【エグゼクティブ・サマリー】
本稿は、日本の米市場における価格高騰問題を、政府の備蓄米放出政策の有効性と副作用を中心に分析したものである。小泉農相による「5kgあたり2,000円」を目指す政策は、短期的にネットや一部小売店では安価な米を流通させるが、市場全体の価格に持続的な影響を与えるものではなく、むしろ高品質なブランド米の価格上昇や、生産農家の経営不安定化を引き起こすリスクがある。
本稿の中心的視点は、米市場の構造的特性にあり、JAグループが持つ「買い手寡占」と「売り手寡占」の二重支配(W寡占)が、完全競争市場と異なる価格決定をもたらしている点にある。需給モデルによると、理論的な均衡価格は1,270円(5kg)であるのに対し、店頭価格は4,268円と2,000円以上の乖離が生じている。その要因は、生産性の低さ、流通マージン、補助金や関税の副作用、そしてJAグループの市場支配力に影響され、それぞれが300~700円程度のコスト上昇をもたらしている。
備蓄米を放出しても価格が大きく下がらないのは、投機的期待や情報の非対称性による過剰な需要見通しのためであり、放出が逆に市場の信頼を損ない、乱売と価格暴落を引き起こす危険性がある。最悪の場合、生産農家が廃業し、食料安全保障を脅かす恐れもある。
今後、米市場は、コメを基軸とする「主食革命」の段階に入りつつあり、政府は目先の短期的な価格誘導ではなく、構造的・マーケティング的な政策をすすめるべきだ。
コメ5㎏2,000円台を実現。大手GMSに行列。小泉農相の実行力は凄い。
2,000円では生産農家はやっていけない、組織規範を無視している、選挙目当てなどの批判も渦巻いています。このコンテンツは、両論が生まれる背景を理解して頂けるコメ市場の産業分析になっています。
他のメディアにはないコメ市場の本格分析をご一読頂ければ幸いです。
米価問題への答え - 見せかけの成功と失うもの
「店頭価格で(5kg当たり)2,000円を実現できる」と小泉進次郎農林水産相は言い切った(23日、NHK番組)。情勢が時々刻々と変わるなかで、最適な判断をすることは難しい。しかし、それが現実である。ここでは、米価について生産農家視点を踏まえて消費者視座で言えることをまとめてみたい。
結論は、現在の政府の5㎏4,250円価格に対する批判としてとっている近視眼的政策による備蓄米放出は、ネットと店頭数の20%ほどで2,500円程度で売られるが、米の値段はほとんど変わらない。寧ろ、品質の高いブランド米は値上がりする可能性が高く「見せかけの政治的成功」とマスコミ世論は評価し、都議選と参議院選に向かう可能性が高い。
従って、低価格の米を求める消費者は嬉しいが、ブランド米などの品質を求める消費は、これまでと変わらない、あるいはさらなる値上がりによって経済厚生が下がるかもしれない。
生産農家にとっては、放出米によって、市場流通する米の供給量は、実需を大きく超えるために、在庫の売り逃げ競争によって、価格が乱高下し、1,000円台に暴落する可能性もある。従って、JAグループ(ここでは、JA全中、JA全農、農林中金などの農業組合関連の企業グループをさす。以後、JAグループと呼ぶ。)などの対応と販売先の戦略を注視し、政治に巻き込まれることなく、米づくりの高品質化に集中すべきだ。
JAグループは、マスコミによって「悪人」にされているので、ネット世論を基軸に、データに基づく応戦をすべきである。また、政府への法的対応も検討すべきだ。備蓄米放出に関し、随意契約 [1] から外されたのかどうかの確認とともに、特定業界や企業に利益供与する法的根拠を問うべきだ。
もっとも注意すべきは、実需を超える備蓄米供給による価格の乱高下を阻止し、低価格米市場を形成させることである。そして、成長するならば、参入するかどうかを決断すべきだ。
JAグループは、米市場の独占に近い寡占的供給者として、他の民間企業以上に社会的責任を持っている。しかし、米の消費者ニーズを把握し損ね、適切に市場対応できなかったことを教訓化し、政治家接近による問題解決よりも消費者志向を目指して、組合運営の基本理念とした自己革新を行うべきである。
長年、経済分析を基礎にマーケティング政策を大手消費財メーカーにアドバイスしてきた立場から言えることである。
米市場の部分均衡分析 [2] - 「W寡占」
ふと疑問がよぎった。米の価格を下げるのに、政府が備蓄米を投入し、供給量を増やして、価格が下がるのか。そもそも政府が介入して価格を統制していいのか。また、そんな簡単に価格誘導できるのか、ということだ。
備蓄米を放出すれば、市場にどんなショックを与えるのか。JAグループはどんな戦略をとるのが最適か。そして、消費者は何を選択することが賢明か。
公開され限られた情報と限られた時間の上での検討である。
米市場にはセリ場やオークション会場はない。米の生産と販売までに関与する業者間の関係で構成される。生産農家を中心に、農協などの中間業者、肥料や農機具メーカー、米卸業者、精米業者、米小売業やスーパー、そして、消費者などのプレイヤーによりなりたっている。これらの関与者が業界=産業(Industry)を構成し、様々な規制がこの業界に大きな影響を与えている。
戦前から指摘されてきたことだが、米市場では、生産農家が極めて不利になる。生産農家が零細で過剰であり、「相場価格」にもとづいて、「プライステーカー(生産農家は価格設定できない)」として行動するので、「利潤」のない、限界費用で生産しなければならない。そこに、水不足や日照不足などの自然災害で、不作になればたちまち退出を余儀なくされる。
これを解決するために、「協同組合」が形成された。農政学者としての柳田国男も大きな期待を寄せていた。それが、JAグループの元祖だ。
この組合が、生産農家が必要な肥料、農薬や農機具を「共同仕入れ」して、生産農家に提供する。さらには、生産された米を購入して、米問屋や巨大な組織小売業に「共同販売」する。戦前の東北地方の生産農家の悲惨な状況を救う方法はこれしかなかった。技術革新や大規模化は一部を除いて悉く失敗した。
この組合が巨大化し、生産農家と消費者を仲介し、組織拡大を目的とし、生産農家には買い手寡占企業として、小売や消費者には、売手独占企業として、存立しているのがこの市場の最大の特徴だ。この「W寡占」がこの市場を、完全競争市場とは異なるものにしている。これを読み解くことが、米価の行方を探る鍵を握っている。
以降では、米市場の需給均衡分析 [3]を行い、理論的な均衡価格 [4] と実勢価格 [5] の差を明らかにし、米価が高くなっている原因を把握する。そして、乖離原因を、産業構造の特性との関連で特定し、総合化する。
米市場の需要曲線と供給曲線
米市場の価格は、需要と供給で決まる。この当たり前の市場原理によって、現在の米価をみてみる(データの出所は「米の需給状況の現状について」『農水省、2025年』)。
まずは、供給状況をみると、16年間の平均供給量は769万トン、標準偏差は約64万トンと安定している。ほとんどの年次が8%以内の価格変動幅で収まる。供給曲線(図1)の形状は、右上がりで、価格が上がると生産が増えるという教科書的な曲線(直線を含む)になっている。しかし、実際は、この曲線の推定はたいへん難しい。ある意味で結論を先取りすれば、供給に影響を与える政府の補助金、JAグループの買取価格、関税などの影響を受けるからである。かろうじて、「ロバスト推計」 [6]によって、導出した曲線である。AIC [7] でみるとモデルのフィットネスは高くない。
グラフの縦軸は、「相対取引価格」 [8] といわれるもので、5㎏当りの卸価格である。従って、1,300円の相対価格は、中間流通のマージンを40%と想定すると、小売価格は2,167円になる。ここでは、4,250円が高いと批判されているので、卸価格では、2,550円になる。過去には、この価格での取引実績がないのでグラフでは目盛りがない。供給の価格弾力性 [9] は、1.1-1.2と少々高く、価格が1%上がると供給量がほぼ1.1-1.2%増える。

次に、需要状況をみると、平均需要量は、約764万トン、標準偏差は45万トンと安定的である。ほとんどの年次が6%以内の価格変動幅で収まる。需要曲線(図表2)の形状は、非線形(2次多項式) [10]で表され、価格が低下すれば需要が増えるという関係が伺える。しかし、5㎏当りの価格が1,200円で底をつき、需要量が約785万トンを越えると需要が価格以外の要因で上昇する傾向が見られる。総じて、米の価格弾力性は低く、価格が1%下がっても数量は0.3%しか増えない「かなり非弾力的」である。
ここで、需給分析の基本が揃ったが、確認したいことは、供給曲線もかろうじて推定できたほどで、需要曲線は、非線形の2次多項式が推定され、特殊なものになった。
これは、データが年間の均衡後であるので、「同時方程式バイアス」 [11] を受け、需要曲線で右下がりにはならないようなった可能性も考えられる。また、価格変動と数量変動の幅が小さく、よく安定している反面、分析しにくいという面もある。こうした分析上の課題に加えて、推定を困難にしているのは、様々な補助金などの政府介入とJAグループの寡占的な市場支配力の大きさである。以後、分析をすすめる困難さを留意して頂きたい。

米市場の部分均衡分析
供給曲線と需要曲線の導出によって分析したいのは、市場の均衡点であり、価格と数量である。この理論から推定された価格と現実の価格との差からその要因を分析できるからだ。実際に、米の需給曲線を描いた(図表3)。需要曲線が異なって見えるのは、描写スケールを調整したからである。
この分析は、幾つかの限界はあるが、現在のところ公表されているデータからはこれが限界である。この図表からふたつのことを指摘する。
「右上がり需要曲線」。需要曲線の数量軸を延長すると、「価格が上昇すると需要量が増える」という効果が現れる。これは「ヴェブレン効果 [12] 」や政府の数量調整などの影響だと思われ、需要が「歪んでいる」ことが確認できる。
「均衡点は複数ある」。需要曲線が2次関数で、供給関数が線形であることから、均衡点はふたつ現れる。しかし、均衡点(約1,770円、1,130万トン)は、観測値のない外挿域であり、価格が少し変われば均衡から外れる不安定なものである。もうひとつの均衡点(約1,197円、760万トン)は、観測域であり、安定的である。従って、この均衡点が理論値とみなせる。
完全競争市場 [13] では簡単に導きだされる均衡が難しい理由は、この市場が政府の補助金や参入規制で大きな影響を受けるとともに、先に確認したとおり、JAグループが寡占的な市場支配力を持っているからである。従って、外的要因が多くて、変数のコントロールが難しい。従って、均衡価格や数量は、後述する業界構造の特性を加味して理解する必要がある。

2025年度のコメ需要
2025年のコメ市場はどうなるのか。今年度の市場を推測してみる。
2025年度は、消費者への「内食」への転換、米需要の多用途化、インバウンド増加(約4,000万人のコメ消費)などを想定し、需要(数量×価格)が10%増加したとする。この場合に、先の需給均衡モデルを使えば、価格と供給量が推測できる。
約760万トン → 約 840万トン (+16%)
約1,200円/5kg → 約1,270円/5kg(+14%)
因みに、今年の予定供給量は、前年の40万トン増の約790万トンである。さらに、備蓄米は、100万トンを目標にし、民間在庫も179万トンと推定されている。つまり、仮想的には、今年度市場に供給される可能米量は、1,069万トンである。
理論均衡価格が、1,270円/5㎏(小売2,270円)であり、均衡量が約840万トンに対し、約250万トン以上の流通在庫や備蓄米がある。この過剰供給の状態では、米は値下がりするのが自然だ。しかし、実際は、値上がりしているので、米需要が「投機的」性格を帯びていることは確かだ。
ではなぜ、価格は下がらないのか。スーパーの4,268円(5月5日~5月11日、農水省POSデータ)との約2,000円の乖離はどうして生まれてくるのか。
ここからは、市場を抽象的に捉える経済分析では捉えがたい。産業分析とマーケティング分析が必要になる。
米業界を支配する農協
米市場とは、抽象的な分析で、実際は関与者が取引と交換を行っている場(spot)である。地域の卸市場や中央卸市場などでセリ落とされる食品は限られている。大半は、生産者と消費者の間に、多段階で多層の関与者が介在している。
米業界は、生産農家、農協などの中間業者、肥料や農機具メーカー、米卸業者、精米業者、米小売業やスーパー、そして、消費者などのプレイヤーが関与し、政府などによる様々な規制がある。
米業界は、生産量が約800万トン、売上1兆円であり、毎年、米需要の減少を背景に、減反政策 [14] 及び他の農産物への転作推進によって微減する傾向にあった。しかし、昨年来の輸入物価の上昇によって、生産コストが高まり、悪天候による不作、他方で、インバウンド需要の伸びによる需要増を背景に、突然、米価が倍以上値上がるという事態が生じている。
この業界の特徴は、米という農産物を生産することにある。米は、種まきから収穫、乾燥、精米というプロセスを経て行われる。主な作業は、田んぼの土づくり、苗の育成、田植え、稲の管理、そして収穫である。特に、地域では水の共同管理が重要になり、地域的つながりの基盤となってきた。そして、このプロセスは、天候などの自然環境に大きく左右される。特に、水問題は大きな影響を与える。
経済的には、「収穫逓減の法則 [15] 」が作用し、資本や労働を投入しても、生産性があがらず、規模拡大が難しい。土地当たりの収穫量を最大化するITやAIなどの技術革新も、現在のところは「収穫逓増」に繋がる可能性は低い。
この業界の特徴は、JA農協などの「農業協同組合」が大きな役割を果たしていることである。
生産農家は、農地を持ち、農機具と肥料を購入し、土作りをする。そして、種苗メーカーの支援で苗作りをして、農機具と人海戦術で苗を植え、水の管理を24時間行い、農薬で雑草を取り除き、収穫をし、脱穀し精米して、出荷する。このプロセスには、様々な農機具、肥料や農薬、燃料や電気などのコストがかかり、蓄えを使ったり、収穫を前提に借金をしたりする。この過程に、少しでも、天候不順、器具や燃料などの値上げが加わると、経営は立ちゆかなくなる。戦後の日本は、農地解放によって小規模農家が増えたことによって、零細で過剰な生産者が多数を占めた。
それを救済するために、肥料などの共同仕入、作業の集約と協同化、そして、共同販売のための組織がつくられた。それが「農業協同組合」である。この組織は、巨大化し、金融業界などあらゆる周辺関連業界に参入した。同時に、組合員が多く、共通利害を持っているので、官僚及び政治と強く結びつくようになった。現在では、「農水族」と呼ばれる農協の利益を擁護する議員が多数いる。
その結果、この業界を規制する法律は多岐に亘り、複雑化し、支援代行する業務を農協が行うという仕組みになっている。
例示すれば、そう簡単には、生産農家にはなれない。生産用の農地は、税金が低く、他方で、販売も難しく、商業用には転用できない規制になっている。農家ではない人が農業をするためには、農地を手に入れなくてはならないが、実質的に、農家ではない給与所得者が参入することは極めて難しい。現在の農業人口は、高齢化が進み、担い手の平均年齢は68.4才(農水省調べ)である。それにも関わらず米生産への参入は難しい。他方で、参入を自由にすれば、米づくりの水利用などの地域協力性が失われる可能性も生まれ、地域的な絆を崩壊させる可能性もでてくる。
このように、農業を規制する法律は多岐にわたり複雑で利害が入り組んでいるので、そう簡単には進まなくなっている。
農協の巨大な市場支配力 - モノプソニーとオリゴポリー
この農協は、経済的には、生産農家から集荷して48%を購入する買い手独占である。1980年代は90%以上と言われていたので、JAを通さず直接販売する農家が増えている。しかし、それでも独占に近い買い手寡占であることに間違いない。買い手独占では、自社の単位当りの限界仕入れ利益を最大化するために、より安くより少なめに仕入れることが最適行動になる。
売り手面では、主食用米の約40%(2022年)は、JA農協と推定されている。従って、ここでは、「売り手独占」の顔を持ち、消費者には「売り手寡占」、つまり、JA農協以外からは買えない状況があることを示す。売り手(生産)独占では、自社の「限界収入」 [16] 曲線と消費者の需要曲線の交点で、価格が設定され、完全競争よりも、より少なく生産し、より高く価格を設定することが合理的になる。消費者には不利である。
このことから、JA農協の消費者向け販売価格は、利益を最大化するために、少なく販売し、高く売るとともに、買い手としては、安く購入し、より少なく販売することになる。
それは、JAのように「買い手寡占(モノプソニー [17] )」かつ「売り手寡占(オリゴポリー [18] )」という二重の市場支配力を持っていることを可能にすることである。
これは、明らかに、公正取引委員会の「独占禁止法」に抵触する可能性があるが、米価が比較的低位安定し、農業問題として指導対象が「協同組合」なので注目されてこなかったのであろう。

均衡理論値 [19] との乖離要因
2025年の均衡理論値を(約 840万トン、約1,270円/5 kg)とするとスーパー価格は2,170円になる。しかし、スーパーでの測定値は、4,268円と約2,098円の差がある。この差は、何によって生まれているのか。
先のJAグループのW寡占状況、多段階性、政府の転作奨励策(「水田活用の直接支払交付金」など)や補助金や高い関税などが考えられる。これらの構造要因を成立すると、次の四つに整理できる。それぞれの2,000円差の内訳の推定も以下のとおりである。

このような業界構造的な実態要因に加えて、先に確認したように、情報の非対称性 [20] に起因する業界全体を覆う投機的性格が拍車をかけている。つまり、すべての関与者が需要は多くなると予測し、過剰期待にもとづいて行動している、ということである。この過剰期待を、流通、そして、JAグループの様々な関与者が共有していると推測できる。
従って、これらの要因を解除して、米市場が完全競争の市場のように、生産者余剰と消費者余剰が最大化されるには、根本的に、W寡占状況を変えていかねばならない。しかし、生産農家を救済する協同組合以外の方法もなければ、日本の農業を知らない外資に売却して民営化で生産農家を救済できるはずもない。
これらは、明日、改革できるものは何もない。法案などの改正が必要になり、立法府が担い、農林水産省が行政として進めるべきものである。
従って、米の値段を下げるには、米の供給は十分足りていることを示し、米へのバブル期待をうまくソフトランディングさせねばならない。しかし、1991年の地価下落のように、マスコミ世論の後押しでバブル期待を一挙に潰しすぎると、長い長い失われた年月が続くことになる。
値下げ対策としては、備蓄米を供給するようなボヤにガソリンを巻くようなことをせずに、9月の新米の発売時に、店頭に山積みにし、供給体制の万全性をシグナリングすればいい。そして、JAグループの小売段階への価格拘束を、公正取引委員会に委ねるという方法をとるべきだろう。構造的には、JAグループの寡占的な市場支配力を公正化する自己革新を促すべきだ。
備蓄米の放出で価格は下がるか
現在の米市場を経済及び産業構造分析してきた。ここで、改めて、小泉農林水産大臣のとっている値下げ策について検討してみる。値下げ策は、以下に集約できる。
・売り渡し価格(玄米60㎏) |
10,700円(税抜き、前回比47%安く) |
・売り渡し量 |
22年度産20万トン |
・売り渡し対象 |
年間1万トン以上扱う大手小売業者 |
・買い戻し条件 |
なし |
・輸送 |
小売業者が指定する場所まで国が輸送 |
・目標 |
6月上旬にも5㎏2,000円(税込み2,160円)店頭 |
・申し込み方法 |
先着順として大手50社程度を想定 |
恐らく、小泉農相は、次のように信じている。
答えは簡単で、右下がりの需要曲線に対し、価格が3,000円になるように、供給量を増やせばいい。備蓄米の投入で、需要曲線が3,000円のところになるよう供給量を調整すればよい。恐らく、100万トンほどを投入すれば、価格は3,000円を切る、と。
備蓄米投入施策で、米の値段は下がるだろうか。
実際に、先の需給状況から、実務的に、従属変数を価格/5㎏とし、独立変数を需給ギャップ(=需要量―供給量)で回帰させると、説明力の低い(0.44)回帰式が得られる。結果は、短期的には、「30万トンの放出で約100~300円下がる」という結果だった。これは、今回投入予定されている量である。他方で、これを投入すれば、需給均衡が不安定になり暴落に繋がりかねない。備蓄米を全部放出すれば、もう1度だけ30万トン放出できる機会はある。この投入はさらに暴落の引き金となる。
小泉農相の狙う3,000円にするには、およそ625万トンの備蓄米が必要だ。備蓄目標が100万トンなので到底足りない。足りれば必ず暴落する。
恐らく、全国のスーパーなどの店頭の5%程度には2,000円代で売られる米が登場する。しかし、JAグループが合理的な判断と選択をすれば、スーパーには、ブランド米と廉価米のコーナーが生まれ、皮肉なことにこれまで以上に高いブランド米が品揃えされるようになるだろう(後述)。結果として、物価統計にあらわれる米価は下がらないと推測する。残念なことに、物価統計で変化なしと判断されるのは、参院選後になりそうだ。
備蓄米投下で米価が下がるという答えは、経済しか知らない専門家に多い。問題は、市場とは抽象的なブラックボックスとして、経済学では済むが、実際の市場とは、多くの関与者が現場で行う取引関係であり、それを解明しないと現実は動かないということだ。従って、国家公務員試験になく、官僚になっても勉強しない「産業分析」や「マーケティングツール」がなければ答えは出ない、ということだ。
個人的には、経済学的裏付けのある産業分析とマーケティングツール開発を目指してきた。因みに、逆も真で、経済学的裏付けのある産業分析とマーケティングツールは単なる思いつきにすぎない。
超過供給による乱売で生産農家を廃業に陥れる危機
小泉農相の米価政策が最悪を招く危機もある。それが乱売シナリオだ。
これまで整理してきたように、25年度は、24年度産を中心に、790万トンの出荷が予定されている。これは、理論均衡数量の760万トンを、約30万トンを上回っている。それにも関わらず、理論均衡価格を大きく上回っているのは、先に確認した四つの構造があるからである。同時に、この構造の結果として、各主体が、過剰に、需要予想し、流通在庫を持ち、多段階で値上げしているからである。しかし、今年度に実現される需要は、約760万トンに過ぎない。供給予定量に対して、30万トン過剰である。
小泉政策は、このバブルを潰すために、さらに30万トンを放出することを意味する。仮にこの放出がバブル崩壊の契機となるならば、流通在庫の投げ売りが始まることになる。多くの関与者は、価格が下がる前に、売り逃げることが最適になる。そうなれば投げ売りが投げ売りを呼び、乱売が始まることになる。これは、金融危機と同じメカニズムだ。金融危機は、様々な指標が金利などの指標で情報が透明性を持っている。しかし、米の情報は、JAグループが主に把握しているので、誰がいくらで投げ売りをしているかはわからない。このような情報不足市場では、口コミやうわさで市場が動く。こうなれば、収束させることが困難になる。
最終的に、売り逃げできないのは、JAグループと生産農家ということになり、生産農家が採算をきる米価になれば、米の供給システムは大打撃を被ることになる。それは日本の食料安保、そして安全保障を害することになる。しかも、緊急時の備蓄米を放出しているので話にならない。
JAグループの対抗戦略
JAグループは、小泉農相の米価政策にどう対抗すればよいか。
基本的な答えは、法的対応の上での「無視」である。小泉農相には、マスメディアウケする「ルッキズム、そして、無知の信念」がある。映像対決では誰も勝てない。総裁選で、2週間で支持を失ったのは、テキストベースのネットメディアだからだ。「ケネディ」に選挙で敗れた「ニクソン」と同じだ。ニクソンは、テレビ映りで負けたが、最終勝者は、歴史を書いたものだと嘯いた。小泉に勝てるのは、「滝川クリステル」しかいない。
従って、静観がベストだ。
大手スーパーとの随意契約 [21]の法的根拠はない。利益供与に当たる可能性を否定できない。政府の随意契約を追求し、正々堂々と対抗すればよい。主張すべきは主張し、農家組合員の利益を守り、米の仕入から販売までの業務を遂行すればよい。
具体的な市場対策としては、独禁法に抵触しない寡占の市場支配力をつかって組合に有利な施策を展開すべきだ。
備蓄米の2,000円の低価格戦略に対し、ふたつの対抗戦略がある。
ひとつは、政府の備蓄米放出を契機に、同じく低価格戦略の採用である。備蓄米に勝てる低価格戦略をとることである。買手寡占のパワーを利用して、ブランド米を含めてコストリーダーシップを発揮し、需要拡大を前提に低価格戦略をとる。そして、低価格備蓄米を撤退、市場から退出させる。備蓄米を扱う大手組織小売業は、低価格米で収益を獲得しようとは思っていない。マスコミ報道での露出を狙っている。つまり、宣伝広告である。従って、備蓄米が底をつけば、100万トンもない兵糧もすぐ底をつき、競争継続は困難になる。
ふたつ目は、高価格の品質差別化戦略を採用することだ。JAグループの米は、「少々高くても、新鮮で美味しい日本の自慢の米シリーズ」などと、新米、24年産のように、生産年を訴求し、地域ブランド米を強調し、世界で承認された日本産があなたにはぴったり、と自己承認欲望に訴える。すなわち、品質違いを訴求し、米市場に中価格米市場を創造する。そして、スーパーの米売場での店頭シェアを最大化する。低価格米セグメントを分離し、最小化し、閉じ込める戦略である。低価格米と中価格帯米の選択によって、消費者が中価格帯米を買いやすくする。うな重で「松竹梅」を準備し、竹以上を選びやすくし、選んだことを賞賛する手法である。
さて、このふたつの戦略をコストベネフィット分析し、戦略を採用すればよいが、JAグループがマスコミから批判されやすい情況にあることを考えれば、ベストな戦略は、より高い収益をもたらす可能性のある「品質差別化戦略」である。庇を貸して母屋をとられる [22]ことのないように、敵に塩を送り、長期利益を得ることだ。
この戦略の成功の条件は、取引先の流通の選別である。低価格米を扱いたい大手組織小売業には、JAグループが圧倒的な支配力を持つ生鮮三品、特に、野菜や魚がある。
食品スーパーやGMSは、生鮮三品の品質の高さで判断される。それを市場支配しているのがJAグループだ。集荷、選別や加工、配送なども含めて圧倒的な強さであり、大手組織小売業に「センター納品」できるのはJAグループの強みだ。
つまり、公取法に抵触しないように、米との包括販売をしているのが現状だ。しかし、現状のJAグループは、取引先を選別し、重点化はしていない。この選別を強めることによって、取引先に競争力のある生鮮三品を優先提供すれば、競争力に寄与できる。他方で、優先化されない取引先は、競争力を失うことになる。
ここで、大手組織小売業との交渉が生まれ、JAグループの売場提案や要請を受け入れてくれる。この交渉力は、生鮮三品の品揃えが充実していない楽天グループ、ドンキホーテやアイリスオーヤマなどのホームセンターには効かないが、大手のGMSや食品スーパーには有効だ。自社のJAグループの市場支配力をうまく生かすことが成功の条件になる。
小泉農相が、拙速な政策をとったお陰で、JAグループは、戦略的には極めて自由度が増えたとみるべきである。高齢者は「泣く子には勝てない」。
静かに進む食革命
米価の問題を、政治絡みで考えがちになる。しかし、米価5,000円は、米業界の寡占的構造と需要の楽観的な見通しが生み出した「バブル」(実体のない過剰需要)が大きい。従って、マスコミが沈静化すれば、需給調整が行われ、価格が安定したはずである。
賢い消費者なら、この騒動が、コメの低価格ラインを生み、選択の自由を拡げて、効用をアップさせることに繋げる。そして、短期ではなく、長期に信頼できる美味しい米を選ぶはずだ。乱売によって米農家を離脱させることは、日本の安全保障を低下させることに繋がる。
長期的な構造視点でみれば、インフレや長期金利引き上げを契機とする積極消費への転換、食に自己実現を求める層の増加や物価上昇による米を活用した節約、グローバルな和食ブームなどを踏まえると、米市場は、新たな成長段階に入ったという見方ができる。米離れの終焉による新たな米主食革命期である。
このような構造転換が消費者主導ですすむには、財政規律の名のもとに、財政均衡 [23]のみを目睹する政策を推進し、社会保障の受益を減らし、負担を増やし、さらには、消費税増税を狙おうとする財務省的な政治の流れを断たねばならない。これはまた稿をあらためて、「失われた30年は、節約消費によるものであり、それはこの30年間、消費が浮上するたびに増税負担増ペナルティを与え続けてきた財務省にあり」で論じたい。
現在の米市場の実需を超えた、投機的な価格は、近い将来の主食革命の先取りであり、予兆であると言える。
米が高いことに、目を向けることも大切だが、その背後にある消費者の価値観、行動に着目し、消費者の変化を見極めるべきである。消費の長期時系列変化の視点から稿を変えて論じる。
最後にジョークをひとつ。「コメが高いならライスを食べればいいじゃないですか」と言い放って欲しかった。「コメの減価償却」ではビジネスマンしかうけない。実行よりも放言が似合う大臣だ。経済が、「ルッキズム(見た目)だけの無知な信念」政治に従う時代は暮らしにくい。
【脚注】
[1] 随意入札
競争入札を行わず、発注者が任意に契約相手を選んで契約を結ぶ方式。透明性や公正性が問題視されることもある。
[2] 部分均衡分析
経済全体ではなく、ある特定の市場や財にしぼって、需要と供給の関係から価格や取引量を分析する方法。
戦略的マーケティングのためのミクロ経済学入門 第1章 需給均衡の考え方:需要と給が生み出すゴールデン・クロス部分均衡分析のエッセンス
[3] 需給均衡分析
ある市場での需要と供給の関係から、価格と取引量がバランスする点(均衡点)を探る経済分析の方法。価格が調整役になる。
戦略的マーケティングのためのミクロ経済学入門 第1章 需給均衡の考え方:需要と給が生み出すゴールデン・クロス部分均衡分析のエッセンス
[4] 均衡価格
市場において需要量と供給量が一致する価格のこと。売り手と買い手の意見が一致し、取引が安定する水準を指す。
[5] 実勢価格
市場で実際に取引されている価格のこと。理論的な価格ではなく、需要と供給、交渉、タイミングなどで決まる現実の価格。
マーケティング用語集 オープンプライス
[6] 「ロバスト推計」
統計分析においてデータに外れ値や仮定の違反(例:正規分布でないなど)があっても、推定結果が大きく影響を受けず、安定した推定ができる手法。通常の最小二乗法(OLS)が誤差に敏感なのに対し、ロバスト推計は分析結果の信頼性を高める目的で使われる。
[7] AIC
(Akaike Information Criterion、赤池情報量規準)は、統計モデルの良さを評価するための指標。モデルの「当てはまりの良さ」と「複雑さ」のバランスを取って数値化する。数値が小さいほど、データに対して適切で無駄のないモデルとされる。モデル選択の際によく使われる。
[8] 「相対取引価格」
公開された市場価格ではなく、売り手と買い手が個別に交渉して決める取引価格のこと。卸売や業者間取引で使われることが多く、取引量や関係性によって価格が変動する。
[9] 供給の価格弾力性
価格が変化したときに供給量がどれだけ変化するかを示す指標。たとえば弾力性が1.2なら、価格が1%上がると供給量が1.2%増える。値が大きいほど供給は価格に敏感。
[10] 非線形(2次多項式)
直線ではなく曲線で表される関係を示す式の一種。たとえば「y = ax² + bx + c」のように、変数に2乗(²)が含まれることで、関係がまっすぐではなく、曲がった形になる。価格や需要の変化が一定ではないときに使われる。
[11] 同時方程式バイアス
経済モデルで複数の変数が同時に互いに影響し合っているときに、通常の回帰分析を使うと推定結果がゆがんでしまう問題。たとえば、価格が需要に影響を与える一方で、需要も価格に影響するような場合に発生する。
[12] 「ヴェブレン効果」
ヴェブレン効果は顕示効果ともいい、米国の経済学者・社会学者、ヴェブレンが「有閑階級の理論」(1899)の中で、黄金狂時代の米国の有閑階級に特徴的だった、「見せびらかし」の消費(顕示的消費)について言及したことに由来している。高額ブランドを購入する心理の説明としてよく使われる。
マーケティング用語集 バンドワゴン効果、スノッブ効果、ヴェブレン効果
[13] 完全競争市場
売り手も買い手も多数存在し、すべての参加者が価格に影響を与えられず、同質の財を取引する理想的な市場のこと。情報は完全に共有され、参入や退出も自由とされる。価格は需要と供給だけで決まる。
[14] 減反政策
米などの農作物の過剰生産を防ぐために、農家に作付面積を減らすよう国が促す政策。作付けを控えた農地には補助金が支払われる仕組みで、1970年代から日本の農業政策の中心だった。
[15] 収穫逓減の法則
生産要素(例:労働や肥料)を追加しても、ある時点からその増加分あたりの生産量(収穫)が次第に小さくなるという経済学の法則。土地などの固定的資源に対して過剰に投入すると効率が下がる現象を説明する。
[16] 「限界収入」
財やサービスを1単位多く販売したときに得られる追加の収入のこと。価格が変動する市場では、限界収入は販売価格より低くなることが多い。企業の生産・販売判断に重要な指標。
[17] モノプソニー
買い手が1社しか存在しない市場構造。たとえば、特定地域において唯一の企業が労働者を雇う場合、その企業が賃金や雇用条件を一方的に決める力を持つ。独占(売り手が1者)の逆の概念。
[18] オリゴポリー
少数の売り手が市場を支配する構造。企業同士が互いの価格や生産量の動向を意識して行動するため、競争と協調の両面を持つ。自動車、通信、航空業界などが典型例。
[19] 均衡理論値
需要と供給の経済モデルに基づいて理論的に導かれる、価格や取引量の均衡点の数値。実際の市場価格(実勢価格)とは異なる場合があり、構造的なズレを分析する基準となる。
[20] 情報の非対称性
市場の参加者間で持っている情報に差がある状態のこと。たとえば、売り手が商品の質を知っていて買い手は知らない場合などで、公平な取引や適正な価格形成が妨げられる原因になる。
情報ディファレンスによる差別化-情報のマーケティング
[21] 随意契約
競争入札を行わず、発注者が任意に特定の相手を選んで契約する方式。公正性や透明性が課題になることがある。
[22] 庇を貸して母屋をとられる
少しの好意や譲歩がきっかけで、相手に主導権や大事な部分を奪われてしまうことのたとえ。油断の危険を戒める言葉。
[23] 財政均衡
政府の歳入(税収など)と歳出(支出)がつり合っている状態のこと。赤字や借金を増やさずに財政を安定させることを目指す。
【主要参考文献・資料】
- 松田久一(2020)、「マーケティング・プラットフォームで農業を成長産業に -アフターコロナの産業基盤」、https://www.jmrlsi.co.jp/menu/mnext/d01/2020/agrimarketing.html
- Mas-Colell, Andreu, Michael D. Whinston, and Jerry R. Green. 1995. Microeconomic Theory. New York: Oxford University Press.
- ポーター(1985)『競争優位の戦略』
- シャピロ, バリアン(1999)『情報経済の法則』
- Shy, O. (1996). Industrial organization: Theory and applications.
- 小田切宏之(2001)『新しい産業組織論』
- 資料などは、主に、農林水産省https://www.maff.go.jp/index.htmlより。
- 「2024年消費社会白書」JMR生活総合研究所 マーケティング関連の参考文献資料は、「MNEXT」など松田久一(2020)、「https://www.jmrlsi.co.jp/」
情況の戦略判断シリーズ - 連載構成
- 1.シリーズ展開にあたり 一寸先は闇での戦略判断 (2025.02.27)
- 2.減税政策は人気とりのバラマキ政策か (2025.02.27)
- 3.トランプを支えるネット世論 - 正体は「ルサンチマン」 (2025.02.27)
- 4.値上げ安堵に潜む日本ブランドの危機 (2025.03.10)
- 5.関税政策に日本企業はどう対応すべきか (2025.03.04)
- 6.なぜ、「外国人」社長が大手企業で多くなるのか - コーポレートガバナンスの罠 (2025.03.17)
- 7.中国メーカーの多様化戦略への対応 (2025.03.24)
- 8.ポートフォリオ戦略からダイナミック・ポートフォリオ分析で統合経営へ (2025.04.21)
- 9-1.トランプ関税の正義、賢愚、そして帰結 - ポストグロ-バル経済と自由貿易体制(上編) (2025.04.21)
- 9-2.トランプ関税の正義、賢愚、そして帰結 - ポストグロ-バル経済と自由貿易体制(下編) (2025.05.23)
- 10.なぜ井上尚弥選手はダウンしたのか (2025.05.07)
- 11.トランプ関税を裏づける「購買による征服」の理論 - 安全保障の論理 (2025.05.09)
- 12.自分で火をつけ自ら消火して英雄に - トランプ関税の顛末 (2025.05.14)
- 13.寡占米市場の高い米価の行方 - 値下げ政策の賢愚 (2025.06.02)