トランプ関税は戯言か
トランプの「気まぐれ」で世界経済は大混乱、すべてを二国間のディールで取引しようとする。日本は大変な迷惑だ。下手をすれば、自由貿易のシステムは破壊されてしまう。しかし、トランプの残り任期は4年間弱あるので、なんとか我慢するしかない。マスコミ世論の大勢は、こんなところだろう。実際、トヨタは、今期純利益35%減で実害がでた。
トランプの「狂人理論」がまかり通り、就任後の人気も39%(ワシントン・ポスト紙)まで落ちて、歴代最低記録だと喧伝されている。冷静に見れば、少々、これらの論調は主観的な解釈が過ぎる。
しかし、これはあくまでもマスコミ世論の大勢であって、トランプの支持基盤は非大卒白人ブルーワーカーとサービス産業従事層が33%とより低く、「隠れトランプ支持層」を反映しない調査結果は、大統領選予測のように実際とは異なるはずだ。それにしても、トランプの振る舞いが子供じみていることは確かだ。
ここでは、デタラメなように見える関税が、それなりのマクロ経済理論に基づいていることを示し、トランプ批判を徹底しているP・クルーグマンも無視できないものがあることを示したい。その上で、中国による「購買による征服」(Conquest by Purchase)の危機下にある日本は何を学ぶべきかを提示してみたい。
関税のマクロ経済的影響
トランプ関税については、世界経済への影響は、大事(おおごと)ではなく、世界経済の成長率にたかだか2%程度、日本に関しては1%以下、米中交渉の行方によっては、「漁夫の利」で、米国への輸出及び中国への輸出が増えるかもしれないと推測した(4月末)。この予想は変える必要はない。トヨタの連結純利益は約35%減の約3.1兆円であり、売上は1%の増収を見込む。主因は、原材料費上昇であり、寧ろ、下請け企業への値下げ圧力が気になる。さらに、EVシフトへの決着をつける必要がある。
影響は軽微にしても、トランプの行動が、日替わりで変わるので、経済の不確実性が高まっていることは確かであり、アメリカ資産にはマイナスプレミアムがつき、長期金利や株などの金融資産の変動が激しくなっている。
特に、アメリカで、長期金利が高くなり、ドル安が生じたという現象は、古典的な金融危機の兆候であり、すぐに沈静化したが、金融恐慌に繋がりかねない。
貿易赤字とドル基軸通貨
現代経済学からみれば、貿易赤字はことさら重大な問題ではない。世界貿易市場の成長率もピークを過ぎている。各国間の貿易不均衡は、それぞれの国の資本 - 労働比率に代表される要素賦存の違いによって生じる。さらに、貿易赤字は、会計原則から、恒等的に資本収支の黒字になり、アメリカは、その運用によって多額の収益を得ている。赤字という印象は、規律に反する印象を受けるが実害はない。現在の経済主流派の見方である。
さらに、アメリカに多大の利益をもたらしているのは、ドル基軸通貨であり、貨幣の造幣益だけで、約3億ドルの利益を獲得し、基軸通貨プレミアムとして「安く借りて高く運用」できる「隠れ収入」が年間600~800億ドル(約10兆~13兆円)と推定されている。これが「カジノ資本主義」の「胴元」のうま味である。
従って、経済的利得の判断をすれば、アメリカは、ドル基軸通貨の自由貿易体制を維持することが賢明である。日本としては、どこが不公正なのか、と言い返したくなる。日本はアメリカの消費者が求める品質の車をつくり、販売している。
アメリカは、日本の消費者が求める自動車をつくっていない、ただ、それだけではないか。メーカー別ディーラー制の障壁があるが、企業のマーケティング努力で十分に乗り越えられる問題だ。日本市場は、成熟市場で強いライバルが多く、流通へのマーケティング投資が大きい。アメリカのメーカーからみて、他国に比べ、市場魅力度が低いので投資しないだけだ。

政治目的と安全保障
トランプは、この経済的利得よりも、政治目的を優先させている。トランプが正義と見なしているものは、戦後の民主党政権がめざしてきたグローバル経済化の敗者の救済である(トランプ関税の正義、賢愚、そして帰結 - ポストグロ-バル経済と自由貿易体制)。そして、もうひとつ忘れてはならないのは、指摘し忘れた地政学的リスクと安全保障上の問題である。経済的合理性よりも安全保障と国家的自立を優先させている。これは狂人理論では説明ができない合理性である。それは、日本も見逃すことのできない問題である。
P・ナバロの主張
トランプの関税政策にもっとも影響を与えているのは、P・ナバロ(通商・製造政策担当大統領上級顧問)である。ナバロの論点は、『Mandate for Leadership: The Conservative Promise』(ヘリテージ財団)の「貿易(trade)」章で展開されている。
彼は現代のマクロ経済学に立脚して貿易赤字を批判する。貿易赤字はGDPの成長要素である「純輸出」をマイナスにし、成長を阻害する。結果として国内設備投資が減少し、雇用機会が失われ、ブルーカラー層の賃金低下を招き、中流層への上昇(アメリカン・ドリーム)を阻害している。さらに経済安全保障の観点から製造業が海外移転することで軍事力を維持する武器の製造能力が失われるとしている。
貿易赤字は資本収支の黒字となる。その結果アメリカは短期的には利得があるが、長期的には「購買による征服(Conquest by Purchase)」という国家安全保障上の危機を招くと警告する。
P・クルーグマンの予想される反論
ナバロが依拠するのは、極めて基礎的なマクロ経済理論である。この点は、トランプ批判の急先鋒で知られるノーベル経済学賞受賞者P・クルーグマンと同じだ。同じ理論だが、クルーグマンは自由貿易の利益をより強調する。
アメリカ経済は急速に「知識集約型経済」へと移行し、高い成長率と個人所得を維持している。それを可能にしているのは自由貿易体制であり、貿易赤字の原因は生産性革新であって不公平取引ではないと反論するだろう。
しかし、ナバロもクルーグマンも、自由貿易が安全保障を脅かすことには同意している。自由貿易の利益を享受しながら安全保障の問題を解決するか、急進的に遮断するかの違いである。安全保障上の問題 ── 鉄、自動車、半導体、造船などのサプライチェーンの過度な海外依存 ── は解決できない。特に私的所有と基本的人権を認めていない、違うルールの中国への依存は危険である。クルーグマンは、中国は安全保障上の脅威だが、資本主義と権威主義は両立せず破綻する(アセモグル説)、実際、中国経済は人口減少を機に衰退期に入っている。力を失うまでの安全保障上のコストと自由貿易のベネフィットを比較すれば、自由貿易の方が大きいだろう、と仮想しているようだ。ナバロは、もうすでに危機的であり、猶予はない、犠牲を払ってもグローバルチェインを国内にもどし、安全保障を確保する、という判断だろう。
「購買による征服」が進む日本
アメリカよりも「購買による征服」がすすんでいる国がある。言うまでもなく、日本である。
日本は日中貿易で大幅な赤字である。資本収支黒字(中国の資本収支赤字で日本の株や土地などになっている)で、中国資本が日本の企業、株式、土地を買い漁っている。京都の町家や富士山周辺、北海道などで顕著であり、まさにナバロの言う「購買による征服」が進行している。
米国の対中高関税が続けば、中国の輸出先は日本へとシフトする。EV やエレクトロニクス製品が日本市場を席巻する可能性が高い。安全性を犠牲にした低価格戦略と補助金政策が日本の産業を脅かす。中国の「経済不況」の輸出であり、経済力によって日本を征服することが中国の合理的判断になる。
つまり、アメリカが、長年の貿易黒字国・日本に突きつけている要求は、日本─対中関係に重なる。
日本の中国からの輸入依存度(GDP 比 2%)はアメリカの約2倍である。しかしながら、中国に関税をかけろ、という話はまったく出てこない。寧ろ、80年前の中国侵略への反省の声が大きい。日本は、安全保障への感度が極めて低い。
さらに、日本は、円高下で生産拠点を中国に移転し、中国を経由して、アメリカに輸出している企業が多い。中国との共存共栄が経済団体の理念なので、「購買による征服」など思いもしない。
日本も、あるいは、日本こそ経済安保の観点から、中国との不公平を是正するため関税を含む防衛策を講じるべきである。直接投資を行った企業の損失には十分な支援を行い、市民社会の痛みを最小化しつつ脱中国のサプライチェーンを再構築する必要がある。このまま中国との貿易赤字が続けば、株を通じて会社、土地購買を通じて国土、そして、国債を通じて政府まで「征服」される。これは、中国が違うルールの国だからであり、力の論理として自然なことだ。
トランプ関税は、日本と中国の関係を映す鏡である。ドルを基軸とする自由貿易体制の象徴として、世界貿易市場は急速に拡大した。そのピークは2010年代に過ぎた。安全保障に基礎づけられた自由貿易体制へと移行したと判断すべきである。
日本は従来の自由貿易体制の受益者から、安全保障を軸に経済秩序を再構築する主体へと転換すべき時期に来ている。グローバル経済の信奉から、安全保障というリアリズムに基づく産業・通商政策によって、市民社会を守る具体策を早急に検討すべきである。
トランプ関税の背景にある理論は、確かな安全保障というパワー概念を含んでいる。アメリカに対して、自由貿易を唱え関税撤廃を訴えることは、安全保障を犠牲にせよ、中国の征服を許容せよ、と主張することと同義である。それよりも、日米主導で、安全保障をベースとする自由貿易体制の構築を提案すべきだ。それには、ドル基軸ではない、貿易不均衡を是正できる新しい決済同盟(新「ケインズ案」)が必要である。
注:「力」の概念について
ジョセフ・ナイが5月6日に88才で亡くなった。国際政治の専門家であり、「力の均衡」の「パワー」を、ハードパワー、ソフトパワー、そして、スマートパワーに再定義して、国際政治を分析する枠組みをつくった。日本は、軍事力のない経済力だけのハードパワーしかないことを免罪する上で多くの人が馴染んだ。これは、世界中で、アメリカの消費文化(コーラ、ジーンズ、ファーストフーズ)が広く受け入れられ、世界中の若者の憧れの対象になったことをうまく説明できた。J.ナイ著の「国際紛争」にも確固たる裏付けはない。しかし、実際には、ソフトパワーはハードパワーの裏返しの便宜上の概念にすぎなかった面も大きい。実際、21世紀の国際政治を動かしたのは、軍事力と経済力というハードパワーである。
【参考文献】
- Krugman, P. (1994). Peddling Prosperity: Economic Sense and Nonsense in the Age of Diminished Expectations. W. W. Norton & Company.
- Krugman, P.(著), 山形浩生(訳). (2009). クルーグマン教授の経済入門(新版). 早川書房.
- Navarro, P. (2017). Mandate for Leadership: The Conservative Promise(Trade章). Heritage Foundation.
- Navarro, P. (2023). The case for fair trade. In Mandate for leadership: The conservative promise (pp. 765-787). The Heritage Foundation.
- Vance, J. D.(著), 井口耕二(訳). (2017). ヒルビリー・エレジー:アメリカの繁栄から取り残された白人たち. 光文社.
- Todd, E.(著), 堀茂樹(訳). (2003). 西洋の自死. 藤原書店.
- Keynes, J. M. (1944). Proposals for an International Clearing Union(いわゆる「ケインズ案」).
- Mannheim, K. (1955). Conservatism: A Contribution to the Sociology of Knowledge. Routledge & Kegan Paul.
- Nye, J. S. (2004). Soft Power: The Means to Success in World Politics. PublicAffairs.
- Acemoglu, D., & Robinson, J. A. (2012). Why Nations Fail: The Origins of Power, Prosperity, and Poverty. Crown Business.
情況の戦略判断シリーズ - 連載構成
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