2025年、新たな年にあたり、単純な未来予測と対応戦略を提言させていただきたい。
日本経済衰退論のウソと実力
「日本衰退」、「後進国」、「貧しくなった日本」など、根拠のない悲観論が世の中に振りまかれている。根拠となっているのは、ひとり当たりのGDPと人口減少である。このふたつの根拠は、これまでも繰り返し述べてきたとおり、専門主義のものの見方の一面に過ぎない。
GDPの指標を実勢為替レートではなく、購買力平価にとってみれば、様相はガラッと変わる。低いといわれている労働生産性も、65才以上人口を除く生産年齢人口で割れば高い生産性になる。「日本衰退論」も、「後進国転落論」も、「貧困日本論」もそう単純には言えない。問題は、円安の原因であり、日本経済の課題の捉え方である。
ここでは、昨年度、GDPでドイツ、そして、一人当たりGDPで抜かれた韓国との比較データを示しておく。日本は、抜かれている事実も違えば、その原因も、「過少政府投資による成長不足説」、「低労働生産性説」や「内外価格差説」などでは説明できるものではない。
これらは、別項で論じるとして、日本経済の課題は、生活の高度化に対応した産業構造に転換できないで成長軌道に乗れないことにあり、結果として、巨大な経常黒字に関わらず円安が、異次元金融緩和の「歴史後遺症」として残っているとだけ指摘するにとどめたい。
この一面に過ぎない見方をするのは、経済の素人でないはずの銀行、証券や保険系のシンクタンクであるから驚く。本業からの傍流意識が世間を騒がせ、憂さ晴らしをしているとしか思えない。それに追随するマスコミも検証力がなく、情けない限りで、ネットの「第2世論」に愚弄されても仕方がない。
人口減少にしても、予測の根拠となる微分方程式を変更すれば、どうにでもなる根拠の薄いものだ。そして、この人口予測の方法が、国際的業績の少ない日本人によって標準化され、国連のテキストになり、しかも、現在の日本の公的機関のトップなのだから、人口専門家は誰も批判できない、という忖度が働く。
「人口減少対策」よりも「人口予測手法改善策」が必要だ。昔、ノーベル経済学者のE.プレスコットが問題提起したが、経済研究者には専門外扱いされ、人口学者にはメッセージそのものが届かなかった。個人的には挑戦したいが、やはり、優先順位は低くならざるを得ない。
この予測のおかしさを例証する。人口予測で最初に消滅するとされたのは、東京都の豊島区だ。ところが、2023年、人口は5年で3.6%成長し、全国で17位にある人口増加地域になっている。なぜか。
人口予測手法は、コロナの感染拡大予測と同じ手法がとられ、無理な前提の上で、経済をまったく考慮しないものだ。豊島区行政は、現在の東京都がとっているような子育て対策などのあらゆる手段で人口減少に歯止めをかけようとした。しかし、効果がなかった。これは各国も同じだ。
人口増加の要因は、中国人などの外国人の増加である。人口減少で地価が下がり、中国人などが家賃の低さに着目し、住み着くようになり、集積効果が生まれ、横浜中華街に匹敵する地域になったからだ。これはこれで異文化共存の課題を持つことになったが、人口減少対策が難しいこととそう単純なものではないことを示すものだ。現在の人口予測は、マルサスの手法と変わりはない。マルクスは、マルサスは経済問題を扱っていないと批判したが、同じことが現在でもいえる。人口が独立変数で経済が従属変数(人口→経済)と考えがちだが、現実は、逆の因果関係(経済→人口)である。従って、人口の自然増減よりも社会移動の増減の方が重要であり、それを踏まえない人口予測は「仮予測」に過ぎない。
こんな主張をすると、人口減少を軽くみていると批判され、地方の現状をみろと言われるが、地方経済の厳しさも、人口減少は結果であり、原因は、製造業などの工場の空洞化である。円高による産業空洞化の方が恐ろしい。
2025年の市場環境を決定するルサンチマン、トランプ圧力と欲望自然主義
2025年は、どんな未来シナリオを描くことができるのか。地政学的アプローチから始めてみる。
未来を決する因子要因は、三つである。ひとつは、各国の敗者の「ルサンチマン感情」、「トランプ政権が与えるパワーバランス」、そして、日本の消費者の「欲望の行方 ※1 」である。なぜこの三つの因子要因かは、ここでは、6因子2水準の64シナリオのAI分析の結果という説明にとどめたい。
第2世論が主導するルサンチマン感情
2025年は、世界中で、「第1世論」と「第2世論」の「戦い」が始まり、世界を揺るがしていく。第4の権力 ※2の「マスメディア」を脅かす「第2世論」が世界を揺るがす。「オールドメディア」というと精確な言い方ではない。この言い方は、「第2世論」の本質を見間違えるからだ。なぜなら、「第2世論」は「第1世論」の批判として存在し、「第1世論」なしでは自立しない、という特性を持っているからだ。ネットメディアは、マスメディアに比べると、社会の注目を集める「アジェンダ設定」効果は低い。
2025年は、トランプ政権の政策で大きく左右される。しかし、その背後にあるのは、アメリカの「第2世論」であり、その実体は、この20年間の、「グローバル資本主義の敗者」である。アメリカなら、中流層から脱落した中西部の白人のブルーカラー層だ。この層を核に、あらゆる人種や民族が流れ込んでいる。
従って、「ルサンチマン(嫉み、妬み、恨み)」感情と排外主義的な「アメリカファースト」が政策の基本だ。この流れは、ヨーロッパや日本に及んでいる。2024年、イギリスでの労働党政権の誕生、フランスでの連立保守の崩壊、ドイツでの連立保守の崩壊、そして、日本の少数与党政権へと繋がっている。共通するのは、グローバル資本主義の敗者連合が政治を揺るがしているということだ。さらに、中国や韓国などの北東アジアにも確実にある動きだ。
2025年は、第2世論が第1世論に対抗し、第4の権力の座から引きずり落とす年になりそうだ。但し、第2世論は成り立ちからいって、第4の権力にはなり得ないことを再度確認する。このことは、世論が、ルサンチマンという感情で動くことを意味している。
「収奪政権 Kleptocracy」と呼ぶトランプ大統領の誕生に失望したP.クルーグマンは、25年間継続したコラムの筆を断った。最後は、「怒りの時代に希望を見出す」というタイトルだった。物価高や超富裕層への怒り、ルサンチマンのような「感情」が経済に与える影響を分析していた。
世界は、ルサンチマンに揺らぐ時代が到来したようだ。この時代こそ、ニーチェが予言した時代であり、主役となるのが、大衆世論に振り回されるような虫 ※3のような「末人( Letzter Mensch、Last man)」である。それを象徴するのがトランプ政権である。
多極分散均衡のパワーバランス
こうした不安定な情況をどう捉えるか。「多極分散均衡」と捉えるとわかりやすいのではないか。物体の形状、重心と安定性に喩えてみる。
世界を支える重心がアメリカひとつ(一極)にあり、重心の位置が低い状態では、世界は安定する。しかし、物体が、重心が複数ある形状ならば、重心の位置が高いとひっくり返りやすくなる。現在は、そんな状態だ。
経済にとって、問題なのは、戦争などの紛争である。戦争は無駄な消費の象徴であり、関連諸国にとっては、グローバルなロジスティクスの切断を意味する。
トランプ政権が、「アメリカファースト」の政策をとり、関税を引き上げ、自国の雇用を守ろうとすることである。
共和党の外交政策を引き継ぐトランプ政権は、アジアは日本に、ヨーロッパはイギリスに、中東はイスラエルに委ねて、友好国を支援するというスタンスをとる。対外的には、孤立政策にみえるが、地域的な自立性を尊重するものである。従って、日米戦争も、トルーマンの民主党政権とは異なり、日本との戦争には反対した。
この政策を引き継ぐ新政権は、アメリカの各地域での軍事的なプレゼンスを下げ、各国に、応分の負担を求めることは明らかだ。アジアは日本にまかせろ、というスタンスだ。それは結果として、日本からのアメリカ軍の引き揚げ、軍事費の増大を要求することになる。
問題は、アメリカのプレゼンスの低下は、北朝鮮やロシアなどの「ならず者」国家や様々な反米過激派の紛争意欲を高めるかどうかである。
明らかなことは、世界のスーパーパワーとしての軍事力という「費用」を同盟国に分担するが、「利益」(既得権益)は手放さないことだ。
具体的には、WTOなどの世界自由貿易体制は否定するが、アメリカは、ドルを世界の取引にする基軸通貨の地位を放棄しないことだ。2,668億ドル(約42兆円、2024年)という巨大な経常収支の赤字にもかかわらず通貨が暴落しないのは、ドルが貿易取引における「金」の役割を果たし、アメリカは世界最大の軍事力を持っているからだ。そして、赤字を補填する最大の国が日本である。さらに、国債購入、様々な金融取引や情報関連サービスで補完している。この「特権」を、中国などと分担したり、アメリカを経由しない電子マネーを導入したりすることはない。
問題は、軍事的な費用を各国に分担させ、軍事的プレゼンスを下げることによって、紛争勃発の可能性がどうなるかである。帰結は、「狂人理論(madman theory)」によって、トランプ政権の動きが読めないことで、圧力が高まり、紛争が起こりにくくなるのか、あるいは、同盟国の結束が低まり、紛争が起こりやすくなるかである。
現在のシナリオは明らかに、トランプ政権の「ちゃぶ台返し」が起こる不確実性が、ならず者国家や集団への圧力を高めているようだ。下手な紛争を起こせば、叩かれる。
そうなれば、「多極分散均衡」は、上からの圧力で重心が低下し、安定することが予測される。他方で、ヨーロッパや日本などとの同盟関係は弱体化することが懸念される。さらに、アメリカがシェールガスの輸出国になることで、石油価格は低下し、電力などのインフラ価格は低下し、経済成長が高まることが予想される。他方で、関税は、中国経済には大打撃になるが、日本のアメリカへの輸出は限定的であるので影響は大きくない。
多極分散均衡は、当面は、世界経済の成長に寄与すると読んだ方がいいようだ。他方で、何かの切掛けでこの均衡は破られる可能性も高い。
清貧思想から新しい欲望自然主義へ
最後の変数は、日本の経済復活と再生であり、その鍵を握るのは、日本人の「欲望の行方」である。
日本は、戦後復興、高度成長、安定成長、バブル経済、失われた20年、そして、30年を迎えようとしている。昭和、平成、令和と元号も変わった。
2023年、バブル崩壊後、日本の価値観を支配してきたのは、「清貧思想」である。悲観的展望を背景に、中野孝次が、吉田兼好、良寛などの質素な暮らしのなかでこころの豊かさを求めたと「誤読」した生活モデルを言葉にしたものだ。兼好の「徒然草」は序段を含めて243段からなる。段は「小コラム」のようなもので、批評眼がモンテスキューより鋭い。しかし、そのなかに現れた思想は、清貧とは言い難い。兼好は、京都に住む多くの「変人」を批評抜きでとりあげている。特に、栗ばかり食べている娘の話が多く出てくる。これはとても「清貧」には思えない。言わば、偏食という無駄な奇談の集合であり、個人的には、こだわりの栗を食む奢侈にさえ映る。
バブル崩壊を、物の豊かさから心の豊かさを求め、質素に生きるのが日本人の本来の生き方だと断じた清貧の思想は、そもそもバブル崩壊後の「共同幻想」だったようだ。
バブル期は、「金ぴか」の時代であった。平凡に真面目に生きることに価値はなく、めざとく買って、早く売り抜けるという「拝金主義」が横行した。
しかし、戦後復興から安定成長まではどのような価値観が社会を支配したのか。ひと言で言えば、戦前の「贅沢は敵」という価値観から解放され、自分の欲望を、自然の成り行きのように解放することが善である、という「欲望自然主義(神島二郎)」の価値観である。政治学者の丸山眞男らの世代は、「敗戦」を「終戦」と言い換えた時代に、「解放感」を感じたようだ。野坂参三(日本共産党)は、「アメリカ軍」を「解放軍」と呼んだほどだ。
新しい欲望自然主義
歴史を動かしているのは個人の「行動総和」である。そして、「実存的」個人である自己意識に存在根拠を与えているのは欲望である。ヘーゲルとしては、「社会的欲望」というところだろう。
欲望自然主義による欲望の解放が、高度経済成長の原動力となり、肥大化したのがバブル経済である。そして、「痛い目」にあった経験によって「清貧思想」への大転換が起こった。「失われた30年」の間、生活者が忘れていたのは、欲望が「生きがい」の根拠であり、「善」であるという思想だ。この思想が再生されない限り、日本の成長はない。
そして、漸く、新しい欲望自然主義として欲望を肯定する価値観が蘇りつつある。
団塊の世代の平均年齢は、75才を超えた。世代交代により、労働力人口の減少から若い世代の将来展望が明るくなり、個人の欲望を解放する段階に至った。また、人口の25%を超え始めたリタイヤ世代は、我慢しない生き方を実践しつつある。こうした転換を支えているのが、歴史的な根拠なき円安による卸物価、エネルギー価格の上昇、日本企業の海外進出、そして、清貧思想で猛進し、すがりついた「ものづくり」からの脱却である。
戦後の成長を支えた欲望自然主義は、アメリカを見本例とする中流生活の豊かさを享受することである。新しい欲望自然主義は、もっとも高度な欲望に位置づけられる「自分のアイデンティティを自己確証する」ために、性別や年齢に囚われず、自らの価値観に従って生きるという生活スタイルへの欲望である。
この価値スタイル志向への転換が2025年に明らかとなる。そして、それが消費復活の原動力となると読む。
成長と再生のための新しい日本的経営とマーケティング革新
市場環境を左右するのは、ルサンチマンの感情、多極分散均衡の国際経済への影響、そして、日本の「欲望の行方」である。この三つから八つのシナリオが生成できるが、ここでは、もっとも楽観的なシナリオを紹介する。
楽観シナリオ
アメリカのグローバル経済の敗者を背に、トランプ政権は、中国やロシアなどの「ならず者国家」に、軍事パワーによる解決は不確実性が高い(問題解決に力を行使する可能性が高い)というメッセージを与え、紛争が勃発する動きを牽制する。この影響は、北朝鮮などのならず者にも圧力を与える。その結果、対立が紛争に発展することは抑制される。ウクライナ紛争の問題解決が見極めポイントになる。
紛争が抑制され、世界の石油や食糧などのロジスティクスは維持され、エネルギー政策の転換によって、アメリカがエネルギー輸出国となり、価格が安定する。こうしたことを背景に、低紛争下の安定成長が達成される。
新たな国内外の経済環境のもとで、日本の消費者の価値観の自立的変化が促進され、悲観的で禁欲的な清貧思想から脱却し、欲望を解放することを承認し、欲望自然主義の価値観が強まり、生きがいに繋がる価値を消費する傾向が強まる。市場環境は、価値を起点に成長し、さらに、サービスを統合したものへと膨張する。
現在、もっとも楽観的なシナリオと描くことができるのは、多極分散均衡下での安定成長とそれを追い風にした日本の消費復活と経済成長による日本再生のシナリオである。AIによる生起確率は、20~30%と予測できる。残りは、このシナリオの派生である。政府による消費増税などの愚策がなければ現実的な可能性は高いと読む。
新しい日本的経営への転換
この市場環境下でとるべき戦略は、長期的視点に立った国内市場での成長戦略であり、自社の再生を目的とする持続投資である。毀損した自社のマーケティングチャネルを、継続取引を目的に、育成し、成熟衰退期にあるブランド再生をめざす持続的なマーケティング革新である。
ブランド再生は長期育成視点の日本的経営が条件
1980年代、世界を席巻し、世界企業の手本となったのは、「日本的経営」である。「カンバン方式」、「カイゼン」や「系列店政策」は多くの人によって賞賛され、世界に発信された。
さらに、このような経営スタイルは欧米とは異なる日本的経営と呼ばれることになった。その特徴は、「長期視点、終身雇用、従業員主権」の三つであり、欧米の「短期利益、短期雇用、株主主権」とは異なることが、成功要因とされた。
あれから30-40年の歳月が過ぎ、日本企業は、株価を左右する短期利益に目を奪われ、終身雇用を放棄し、短期雇用で、スキル蓄積が空洞化する危機に陥っている。まさに、当時の欧米企業になってしまった感がある。
そのもっとも大きな要因は、護送船団方式下にあった金融市場の再編、そして、欧米標準を目指した株主優先への法改正である。政府による欧米資本主義への制度転換がおこなわれた。さらに、欧米流の「外資コンサルタント」の文化的歴史的視点の欠如によるビジネススクール的なテキストアドバイスにもとづく、経営者個人の自己利益を追求する「収奪経営 Kleptocracy」への移行である。
例をあげる。経営トップの交代を機に、企業革新をするために、外部から自称「プロ経営者」がオーナーなどの「経営委員会」によって経営トップとして招聘される。新しいプロ経営者がすることは外資コンサルタントと経営についての巨額のコンサルティング契約を結ぶことである。
欧米コンサルタントは、4~5人の新人を連れてやってきて、年間数億の「成果責任の問われない」委任契約を結ぶ。彼らは、ヒアリングという名の新しい経営者への忠誠心をチェックする。日本市場もろくに知らずに、ベストセラーやビジネスプロセスなどの手法で、戦略推進のための横文字の多い組織改編をおこなう。組織は改編によって、指揮命令系統が混乱し、その隙に乗じて、プロ経営者は権力を掌握する。
プロ経営者や外資コンサルタントを使った経営とは、組織改革によって、経営者が権力を掌握する環境をつくり、2期4年で次の就職先が見つかるまで、会社のブランドや資産の売却で利益を生み、株価をあげ、所得を増やし、あるいは、オーナーでもないのに十年以上の任期を延長する。彼らはそもそも会社に愛着など持たない。
代表例は、日産のゴーン手法である。そのツケが現在の日産の苦境に繋がっている。プロ経営者や外資コンサルタント出身が多くなって、「オレが一番」、「オレが一流」という「オレオレ」人格が多くなった。これを賞賛したビジネスジャーナリズムの責任も大きい。
日本の大手企業の多くは、日本市場にあったユニークな戦略を持っていたが、日本的経営は、制度改革と外資コンサルタントの日本市場の本格参入によって崩壊してしまった。会社やブランドを「紙切れ」とみなす経営が、長期経営のよさを喪失させてしまった。
成熟衰退下にあるブランドの再生には、株主の求める短期利益ではなく、長期育成視点が不可欠である。そのためには、長期視点に立脚した、新しい日本的経営が再構築されることが条件となる。
投資ファンドの経営への介入規制強化
まずは、経営知識のない投資ファンドの経営介入を法的に制限し、従業員主権を株主と同程度に引き上げる法改正をおこなうべきである。それが改正されるまでは、上場をしない方が得策である。但し、上場時以上の情報公開と情報発信をすすめ、オーナー経営者への監視体制を維持することが必要である。
その上で、価値提供の理念のもとで、長期視点と継続取引ネットワークを強みとする「新しい日本的経営」を模索する必要がある。新しい日本的経営の「三種の神器」とは、「長期視点、継続取引、顧客主権」である。「顧客主権」とは、企業の顧客、経営者、従業員、協力企業、地域社会、株主などの多数の関与者のなかで、顧客が自社の全コストの負担者とみなすことである。何らかの評価指標で、会社の売買を制限する条項を加えるべきだ。会社は、単純な売り買いの対象ではないことを明示すべきだ。
投資ファンドの経営への口出しには、低収益事業からの撤退と事業集約の提案が多い。ビール会社のレストラン事業、エレキ企業の低収益事業など枚挙に暇がない。売却提案と役員派遣がセットになり、経営権を奪い、短期的に収益を回復させ、株価をあげて売り抜けて差額を稼ぐビジネスである。こういう利鞘を稼ぐ手法は法的に制限されるべきだ。
再生の政策は、価値メッセージ、マーケティングチャネル育成、サービスブランディング
世界を席巻した消費財メーカーのブランド価値は地に落ちている。ほとんどのブランドが導入から30年以上経過している。ユーザーの世代交代が進んでいる。「よい物」という「物的製品」への期待は低下し、物的製品の補完サービスを重視するようになった。
さらに、ブランドの本質であるアイデンティティが陳腐化したり、不明確になったりしている。また、顧客とブランドを信頼で結ぶ系列業種チャネルは激減し、売る力を失っている。認知を拡大するマス広告は、認知率が100%に近づくと意味がなくなり、価値を伝えるには、SNSなどのネットメディアの方が説得しやすくなっているなどの変化が生じている。
これらの変化が、ブランド価値を低下させ、売り手が獲得できるプレミアム価値が失われている。
このようなブランド資産の毀損が、お菓子、調味料、飲料、ビール、エレキ製品、オーディオ、ファッションブランド、化粧品など日本を代表するブランドでみられるようになっている。
日本のブランドを再生するには、四つのマーケティング機能の革新を必要とする。
第1は、製品だけで提供価値が完結するこれまでの物ブランドのような価値ではなく、情報、コンテンツや人的サービスを含む価値統合が必要である。それには、人的サービスの標準化、差異化などの組織性が重要になる。エルメスなどの欧米の高級ブランドは、ブランド理解力、商品知識、推奨力などがブランド価値の拡大に寄与している。
第2は、ネットメディアを活用したブランドの持つ価値メッセージの伝達である。マスメディアは、認知とブランド関心を生み出し、ネットメディアでブランドの価値を伝えるという役割区分と連携が必要になっている。どのようにマスメディアとネットメディアの相乗効果を狙っていくのか。これからマーケティングツール化していく必要がある。
第3は、マーケティングチャネルづくりである。日本のブランドが売り手と買い手の信頼関係を物に心理投映した「のれん」を起源に持つように、伝統的な系列店のような、自社と理念や売上目標を共有するような関係のある「マーケティングチャネル」が不可分である。これは、ユニクロがブランドとして健在である理由が直営店にあることと対照的に、NIKEが直営店よりネット販売に重点を置き、ブランド価値が低下し、売上が振るわなくなっているのと同じ構造である。欧米のブランドは、牛の刻印にあり、生産者の製品が他ブランドといかに違うかを説得することにある。明らかに、日本のブランドと違う。この日本市場の特性抜きには、日本のブランドは語れない。チャネルとの関係づくりがブランド再生の出発点だ。
最後に、これらの三つの機能を、顧客セグメントにもとづいて、価値合理性による一貫性を維持していくことが必要になる。このセグメントで提言しているのは、欲望を充足する価値スタイルである(消費社会白書2025)。
日米の食品業界の小売から農業生産者までの垂直機能ごとに、それぞれの営業利益率を算出すると差異が確認できた。それは、日本のメーカーの営業利益率が2~3%という水準なのに対し、アメリカでは15~25%という極めて高い水準にあった。アメリカの食品飲料メーカーは実に、5~13倍も収益性が高いということである。この差は、言うまでもなく、提供しているブランド価値が大きいということである。
戦後80年、そして、昭和100年、失われた30年で、衰退したのは日本のブランドである。このブランド投入、育成、再成長、再生の好機が2025年である。弊社の人材、事例、調査ファインディング、様々な理論がお役に立てると確信する。
欲望と聞いて、多くの論者が、念仏のごとくマズローを繰り返す。しかし、マズローの欲望論とは、1960年代のアメリカ心理学の行動動機理論のひとつの説として、行動説明の要因として持ち出したものだ。2-300人のヒアリングを質的にまとめて、「欲望段階論」に整理した。これを2020年代でも使っている。
その上位の欲望が「自己実現欲望(Self-actualization)」だ。1960年代の調査対象者は、少なくとも1940年代以前生まれである。日本なら現在はほぼ70代になる団塊の世代以前の人々である。さらに、原論文では、フロイトなどの影響はみられるが、単なるカテゴリー分類である。つまり、真っ当に議論されていないのが、欲望論だ。「価値と欲望の充当関係とは何か-市民社会の基本原理」では、ヘーゲルから欲望論の再構築を試みている。
立法、行政、司法の三権に続く権力で、報道機関やメディアの影響のこと。これを脅かすものがネットから派生した「第2世論」だがこの「第2世論」は「第1世論」の批判として存在するため「第1世論」なしでは成り立たない。従って、「第2世論」は第4の権力にはなり得ない。
末人は、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』で述べられ、精神的な意味での「生態系」、すなわち社会の活力や文化の創造性を蝕んでいく。彼らは高度な目標を追求せず、単なる生存や快適さを求めるだけで、社会を退廃させる存在として描かれる。末人が増えることで、社会全体が挑戦や革新を放棄し、生命力や創造力に満ちた文化が衰退していく。これは害虫が生態系を破壊し、環境を荒廃させるのとよく似ている。ニーチェが考える末人を「害虫」に例えることで、末人が社会や文化に及ぼす破壊的な影響がより鮮明になる。