連載 情況の戦略判断シリーズ

関税政策に日本企業はどう対応すべきか

2025.03.04 代表取締役社長 松田久一




関税政策に日本企業はどう対応すべきか

 アメリカの関税政策が、メキシコ、カナダ、中国に対して発令される。戦後、自由貿易を推進してきたWTO体制への反動である。

 経済学者はもちろんマスコミも「狂気の沙汰」の論調である。しかし、トランプ大統領の政策はわかりやすい。戦後、推進されてきた自由貿易体制でもっとも恩恵からはずれたのは、アメリカ中西部の「ラストベルト」地域に多い白人労働者層であり、全土に取り残されたグローバル経済の敗者=犠牲者である。トランプ政策は、このグローバル経済の敗者の利害が最大になることを「公正=正義」とみているからだ。この論理は「ロールズ」の正義論に近い。この視点を見失うとトランプ政策は見えない。製鉄業、鉄鋼業などの職人気質の白人労働者の職を保護しようと考えている。しかし、アメリカの大手自動車会社の多くがメキシコなどの対象国に生産を移管しているので、自動車の経営層にメリットはなく、現在の職を守り、将来の再投資へ誘引しようとしている。

 なぜ、トランプは、自由貿易よりも保護政策をとるのか。

 リカードの比較生産費説以降、資本や労働力などの要素賦存の異なる国は、比較優位にある商品を輸出し、比較劣位にある商品を輸入した方が、消費者余剰(消費者が安く多く購入できる額)は高まることが、理論的には明らかにされ、それが自由貿易推進の根拠となってきた。

 しかし、現実には異なることが起こる。アメリカは、メキシコなどよりも、要素賦存で、労働力よりも資本が多い。従って、自動車などは、アメリカで生産した方が比較優位の理論にかなっている。しかし、実際は、自動車等の輸出市場では、相対的な比較優位ではなく、絶対的な価格競争が行われ、量産効果の大きい商品では、メキシコ立地が競争力を持つ。有機EL、半導体などもこのような特性を持っている。アメリカの鉄鋼や自動車産業が、競争優位を失ったのは、国際競争と収穫逓増の法則が支配する産業だからである。いわば、理念的政策の犠牲となった産業である。日本でも、鉄鋼、自動車産業やエレクトロニクス産業で、同様のことが起こっている。さらに、産業のコメとなった半導体などは安全保障に関わるようになった。

 トランプの関税政策は、どういう効果をもたらすか。当初も、関税前の輸入が拡大し、逆の現象が起こる。そして、自動車なら新車販売の影響が大きく出る。関税が20%なら当然、販売価格が20%上昇し、需要の価格弾力性を踏まえると、需要量は、15%ほど減少する。自動車メーカーは、15%の売上減少となり、政府は20%の関税収入を得る。消費者からみれば、20%の値上げになる。

 この例からも明らかなように、アメリカの物価は上昇し、輸入は減少し、貿易赤字は減少する。その結果、ドル需要を減少させ、ドル安が進行することになる。マクロでみれば、アメリカ経済のインフレは上昇し、国内需要は減少する。当然、誘導利子率は下がり、これもドル安に繋がる。さらに、世界経済の成長率を下げることになる。

 日本にとってみれば、世界経済の成長率のマイナス効果の影響を受け、円高に誘導されることになる。産業では、自動車産業が影響を受ける。自動車の部品輸出市場の需要減少、メキシコやカナダ経由でのアメリカ輸出が減少し、自動車メーカーは業績悪化に繋がる可能性が高い。円高は、輸入物価を下げ、インフレを抑制し、誘導利子率をあげる条件が生まれる。これは、過剰な円安を是正する効果を持つ。

 円高は、エネルギー関連や小売業などの輸入企業にメリットをもたらし、部品や自動車などの輸出企業の価格競争力を下げる(下図参照)。

アメリカの関税政策の影響

 

  物価

  国内景気

  雇用

  金利政策

  為替

  株価


アメリカ
自動車

  インフレ
  値上げ

  下押し
  需要減

  下押し
  上昇

  利下げ

  ドル安

  下落
  下落


日本
自動車関連

  インフレ抑制
  値下げ

  上向き
  需要増

  増加
  ―

  利上げ

  円高

  下落 上昇
  下落




 さて、この情況に、日本政府はどう対応するのか。カードをもつのにカードにない交渉で「お願い」の向きである。首相訪米で何も知らされず、丸腰でアメリカと交渉とは、戦後の典型的な自民党の外交政策である。対抗関税は、日本にとって不利なのでとる必要はない。しかし、アメリカの最大の国債保有国は日本である。これは、アメリカの金融を揺さぶる、「きれない」カードである。国債の暴落で、国際的な金融恐慌への引き金になりかねないからだ。しかし、軍事力はなくとも、示すべきカードだ。

 結局、アメリカに「お目こぼし」をお願いするしかない。自動車や鉄鋼業界には気の毒だが、日本の政治リスクと地政学を考えずに、グローバル経済化にのった結果である。

 自動車や鉄鋼などの個別産業はさておき日本の企業は、どう情況を見て判断すればよいのか。特に、メーカーなどのサプライヤーは、関税政策をどう戦略判断すべきか。

 基本的には、輸出市場においては、円高傾向を含めて、低コスト競争から価値拡張へ転換し、海外投資から国内重視への転換だろう。アメリカ向けの生産を、国内に振り向けや国内事業の多角化をより一層早めることも大事だ。何よりも、高収益の源泉で、関税などの政府に左右されない自社ブランドの再生への取り組みを優先すべきだ。特に、そのための流通チャネルへの再投資をすべきだろう。

 海外戦略に関しては、世界経済のサプライチェーンの再編が進むことを念頭に置き、日本中心の垂直分業に転換すべきだ。トランプの関税政策は、一時的な思いつきではない。戦後のグローバル経済での各国敗者の利益に基礎を置いている。それは、最近のドイツの選挙結果にみられるように、自国の敗者の勢いが増している。行き過ぎたグローバル経済化、極端なエネルギー政策、移民受け入れなどの「多様性」の推進などで、自国の中流層や人種的マジョリティの利益を軽視してきた。こうした「リベラル政策」への反発が世論の根底にある。従って、トランプ政権4年の短期政策ではないと考えた方がよい。21世紀の世界の貿易体制は、各国の多様な利害が衝突する戦略的貿易体制へ移行するとみるべきだ。もはや、一枚岩の自由貿易体制はあり得ない。

 これらを踏まえると、国内市場は、仮に事業ポートフォリオ戦略のような見方をすれば、「刈り取り」や「負け犬」市場ではなく、極めて重要な投資対象であることを意味する。国内市場をセグメントし、選択すれば、より明確になる。消費市場では、生きがいややり甲斐を求め、高収入を得て、資産運用している消費に好意的な価値セグメントへの価値提供を「スター」に位置づける必要がある。その価値セグメントは少子高齢化のなかで年率5%以上の人口成長率で、シンガポールより人口が多い。

 この新中間層に向けて自社のブランドをリポジショニングし、組織小売業ではなく、自社のマーケティングチャネルで再生させることがもっとも大きな課題だ。持続的な高収益を保証してくれる。

 アメリカの関税政策の始まりは、日本企業にとっては、自社が長年築いてきたブランド再生の重要性を気づかせてくれる。