動車産業の再定義に向けた課題

 再定義への課題は三つあると捉えられる。

 ひとつは、移動を増やす産業から、移動を減らす産業への転換である。

 「減らす」とは、移動の機会を奪うことではなく、不要な遠回りや過剰な移動を減らし、歩ける生活圏を豊かにすることである。移動の最適化とは、目的地に早く着くことだけではない。そもそも行かなくても済む仕組み、近場で満たされる仕組み、安心して寄り道できる仕組みを整えることでもある。

 産業がこの方向に舵を切れば、車両は移動の主役ではなく生活圏を支える部品となり、公共空間や地域サービスと一体で価値を生む。結果として、台数や距離の増加に依存しない形で、生活価値を更新する成長が可能になる。

 企業にとっては、売り切りの量産だけでなく、生活圏の設計・運用に関わる継続収益を組み込む契機にもなる。

 ふたつは、公共空間を再編集し、人を主役に戻すことである。

 車両は地上から退き、低速・軽量化や地下化により公共空間を人に返すことである。都市の価値は速度ではなく滞在性にある。人が歩き、立ち止まり、偶然に出会う空間が豊かになるほど、生活の満足度は上がる。

 逆に、車が優先されるほど街は分断され、移動は安全より緊張を伴う。公共空間の再編集は、自動車産業と都市政策の境界を越える。車両側では、安全制御や低速域での快適性、軽量化が重要になり、都市側では、動線・速度・駐停車の設計を人中心に組み直す必要がある。

 ここでの勝敗は、車を速くするかではなく、車が人の生活を邪魔しない形で共存できるかにある。自動車が公共空間の敵から、生活の基盤へ戻るには、設計思想の転換が不可欠である。

 公共空間が回復すれば、散歩や寄り道といった小さな移動が増え、結果として地域の経済や文化の循環も立ち上がる。

 三つは、人と現実世界をつなぐ接点になることである。

 多様な価値観を持った人同士が安心して歩き、人や自然との交流を通して、人間性や感受性を奪還する環境を支えることが次世代の価値創造である。

 車が優先される街では、生活者は移動の主体になれず、経験が狭まる。逆に、歩ける街は、すべての生活者に体験の機会を提供できる。自動車産業がここに関わる意味は大きい。車両の速度・重量・視認性・安全制御は、公共空間の安全度を左右する。

 さらに、生活者が外に出たくなる動線や活動(学び・遊び)を設計できれば、移動は単なる通過ではなく成長の場となる。産業が接点を持つことは、社会性を回復し、長期の需要基盤を作る。歩ける距離に魅力が増えると、移動は遠出より近場の循環へと変わり、生活圏そのものが豊かになる。


6.EVを基軸に移動拡張産業へ

 自動車産業は、もはやクルマという製品をつくり売る産業ではない。ICEもEVもマイクロビークルも、いずれも生活を構成する部品にすぎない。

 かつて自動車が生み出した価値は、単なる移動距離の拡大ではなく、行動半径を広げ、週末レジャーを可能にし、ダイナーやショッピングセンター、モーテルといった周辺産業を育てた「生活システム」の創出にあった。価値を持ったのはクルマそのものではなく、クルマを媒介にした生活スタイルである。

 現在EVが苦戦しているのは、製品だけが変わり、生活システムが更新されていないからである。

 しかしEVには、ICEにはなかった重要な特性がある。静かで、振動が少なく、制御性が高く、安全なことだ。静粛性と安全性は、徒歩中心の生活圏と共存できる可能性を開く。細道や路地裏、散歩道や登山道、田園風景のなかでも違和感なく溶け込む電動モビリティは、都市高速や幹線道路を前提とした旧来の移動観とは異なる、新しい生活圏の設計を可能にする。

 そこで求められるのが、自動車を「移動システム」へと再定義する視点である。四輪車、二輪車、マイクロモビリティ、公共交通、エネルギー、データ、AI、コンテンツ、サービスを組み合わせ、人の行動と経験を再設計し経験財化させることだ。

 さらに、それは移動を通じて、人、自然などとの接点をつくり感情的経験を豊富化させる、移動プラットフォームを構築することに他ならない。

 AIがドライバーの心理を整え、移動を通じた体験を重層化し、コンテンツが外出の動機を生み、EVがキャンプなどのレジャーや災害時のエネルギー源ともなる。ICEもEVも、あくまでその手段にすぎない。

 この再定義は、低収益構造の突破にもつながる。EV製造業のままでは、価格競争、強い供給業者、強い買い手、代替品の増大、法規制への依存という五つの圧力から逃れられない。

 しかし移動を軸とするプラットフォームへと拡張すれば、供給業者をエネルギー側に統合し、顧客と直接接点を持ち、徒歩やマイクロモビリティも包含し、価格競争から体験競争へと軸を移すことができる。五つの力を変えるのではなく、戦う土俵そのものを変えるのである。

 目指すべきは「移動を減らす」ことではない。「楽しい移動を増やす産業」への転換である。重要なのは距離ではなく、移動の質と体験である。短距離でも、低速でもよい。移動が生活モードを切り替える契機となり、人と人、人と自然を再び結びつけることが本質である。

 日本には、地方ならではの孤独のグルメ的な食文化、豊かな田園風景や登山道、細道や散歩道、路地裏の風情といった、まだ十分に活用されていない資源がある。これらを電動車両と結びつけ、電動キャンプや地方の食べ歩き、自然探索などをシステム化し、コンテンツやサービスと融合させることで、お金では買えない体験価値を創出できるのではないか。

 それは単なる観光ではなく、地域資源の発掘と再編集である。食、自然、道といった日本固有の資源を電動モビリティで再発見し、人と場をつなぐプラットフォームとして構築する。移動を通じて世界の食や自然、道を楽しむ産業へと拡張する。

 ドライバーだけでなく、広く生活者の生きがいにつながる価値を提供する。そうした移動拡張型の産業への転換こそが、自動車産業の次の姿ではないか。

 20世紀が「遠くへ行く産業」だったとすれば、次の自動車産業は「意味ある移動を創る産業」へ進化する。移動の量ではなく、移動の質と体験を拡張する段階へ入る。

 日本メーカーは、量産技術、二輪や小型モビリティの知見、エネルギー制御、高信頼AI、安全設計思想を持つ。それらをEV単体に閉じ込めるのではなく、移動を軸に生活システムを設計する企業へと進化させることができる。

 自動車産業は、人間の行動と経験を拡張し、楽しい移動を増やす移動拡張産業へと転換すべき時に来ているのではないか。


おすすめ新着記事

企業活動分析 伊藤ハム米久HDの25年3月期は、単価上昇で増益も、価格転嫁追い付かず減益に
企業活動分析 伊藤ハム米久HDの25年3月期は、単価上昇で増益も、価格転嫁追い付かず減益に

伊藤ハム米久ホールディングスの2025年3月期連結決算は、売上高9,888億円(前年同期比3.5%増)、営業利益196億円(同12.4%減)、経常利益208億円(同20.3%減)と、増収減益であった。売上高は食肉事業の販売単価上昇や加工食品事業の価格改定実施等により増収だったものの、食肉事業の減益の影響を受け、営業利益、経常利益はともに減少した。

企業活動分析 日本ハムの25年3月期は、海外生産拡大で増収も国内収益性悪化で減益に
企業活動分析 日本ハムの25年3月期は、海外生産拡大で増収も国内収益性悪化で減益に

日本ハムの2025年3月期の連結決算は、売上高1兆3,706億円(前年同期比5.1%増)、事業利益425億円(同5.3%減)と、増収減益となった。売上高は、主に食肉事業における販売価格の上昇や、海外事業の豪州牛肉の生産拡大が寄与し増収。事業利益は、海外事業の豪州牛肉生産数量拡大による利益伸長や加工事業の商品ミックス改善・最適生産体制に向けた取組みにより収益が改善したが、食肉事業の国産鶏肉の生産部門の収益性悪化や輸入食肉の販売苦戦、フード販売の価格転嫁の遅れが影響し減益となった。

企業活動分析 日清食品HDの25年3月期は、全事業で増収、3期連続増益達成
企業活動分析 日清食品HDの25年3月期は、全事業で増収、3期連続増益達成

日清食品ホールディングスの2025年3月期の連結決算は、売上収益7,766億円(前期比6.0%増)、営業利益744億円(同1.4%増)、既存事業コア営業利益835億円(同3.6%増)と、3期連続増益を達成。売上収益は昨年に続き7,000億円を突破、全ての事業で増収。既存事業コア営業利益は、海外事業での減益を国内事業がカバーし、過去最高を更新した。



J-marketingをもっと活用するために
無料で読める豊富なコンテンツ プレミアム会員サービス 戦略ケースの教科書Online


新着記事

2026.03.27

消費者調査データ サブスクリプションサービス(2026年3月版) 首位「Amazonプライム・ビデオ」、再利用意向トップは「Spotify」

2026.03.26

26年1月の「広告売上高」は、3ヶ月連続のプラス

2026.03.26

26年1月の「商業動態統計調査」は2ヶ月連続のプラスに

2026.03.25

26年2月の「景気の現状判断」は23ヶ月連続で50ポイント割れに

2026.03.25

26年2月の「景気の先行き判断」は50ポイントに

2026.03.24

26年1月の「旅行業者取扱高」は前年比10ヶ月連続プラスに

2026.03.23

企業活動分析 マツダの25年3月期は、販売台数増加により増収も競争激化で減益に

2026.03.19

業界分析 食品産業の高収益化は小売パワーに勝てるブランド力づくりがポイント

2026.03.18

26年1月の「消費支出」は2ヶ月連続のマイナスに

2026.03.18

26年1月は「家計収入」、「可処分所得」ともプラスに

2026.03.17

26年1月の「現金給与総額」は49ヶ月連続プラス、「所定外労働時間」はマイナス続く

2026.03.16

企業活動分析 SUBARUの25年3月期は販売台数減少などにより減収減益に

2026.03.13

MNEXT 2026年を読む - 価値社会への転換の鍵を握る消費減税

週間アクセスランキング

1位 2026.03.13

MNEXT 2026年を読む - 価値社会への転換の鍵を握る消費減税

2位 2026.03.19

業界分析 食品産業の高収益化は小売パワーに勝てるブランド力づくりがポイント

3位 2025.10.01

消費社会白書2026 - 欲望の拡張と価値マーケティングの新時代

4位 2022.10.13

MNEXT アフターコロナの本格マーケティング 2023年の消費を捉える10のポイント

5位 2024.09.06

消費者調査データ 茶飲料(2024年9月版) 抜群の強さ「お~いお茶」、大手3ブランドが熾烈な2位争い

ENGLISH ARTICLES

2023.04.17

More than 40% of convenience store customers purchase desserts. Stores trying to entice shoppers to buy desserts while they're shopping.

2023.02.22

40% of men in their 20s are interested in skincare! Men's beauty expanding with awareness approaching that of women

2022.11.14

Frozen Foods' Benefits Are Expanding, and Child-raising Women Are Driving Demand

2022.09.12

The Penetration of Premium Beer, and a Polarization of the Growing Beer Market

2022.06.20

6.9 Trillion Yen Market Created By Women― Will Afternoon Tea save the luxury hotels in the Tokyo Metropolitan Area