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公開日:2025年12月16日

Session1
高消費時代への戦略経営と価値マーケティング
代表取締役社長 松田久一


【構成】



序論 - 消費社会が迎えた歴史的転換点
1. 高消費という現象の構造的理解
2. インフレ期待の上昇と欲望構造の転換
3. 消費の中身の変化と「質的転換」の現在地
4. ライフスタイルの変容と「時間価値社会」の到来
5. 情報ジャーニーの複雑化とリアル店舗の再評価
6. 価値マーケティングの再構築 - 機能から価値へ、価格から意味へ
7. 戦略経営の転換 - 株主価値から顧客価値へ
結論 - 高消費時代の本質は価値社会の成立である


本コンテンツは、2025年11月13日に開催したネクスト戦略ワークショップSession1の講演録です。

●講演録2.共働きの体制化が変える生活の現実
●講演録3.価値スタイルが形づくる消費


序論 - 消費社会が迎えた歴史的転換点

 日本の消費は、1991年のバブル崩壊以降、30年以上にわたり停滞を続けてきた。長期にわたるデフレーションの定着、人口構造の変化、資産価格の低迷、そして企業の価格設定力の欠如が重なり、日本は「低欲望・低物価・低成長」の三重苦とも言える状態に置かれてきた。

 しかし近年、状況は静かに、そして確実に変わりつつある。消費者が支出を抑制し続けた長い時代が終わり、再び消費意欲が回復しはじめているという兆候が、複数のデータに表れはじめているのである。この変化は、一時的な景気循環によるものではない。むしろ、30年ぶりに「消費の前提そのもの」が組み替わりつつある構造変化と捉えるべきであり、こうした見方に立つことで、いま企業に必要な戦略とマーケティングの姿が見えてくる。

 本稿で扱うSession1の議論は、この長期停滞の終わりと新たな消費局面の到来を、長年の消費社会白書のデータ分析にもとづいて描き出すものである。ここで示される考え方は「高消費」である。高消費とは次の三つの意味を内包する。

  1. 好(こう) : 消費を好む傾向(Like、「嫌消費」の対義語)
  2. 高(こう): 消費量が物理的に増える(High Consumption)
  3. 高(こう): 消費が洗練・高度化する(Sophisticating)

 高消費の背景には、物価上昇への認識の変化と、人々の欲望の変化というふたつの大きな要因が存在する。物価が長く上がらなかった時代には、人々は「待てばいつか安くなる」という期待を持ち続けていた。しかし近年は、むしろ「買うなら今が得である」という感覚が広がり、これが支出行動を押し上げている。また、欲望の面でも、かつて重視された「自己実現」という価値が、その先にある「自己超越」へと移行しており、より能動的・主体的な価値追求が広がってきている。このように、外部環境と内部意識の双方が変わることで、消費の前提が大きく書き換えられつつあるのである。

 本稿は、この高消費の実態を明らかにするとともに、消費の構造・生活者の価値観・購買行動の変遷を描きながら、企業がどのような戦略を採るべきかを検討する。特に、高消費社会において企業の競争優位を決めるのは「価値」であり、その価値をどのように構築し、伝え、維持するかが、マーケティングと戦略経営の中心課題となる。すなわち、高消費とは単なる経済現象ではなく、企業がどのように存在意義を再定義し、顧客との関係をどのように築き直すかが問われる、極めて本質的な転換期であると言える。

 本論文は、まず高消費という現象の三層構造を示し、その背景にあるインフレ期待と欲望構造の変化を論じる。その後、消費の質的転換として、選択的支出、情報コンテンツ消費、食の高度化、そして生活構造の変化と時間価値の台頭を分析する。さらに、情報ジャーニーの複雑化とリアル店舗の再評価という一次・二次情報の結節構造を考察し、高消費時代に求められるマーケティングの再構築、そして価値を軸とした戦略経営への転換を提示する。最後に、企業が生き残るためには、生活者の価値観を深く理解し、すべてのマーケティング活動を価値創造に収束させる必要があることを論じ、結論とする。


1. 高消費という現象の構造的理解

 まず、高消費という概念を正確に捉える必要がある。高消費とは、単にモノがよく売れるということではない。それは、量的拡大、質的拡大、価値的拡大の三つが相互に連動しながら進行する包括的な変化である。具体的には、消費額の増加、消費対象の高度化、そして欲望や価値観の転換が同時に進む点が特徴的である。

 量的側面からみると、民間消費は依然として緩やかな増加にとどまっているものの、直近数年で確実に回復基調へと向かっている。また、平均消費性向は67~68%の高水準を維持している。これは、単なる生活費の増加というよりも、消費への心理的抵抗が弱まり、将来に対する悲観が緩和しつつある兆候と解釈できる。

 質的側面では、モノからサービス、さらには情報コンテンツへと消費の中心が移りつつある。特に、家事外部化サービスやサブスクリプション型サービスなど、日常生活の機能を委託する支出が増加している。また、娯楽の中心がテレビから動画配信サービスやSNSへ移りつつあり、情報コンテンツが消費の核となりつつある。このようなサービス・コンテンツへの支出は、生活者の「体験への投資」「自分の感性を満たす消費」という新しい価値観と強く結びついている。

 価値的側面においては、消費者の欲望そのものが変化し、単なる節約や合理性ではなく、自分の価値観に合うかどうかが判断基準となり、モノの意味的価値が購買に大きな影響を及ぼしている。

 次に、この三層構造を生み出す背景要因として、外部環境の変化と内部意識の変化をみる。外部環境としてもっとも大きいのは、物価上昇とインフレ期待の高まりである。かつて日本では物価が上がらないことが当然とされ、それが節約志向を強固にしていた。しかし現在は、物価が上昇し続ける状況を生活者が受け入れ、むしろ「買うなら早い方がよい」と判断するようになった。この心理的転換は30年ぶりの大きな変化であり、高消費を支える重要な基盤となっている。

 内部意識の変化として重要なのは、欲望の構造が「自己実現」から「自己超越」へ移行しつつあることである。従来、消費は「自分らしく生きたい」という自己実現欲求によって説明されることが多かった。しかし近年のデータは、その先にある「自分を超えたい」「他者や社会の役に立ちたい」というより広範な欲望の高まりを示している。特に、ウクライナ侵攻以降、この自己超越的な価値観が広がり、生活者の判断基準に影響を与えていることが明らかになっている。

 以上のように、高消費とは単なる景気回復ではなく、生活者の価値観、社会構造、消費行動が同時に変化する複合的現象である。この変化を的確に捉えることが、企業が戦略的に市場を読み解き、価値を創造し、長期的に成長するための第一歩となる。




2. インフレ期待の上昇と欲望構造の転換

 高消費という現象の背後には、外部環境と内部意識の双方における深い構造変化が存在する。ここでは、そのふたつの要因のうち、まずインフレ期待の上昇と、それに伴う消費行動の転換について論じる。

 日本社会における物価と消費心理の関係は、長年にわたりきわめて特異な形を取ってきた。すなわち、世界の主要国の多くがインフレーションに悩まされるなかで、日本だけは持続的なデフレーションに苦しみ、生活者もまた物価が上がらない未来を自明の前提として生きてきたことである。この長期的デフレ環境は、生活者に「待てばモノは安くなる」という期待を植えつけ、結果として支出行動の抑制と消費意欲の低迷を引き起こしてきた。

 しかし近年、状況は大きく転換した。消費者が感じる期待インフレ率は1.7%に達し、実際の物価上昇率であるコアコアCPIが2.8%前後で推移するなか、生活者は値上がりを例外ではなく日常的な現象として受け止めるようになった。こうした認識の転換は、単に統計上の物価変動を反映するだけではない。むしろ、物価上昇に対する社会的許容度が高まり、値上げに対する抵抗が弱まり、価格に対する判断基準が根本的に変わっていることを示している。

 ここで重要なのは、物価上昇が生活者にとって心理的な再評価を促し、消費行動の意思決定に直接的な影響を及ぼしている点である。たとえば、これまでであれば「必要になるまで買わない」という態度が主流であったが、現在では「今買った方が得である」という判断が優位に立つ。こうした心理的変化が、結果として消費を前向きにし、GDPの支えとなる高消費層を生み出している。すなわち、インフレ期待は単なる経済的指標ではなく、生活者の行動原理そのものを変える社会心理的現象として捉える必要がある。

 インフレ期待と並び、高消費を形成するもうひとつの要因が、生活者内部の欲望構造の転換である。これまで生活者の欲望は、マズローの欲求段階説にみられるように、自己実現欲求によって説明されることが多かった。すなわち、自分らしさを追求し、自分の能力を発揮し、自分の個性を確立することが生活の中心的命題とされてきた。しかし近年のデータ分析は、この自己実現の先に位置する「自己超越欲望」が台頭していることを明確に示している。自己超越とは、自分自身の枠を超えたい、他人のために役立ちたい、という、より広がりを持った価値意識である。

 この欲望が顕在化した背景には、社会不安の増大、地政学的な揺らぎ、そしてコロナ禍以降の生活不安があると考えられる。ウクライナ侵攻以降、多くの生活者の価値観は揺さぶられた。そうした心理的変動が、消費行動においても「自分を成長させるもの」「新しい自分をつくるもの」を選ぶ判断基準として現れている。

 つまり、高消費とは、単にものを買う行為の増加ではなく、生活者の内面の変化によって支えられた新しい欲望の表現であると言える。

 高消費の背後にある外的・内的要因は、相互に影響しあいながら、生活者の意思決定の構造そのものを変えている。物価上昇という外部要因が購買のきっかけをつくり、欲望の進化という内部要因が何を買うかを決める原理となる。この二重の変化を理解しなければ、高消費の本質をつかむことはできない。


3. 消費の中身の変化と「質的転換」の現在地

 高消費を真に理解するためには、単に消費が増えているという表面的な事象ではなく、「何に消費しているのか」「どのような支出が増えているのか」という質的変化に目を向ける必要がある。消費の量が増えるだけでは高消費とは呼べない。むしろ、その内実が変容し、生活者の行動と価値観が新しいかたちで市場に表れ始めている点こそが、高消費時代の本質的特徴である。

 質的変化の第一に挙げられるのは、選択的支出の増加である。選択的支出とは、日常生活を維持する上で不可欠ではないが、生活をより快適にし、豊かにするために支出される領域のことである。家事外注化サービス、サブスクリプション型の娯楽サービスなどはその代表例であり、いずれも「自分の時間を増やす」「生活の自由度を高める」「新しい体験を提供する」といった価値を提供している。

 質的変化の第二の特徴は、情報コンテンツへの支出が拡大している点である。生活者の娯楽の中心は、テレビという一方向メディアから、ネット動画、ショート動画、SNSといった双方向性を持つプラットフォームへと大きく移行した。これは、消費の中心がモノから体験へと移行していることを意味し、かつてのマスメディア中心の消費構造とは大きく異なるものである。

 質的変化の第三の特徴が、食への支出の高度化である。エンゲル係数が上昇していることを「貧しくなったから」と解釈する向きもあるが、実際には逆である。データが示すのは、高所得層ほど食への投資比率が高く、食材や料理にこだわり、食を重要な価値として位置付けていることである。食は日常の幸福にもっとも近い領域であり、自分らしさをもっとも簡易に表現できる場でもある。したがって、食の高度化は高消費時代を象徴する価値変化のひとつであり、生活者の感性の変化が鮮明に表れる領域でもある。

 こうした質的転換の背後には、生活構造の大きな変化がある。その代表例が、共働き世帯の増加と、専業主婦世帯の減少である。専業主婦の割合は大幅に低下し、買い物回数はこれと連動して減少した。つまり、生活者は買い物に割ける時間が減り、その分、一回の買い物に求める価値が高まっている。

 ここまでみてきたように、高消費とは消費額の増加ではなく、消費の内容そのものが大きく変わる現象である。生活者は、自分の時間、自分の感性、自分の価値を中心に消費を構造化し、市場はこれに応えるかたちで変容を余儀なくされている。質的転換を理解することは、これからのマーケティング戦略を構築する上で不可欠であり、同時に、消費の未来を予測するための重要な手がかりとなる。




4. ライフスタイルの変容と「時間価値社会」の到来

 高消費時代の質的変化を理解するには、消費の背後にある生活構造そのものを捉えることが重要である。特に近年の日本社会では、世帯構造の変化が生活者の行動を決定づける最大の要因となっている。とりわけ、専業主婦世帯の急激な減少と共働き世帯の増加は、購買行動の前提を根本的に書き換えつつある。

 専業主婦世帯の比率は長期的に低下を続け、現在では例外的な世帯形態となりつつある。これに伴い、買い物にかけられる時間は全体として減少した。それまでの社会では、買い物は生活のリズムの一部であり、毎日あるいは週に複数回、店頭に足を運ぶことが可能であった。しかし現代の共働き社会では、買い物は限られた時間のなかで効率的に行うべき行為へと変質している。買い物回数が減少すれば、当然ながら一度の買い物に求める価値は高まり、それだけ判断の密度も高くなる。

 生活者が求める価値はかつてのような「便利さ」や「安さ」だけに留まらない。むしろ、買い物という行為が自分の生活にどれほど負荷を与えず、自分の価値観と調和し、心理的満足をもたらすかが重要な判断基準となりつつある。この背景には、共働き社会における時間の希少性がある。かつて家庭内に存在した「買い物担当者」がいなくなり、すべての個人が買い物を行う主体となったことで、購買は日常のなかの争奪される時間になったのである。

 さらに、店舗の役割も大きく変わった。店舗は単に商品を提供する場ではなく、生活者の購買意欲を高める体験価値を提供する場となった。店内導線の快適さ、棚の見やすさ、品揃えの適切さ、感情に寄り添う陳列など、「リアルの体験設計」が購買率に決定的な影響を与えるようになっている。情報がネットに溢れ、比較しやすくなった現代において、リアル店舗は選択の最終地点として、むしろ重要性を増しているのである。

 以上のように、ライフスタイルの変容は高消費の量的増加だけでなく、購買行動の質的変容を引き起こし、生活者の価値基準そのものを再構成する力として働いている。この構造を理解しなければ、現代の生活者の行動を読み解くことはできない。


5. 情報ジャーニーの複雑化とリアル店舗の再評価

 高消費時代を特徴づけるもうひとつの大きな変化が、情報経路と購買行動の接続構造である。現代の生活者は、購買に至るまでの情報経路を複雑化させ、多様なメディアを行き来しながら意思決定を行っている。かつて、購買の前段階はテレビや新聞といったマスメディアが担っていたが、現在ではSNS、ショート動画、口コミサイト、YouTube、ECレビューといった、多数のプラットフォームが選択の手がかりとなっている。情報の接触経路が分岐し、購買までのプロセスは「ジャーニー」と呼ばれる複雑な動線を形成するようになった。

 このジャーニーは、一見するとデジタルによる分断を生んだかのようにみえる。しかし、データ分析が示すもっとも重要な点は、情報経路がどれほど複雑化しようとも、購買行動の最終地点は依然としてリアル店舗であるという事実である。特にスニーカー購買などに顕著であるように、情報収集はネットで完結しても、最終的な購入は店頭に委ねられることが多い。これは、リアル店舗が「最終確認の場」であり、「触れる」「確かめる」「試す」という身体性に基づく判断を可能にするためである。さらに、リアル店舗にはオンライン上では代替できない空気感や期待感、納得感が存在し、生活者の最終意思決定に不可欠な役割を果たしている。

 リアル店舗の重要性が高まっている背景には、デジタル情報の増加がもたらす選択疲れと納得コストの増大がある。生活者はオンライン上で膨大な情報に触れるが、それだけでは選択を確定できず、最後の一押しとしてリアルを必要とする。リアル店舗は、その不確実性を解消し、意思決定を確定させる最後のプロセスとして機能している。つまり、デジタル化が進むほど、リアルが意思決定の収束点として重要性を増すのである。

 さらに、リアル店舗における「棚」「陳列」「エンド」の役割も、以前よりはるかに戦略的な意味を持つようになった。エンド棚はその代表的な例であり、商品との偶然的出会いや感情的な反応を促し、購買を強力に押し上げる。これは、リアルが単なる流通の場ではなく、生活者の心理を操作する場、すなわち価値を体験させる舞台であることを示している。ネット上の情報が増えるほど、リアルの物語化された棚や共感性を帯びた陳列が購買行動に介入する力を持つ。この点で、高消費社会におけるリアル店舗は、単なる販売手段ではなく、価値を可視化し、身体的体験として提供するものとして再定義されつつある。

 以上のように、情報ジャーニーの多様化とリアル店舗の役割は対立するものではなく、むしろ互いに補完しあう構造を形成している。生活者はオンラインで情報を蓄積し、リアルで納得を得る。この二重構造を理解することは、現代のマーケティング戦略において極めて重要であり、企業はデジタルとリアルを分断して考えるのではなく、むしろ両者を接続する「総体としてのジャーニー」を設計する必要がある。




6. 価値マーケティングの再構築 - 機能から価値へ、価格から意味へ

 これまで述べてきたように、高消費時代の到来は単なる景気の循環ではなく、生活者の価値観、欲望構造、情報行動、時間感覚といった複数の領域が同時に変化する構造的現象である。この構造変化の中心には、「生活者はもはや機能や価格だけで商品を選んでいない」という事実がある。高消費時代の生活者は、商品のスペック以上に、自分の価値観とどれほど適合しているかを重視し、自分らしさを表現できるか、時間や心理的負荷を軽減できるかといった、価値そのものを判断基準にしている。この点において、マーケティングの中心概念は、従来の4P(Product, Price, Place, Promotion)ではなく、むしろ生活者の価値観に深く結びついた「価値マーケティング」へと移行せざるを得ない。

 価値マーケティングの第一の要点は、セグメンテーションの再構築である。性別や年齢といった属性による区分は、その簡便さゆえに長らくマーケティングの基盤であった。しかし現代の消費行動は、属性によって説明できる部分が急速に縮小し、生活者の価値スタイルによって説明される領域が拡大している。たとえば、二十代女性という属性は共通していても、「効率に最適化された生活」を望むタイプと、「自分の感性と共鳴する体験」を求めるタイプでは、購買行動も選好ブランドもまったく異なる。したがって、現代のマーケティングは「属性で分ける」のではなく、「価値観で区分し、価値観ごとに文化を設計する」方向へと移行しつつある。

 第二の要点は、商品そのもののあり方の変化である。従来の商品開発は、機能を高め、原価を管理し、競合との比較によって優位性を確保するという枠組みで成り立っていた。しかし現代では、商品の機能そのものよりも、生活者の価値観にどれだけ寄り添い、どれだけ意味を感じさせるかが重要になる。たとえば、ある食品が「栄養バランスに優れている」だけでは生活者の心を動かしにくい。それよりも、「なぜこの食材が選ばれ、どのような背景があり、どのような物語を持つか」が生活者の価値観に響く。こうした意味づけは、単なるスペック競争ではなく、価値競争であり、商品そのものを生活者の価値世界へ接続する作業である。

 第三の要点は、プロモーションの重心が劇的に変化したことである。ネット広告、SNS、インフルエンサーといったデジタル領域が主戦場となったことで、以前のようにマスメディアを中心とした「大きな伝達」ではなく、小型で精緻な「価値観への直接伝達」が必要になった。生活者は、自分の価値観と調和するメッセージには強く反応するが、同時に、自分の価値観と一致しない情報は一瞬で拒否するようになっている。この点において、プロモーションは単なる情報の伝達ではなく、生活者の価値観の内部に入り込むための文化的・感情的装置へと変化している。

 第四に、業態を超えたリアル接点の設計が重要になっている。ドラッグストア、食品スーパー、コンビニエンスストアといった従来の業態は、互いの領域に進出することで差異を失い始めた。品揃えも機能も店舗構造も同質化しつつあるなかで、「どの業態であるか」は生活者にとって以前ほど重要ではなくなった。むしろ、店頭でどのような体験が提供され、自分の価値観がどれほど肯定されるかが決定的な意味を持つ。すなわち、業態の差異ではなく、体験の質が店舗の競争力を左右しているのである。

 第五に、流通構造そのものが再編されつつある。小売企業はPB(プライベートブランド)の比率を高め、売ることからつくることへとシフトしはじめている。メーカーは、自社の価値を直接伝えるためのD2C的チャネルを再構築し、垂直統合的なブランド形成が再び注目されるようになった。かつては、メーカーが商品をつくり、小売が売るという三層分業が明確であったが、現代ではその境界が溶け、価値を生活者にもっとも強く伝えられる主体が市場を支配する構造へと移行している。

 以上のことから、高消費時代のマーケティングとは、もはや商品や価格ではなく、価値を中心に設計される必要がある。生活者の価値観を理解し、商品を価値の運搬体として位置づけ、店舗を価値の体験場所として再構築し、プロモーションを価値の伝達装置として最適化することが求められる。マーケティングは、生活者の外側から働きかけるものではなく、生活者の内部世界と調和し、共鳴し、拡張していく営みへと生まれ変わっているのである。


7. 戦略経営の転換 - 株主価値から顧客価値へ

 高消費時代における価値マーケティングの再構築は、企業経営そのものの変革を前提としている。これまで日本企業は、財務省が推進するROE中心の「株主価値経営」を採用し、短期的な収益性の向上を目的としてきた。株主価値経営は、市場の評価を引き上げ、株価を安定させるという点では一定の効果をあげたものの、生活者の価値観が大きく変化する現在においては、もはや十分ではない。

 当社が強調するのは、企業の長期存続を決定するのは株主価値ではなく、顧客価値、すなわち生活者が「その商品やサービスにどれほど支払ってもよい」と思う意思の強さである。これをC-WTP(Consumer's Willingness To Pay:顧客の支払意思額)と呼ぶ。C-WTPは単なる価格に対する許容度ではなく、生活者がそのブランドや商品をどれほど信頼し、共感し、価値を認めているかを示す最終的な指数である。

 企業が長期的に安定して成長するためには、このC-WTPを高める必要がある。短期的な値下げやキャンペーンによって購買を促進することは可能だが、それはC-WTPをむしろ下げるリスクを孕む。生活者は、安く売られる商品を「本来の価値が低いもの」と認識し、長期的なブランド価値の毀損を引き起こす。これに対して、価値を継続的に高める企業は、価格に対する信頼を蓄積し、生活者の意思決定における優先順位を高めることができる。C-WTPを基軸とした戦略経営は、生活者を中心に据えた企業経営であり、短期ではなく長期のブランド価値形成を目指すものである。

 企業がC-WTPを高めるためには、生活者との関係を価格中心の取引関係から、価値中心の信頼関係へと変える必要がある。商品は単なるモノではなく、価値の運搬体であり、ブランドは価値の象徴として存在する。この関係構築に成功した企業は、生活者の内部に入り込み、単なる選択肢ではなく、「選ばれる存在」へと変わる。これは、高消費時代の企業生存戦略において中心的な課題である。


結論 ― 高消費時代の本質は価値社会の成立である

 本稿を通じて明らかにしたように、高消費時代とは単なる消費の復活ではなく、生活者の価値観、社会の構造、購買行動の仕組み、情報環境、店舗の役割、企業の経営理念が一斉に組み替わる「価値社会への大転換」である。物価上昇への認識が変わり、欲望が自己実現から自己超越へと進化し、生活者はモノではなく価値に投資するようになった。生活構造は時間価値を中心に再編され、情報はネットで拡散しながらリアルで収束する。店舗は体験場所へと変わり、ブランドは価値の象徴として新たな役割を担うようになった。

 このような社会において、企業が進むべき道は明確である。企業は、生活者の価値観を深く理解し、それに寄り添い、共鳴する文化を構築しなければならない。マーケティングは、価値を伝える技術ではなく、価値を創造し、育て、生活者の内部世界とつながる営みでなければならない。経営は、株主のために効率化を追求するものではなく、生活者が価値を感じ、支払う意思を持つような関係性を構築するものであるべきだ。

 高消費時代において勝者となる企業は、価値を中心に市場を再構築できる企業である。価値を理解し、価値を提供し、価値を拡張する企業こそが、生活者との長期的な信頼を築き、持続的成長を実現する。すなわち、価値社会の未来とは、価値を創り出す力を持つ企業が市場を牽引し、生活者とともに新しい文化を形づくっていく社会である。


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