世界と日本経済の見方と行方

―21世紀のマーケティングの原理

2023.05.31 代表取締役社長 松田久一

【本論】再成長の利他的マーケティングの組立て―21世紀の企業存立に向けて

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01

世界と日本経済の行方―衰退する日本への危機意識

 少子高齢化、円安や世界的低賃金などが話題にあがるようになり、衰退する日本、先進国から中進国への脱落という意識が鮮明になっている。マーケティングや経営を担う者にとって、自社の成長を通じて、経済に貢献し、日本に貢献したいと感じるのは自然な感情である。特に、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、「日本的経営」が世界を席巻した経験を持つ断層の世代には、若い世代とは違う格別の想いがある。

 企業を含む広い政策の立案者は、どんなマーケティングを展開すべきか、どんなマーケティング原理によって立つべきか。これは、SWOT 1 分析などでは明らかにできない予兆的推測である。

 政治経済及び企業経営の政策立案に、時代観がないことが現代の日本の最大の問題だ。

 しかし、その時代観を形成する歴史哲学が衰退していることも事実であり、経営者や政策立案者だけの問題ではない。歴史観を形成する教養や歴史はデータサイエンスにおされて居場所を失いつつある。従って、世の中の見方を求めて、一元的に力が支配する地政学という現実主義・経験主義が影響力を高めている。

 さて、この状況で方法論はさておき、意思決定に影響を与える変数でシナリオ分析をして、世界を読み、結果を提示するというのが本論の試みである。

 政策を立案する上で重要なことは、予想される未来と現在の差異(差延)である。歴史観は、予想される未来を暗示してくれる。戦後の日本は、多くの政策立案者が、予想される未来に「社会主義」を想定し、「資本主義」の現在との差を戦略経営の指針とした。日本的経営が、従業員主権のような平等主義に色づけされているのはそのせいだ。現代の経営者は、ベルリンの壁崩壊以後、日本の将来が社会主義だとは誰も思っていない。大半の人々もそうで、資本主義の価値観である「自由、平等、所有」を享受している。すると未来と現在の「差」がなくなり、飽くなき現在化しかなくなる。歴史観は崩壊しても、歴史は進む。そのなかで、行き先もなく、現在に近づく利益追求で時代をさまよっているのが現代の経営だ。

 歴史観に基づいて未来を予測し、現在との差で、進むべき方向を決定するという戦略経営ができない。これでは、長期存続を可能にする、揺るがない経営はできない。これを歴史観に依拠することなく補完してみる。

 2023年という時代の断面の位置づけは、21世紀の四半世紀を過ぎたということだ。この断面で、ほぼ21世紀の世界の枠組みが見えてきた。政策立案に必要な、世界がどうなるか、と日本、特に日本経済の行方である。プラグマティックにはこれがわかれば、戦略経営とマーケティングを組み立てる原理がみつかる。

 戦前、日本を代表する哲学者である西田幾多郎は「世界新秩序の原理」 2 という小論を、当時の日本政府の依頼で書いた。日本の軍事的南下政策や大陸進出を世界史的に位置づけるものである。なんのために、なぜ戦争をするのかの理由づけである。

 戦後はリベラルからの批判を周辺が恐れて、書かなかったことにされたり、強要という視点で評価されたりした。しかし読んでみれば、やはり「本気」であったことがよくわかる。

 論考は、日本は近代化によって世界史に颯爽と参入し、そしてそのことによって世界史が完成したという視点を提示している。もうひとつは、東から世界史は生まれ、そして西へと展開し、日本によって東西の対立や民族差別を乗り越えた世界史が完成するという視点である。総じて、何の根拠もない立論で、図式先行の展開だがふたつの視点にはなるほどと思わせるものがある。ふたつの視点転換のある、キャッチコピー的な着想による説得の論理である。事実に基づいて推論したものではなく、ヘーゲルの世界史の哲学を下敷きに、東洋の日本の西洋近代化の到達を歴史的反転としたものである。西洋の世界史支配の行き詰まりを、東洋を代表する日本が止揚するという展開だ。本格的な西田の歴史哲学というものはあまりみられない。

 さて、西田幾多郎を紹介したのは、あらゆる政策には、歴史的な世界の見方が必要だということだ。為政者は、人々に説明しなければ、賛同や協力は得られない。この論文の依頼者は、日本の知識層への説明を意図していたようだ。しかし、東條英機政府内の対立及び軍部内の対立によって公表されなかった。大きな舵取りの変更には、空気では説明できない歴史観が必要だ、ということだ。政治家がブレーンを求めるのはこのためだ。本来は、西田が提示した世界の見方があって、政策が生まれるのが合理的である。しかしこの場合は、戦争決定が先にあって、後付けが求められたことになる。「決定者なき決定」、つまり「空気」によって行われた決定だった。

 戦前の日本に匹敵するまで成長し、世界展開をする日本企業の戦略経営にも、やはりこのような世界の見方が必要だ、ということだ。

 21世紀という100年を視野においた際に、企業の戦略経営とマーケティングはどんな原理に基づいて構築すべきか。それは、世界の行方と日本経済の行方に依存している。2023年、これらが不確実性100%から30%ほどは見えてきた。ここでは、ふたつの見方を簡単に紹介し、21世紀のマーケティングの原理を提示してみる。もとより短文で展開できるものはないが、少しでも読者のみなさんの視点転換に役立てればと思う。

02

世界の見方と行方

 21世紀の世界を展望するとき、世界を支配するものは何か、ということが問題となる。20世紀が、戦争と革命の時代であり、軍事力を基礎とする「力の均衡(Balance of Power)」が世界秩序を支配したことに異論を挟む人は少ないと思われる。

 さて、21世紀はというとやはり「力」と言わざるを得ない。日本で紹介される海外の代表的な論者には、プラグマティックな地政学のイアン・ブレマー(「『Gゼロ』後の世界」 3 )などがいる。ポール・ケネディの「大国の興亡」 4 に繋がる系譜である。こうした力の支配の論理は、アルフレッド・T・マハンの「海上権力史論」 5 に源泉を持つアメリカの伝統的な世界観である。他方で、フランスのエマニュエル・トッド 6 がリベラルを代表する論者としてよく知られている。トッドは、家族史をベースに家族類型が価値観に繋がり、そして、家父長制が権威主義国家などの政治政体を決定し、政治的価値の対立を生むという家族と人口の歴史観で知られる。

 歴史観を喪失している現在、実用的には21世紀の世界の見方は、ブレマーの「超大国不在(Gゼロ)」という認識で世界をみておけば十分である。補完的に、トッドの人口家族史観を活用すればよい。

 ここでは、21世紀は10年単位でみれば「力の均衡」で読む方がベネフィットが大きいが、30年という単位でみるには、政治的対立の根底にある人口家族類型の行方が不可欠である。従って、日本の分析では、戦後の成長を支えてきた中流層の「核家族」がどうなるかの見方が重要である。ここでは世界と日本の見方の基礎として、力を主軸に、家族を補完軸においてみる。

 ロシアのウクライナ侵攻や、中国による先進国が構築した秩序への挑戦は、この現実が力によって支配されていることを如実に示した。

 しかし、力の概念は変わり、ハードな軍事力だけでなく、文化、芸術やライフスタイルなどのソフトパワーのウエイトが大きくなっていくことは言うまでもない。力の源泉は多様化しても、力が支配することには変わりはない。そのパワーを所有するのが超大国である。

 20世紀は、ヨーロッパの支配に対し、アメリカがスーパーパワー(G)として登場し、ふたつの大戦を経て唯一のスーパーパワーになった。戦前のドイツや日本がこれに挑戦し、戦後はロシアなどの社会主義圏が台頭し、現在では中国が肩を並べようとしている。アメリカ支配の「G1」か、中国が加わる「G2」なのか、あるいは「Gゼロ」の時代が来るのか。世界秩序を「覇権システム」や覇権国の興亡という見方に立つ地政学の専門家であるイアン・ブレマーは「Gゼロ」、ポール・ケネディは「G2+国連」のような展望を持っている。

 世界のシナリオはどうなるのか。世界を力の支配とみれば、ふたつの分岐が秩序に影響を与えそうだ(図表1)。

図表1.21世紀の覇権システムの分岐シナリオ
21世紀の覇権システムの分岐シナリオ

 世界の主導権をアメリカと日本などのアメリカ支持国が力の優位を持つか、あるいは、TPP、中ロ、グローバルサウス、BRICs、中東諸国、アフリカ諸国連合などのパワーによる多極支配かである。アメリカと中国はもはやスーパーパワーではなくなる。格差の拡大が衰退の鍵を握るに違いない。

 ここで中国がアメリカにとって代わるスーパーパワーになるかが気になる。中国は、経済、軍事では、アメリカに匹敵する力を一時的に持つと思われる。それは人口が多いからである。

 しかし、文化的なソフトパワーは弱く、世界の一般層を惹きつける魅力的な華はない。経済、軍事、そして文化が揃ってスーパーパワーだ。さらに、中国は少子高齢化が劇的に進み、人口に依存する経済力や軍事力が急激に低下する。世界史上初のもっとも短い期間の超大国になる。一挙に超大国に駆け上がり、一挙に大国へ、あるいは「ならずもの国家」に転げ落ちる。これは予測ではなく確定路線である。従って、中国の為政者なら衰退までに、世界秩序を領土も含めて既得権益を拡大しておくことが必要だ。その手段は軍事的暴発も予想される。隣国の日本としては、中国が中進国へ成熟していくのを支援し、暴発を孕む巨大な攻撃能力を持つこれから20年ほどの期間を凌げばよい。

 もうひとつの分岐は、グローバル市場の行方である。世界の力と覇権が多元化されるなかで、グローバル市場が形成されない。アメリカが超大国として力を持つことによって、グローバル市場は形成された。国連もEU・日本などがアメリカに匹敵する力はない。従って、なんらかの利益で結びついた連携諸国の人口などの市場魅力度でグローバル市場は、5億~10億ほどの人口規模で再編される。そのなかで、国家間を結ぶ軸によって市場の最大規模と数が決まってくる。それが比較的大きいか、小さいかでシナリオは変わる。

 結局、政策立案者の判断に必要なふたつの分岐によって、四つのシナリオが形成される。日本にとって有利なのは、アメリカ主導のTPP+αの諸国連合で形成されるグローバル市場である。不利なのは、覇権が多極化し、インドを含まない日米豪+αなどをベースに4億人程度の経済圏に分割されることである。

 貿易立国を標榜する日本としては、グローバル市場が形成され、規模の利益を享受して、世界の市場を獲得することが望ましい。20世紀は、日本はグローバル市場の恩恵を受けてきた。しかし、アメリカに輸出して、外貨を稼ぎ、必要な物を入手し、国際競争力をつけて、経済力を高めるというモデルは、多くの国によって模倣されることになり、1990年代以降は国内競争力で負け、輸入代替によって海外に生産拠点を築いて産業の空洞化が進むという事態に陥った。分割したグローバル市場で国際競争力のある製品サービスをどう創出するかは大きな課題である。

03

日本経済の見方と行方

 21世紀の残り75年の日本経済はどうなるのか。世界の見方と同様に日本経済の行方を握るふたつの意思決定に影響を与える分岐からシナリオを描いてみる(図表2)。

図表2.21世紀の日本の消費の分岐シナリオ
21世紀の日本の消費の分岐シナリオ"

 ひとつは、これまでの戦略経営とマーケティングが前提としてきた中流層の家族がどうなるかである。東京郊外に2世代同居する子育て期の「サザエさん」一家が、現実の存在としても、人々のライフスタイルの欲望の対象となりうるかである。人口減少の背景にあるのは、結婚、出産、子育てが、女性個人の自己実現とトレードオフ関係になり、選択の対象となったことである。また、トッドが指摘するように、家族主義の偏重が、欧米では主流の婚外子を認めないように作用している。

 そしてもうひとつは、30年間の長きに亘り支配してきた貯蓄志向とローン嫌いが、1980年代後半のような借金をしても消費するという志向に戻るかである。アジア諸国の中流層では、借金して海外旅行に行くのは合理的な消費行動である。物価も上がるし、給料も上がるので、将来に楽しみをとっておくことは損になる。デフレマインドが支配する日本ではそうはならない。将来支払うツケが大きくなると考える人が多い。

 このふたつの消費動向の分岐で、消費者のリスク選好、市場の異質性、特徴的な消費スタイル、そして消費リード層が変わってくる。

 この四つのシナリオでもっとも可能性の高いものは、中流層が崩壊し、物価高の見通しから貯蓄よりも消費というインフレマインドの転換が生まれ、21世紀型の「有閑階級」の「衒示(みせびらかし)消費」が生まれるというシナリオである。

 中流層のいない上下層に市場は二層化していく。消費は高度化し、価値主導の消費へと変わっていく。消費社会の先にある価値を消費する「価値社会」への転換である。

 ここで消費されるのは、財を包摂する情報、コンテンツやサービスを含む経験財であり、経験によってしか品質がわからない財である。コンテンツなどの情報は、読んでみないと品質がわからない典型である。従って、品質をどう伝えるかがマーケティングの基本となる。

 階層化が社会を変えていく軸になると、不公平性が高まる。妬みや嫉妬が社会を支配するとともに、格差を生む資本主義への反発が強くなる。それは市場社会への反発になる。しかし、市場経済に代わって計画経済に変わる可能性は低い。弱者を代表する政権へと交代し、政治によって、富の再配分を行うという可能性が高まる。

04

起こりうる16のシナリオ

 操作的に実利的にみるならば、世界の見方にはアメリカの主導性に依存する四つのシナリオがある。そして、日本経済にも、中流層の動向次第で四つのシナリオがある。ふたつのシナリオには依存性がないので、16のシナリオがある。そのシナリオが実現するかはわからない。

 しかし、このシナリオのなかで日本にとって起こりうる可能性を評価し、日本にとってのコストベネフィット分析 7 をすることができる。

 この16のシナリオのなかで、もっとも日本にとって成長の利益をもたらさないのは、世界が多極化し、日本が中流層支配の経済を維持しつづけることである。これは、少子高齢化による人口減少を抱えて、イギリスとは違う衰退の道を選ぶことになる。

 もっとも成長の果実が大きいのは、アメリカ主導の中規模のグローバル市場が形成され、日本が価値主導の経済へと転換することである。人口減少問題の克服は、経済成長によって経済的条件を改善し、AIなどの積極導入によって生産性をあげるという条件がつく。

 将来のシナリオがわかるならば、将来が有利になるように戦略行動を起こすのが合理的である。こうした観点からみるならば、世界の行方とは別に、成長のために能動的に日本経済を再起動させることが必要である。

05

日本経済の再成長

 消費がどうなるかを見通す上で、日本経済の再起動は不可欠である。供給サイドが変わらなければ、需要が変わっても経済は動かない。その日本経済の展望は決して明るいとは言えない。少子高齢化で人口が減少し、労働力人口が減少して、潜在成長力が低下し、経済大国が衰退するという見通しが多い。

 30年以上、日本経済が低成長にあるのはなぜか。この原因を明らかにし、対策を打つ必要がある。これをマクロ経済の枠組みで考えるのはもはや無理だ。

 最後のマクロ経済的対策がアベノミクスだ。異次元の金融緩和で日銀が、マネーの供給量を増やし、国債を購入して政府の財政政策資金を提供する。政府は積極財政策によって短期需要を創出し、国内外の企業に国内投資をしやすくし、円安によって輸出競争力を回復しようとした。こうして復活した国内需要のもとで多くの企業とイノベーションを促す政策がとられた。金融が一の矢、財政が二の矢、規制緩和などによる民間活力引き出しが三の矢である。アベノミクスの「三本の矢」である。

 このことによって、10年間はおよそ0.54%程度の実質成長率を達成した。欧米の企業なら役員交代は避けられない体たらくだ。

 しかし、この数字が「マシ」に見えるのは、この間の人口成長率がマイナス0.5%であるからだ。成長会計 8 では、大雑把に言えば、成長率は、全要素生産性×労働成長率×資本成長率(ソローモデル 9 )に近似的に分解できる。この式から人口成長率、つまり、15-65才の労働力人口が大きな影響を与えることは明らかだ。労働力人口、その具体的な数値である就業者数はアベノミクス下では増加している。女性と高齢者を非正規雇用によって労働力化したからである。他方で、働き方改革で労働時間を短縮するという政策をとっている。従って、就業者数は増えても労働時間規制で制限され総投入労働時間数は増えていない。日本の賃金が他国に比べて低下したのは、ひとつは為替変動の影響が大きい。GDPで突然ドイツに抜かれ、一人当たりのGDPで韓国に抜かれたということが言挙げされるのは、金融緩和による対ドルレートの低下の影響が大きい。賃金の相対的な低下は、労働時間が減少したからという説明もできる。実際、日本の労働時間は、韓国(1,915時間)よりも308時間、アメリカ(1,791時間)より184時間も少なく1,607時間である。従って、時間給では先進国では上位にある。これは、労働時間の短い非正規雇用が拡大したことの結果でもある。

 10年間で0.54%という「落ちない」安定感は、世界のなかでも珍しい存在である。従って、全要素生産性=イノベーションでなんとか成長を維持しているのが実態であり、人口成長率からみると「よくやっている」というように見える。

 しかし、経済成長率に人口成長率の寄与を過大評価する見方では、日本の将来の成長率は暗いものになる。

 人口予測には、多くの人が無条件で信じている国連で制度化されたものが利用されている。マルサス 10 の人口論を基礎にした感染症の予測と同じものである。しかし、世界の人口予測やアフリカの人口予測を悉く外している方法であることはあまり知られていない。予測精度は、大きく外れた「例の感染症予測」よりももっと低い。明日の天気予報よりも当たらない。それを信じて日本悲観論に陥るのは合理的ではない。

 アベノミクスはマクロ経済政策の決算である。結果は、経済が大きく崩れないという安定性を維持したことにあるが、民間活力を引き出すことはできなかったということだ。従って、民間活力を引き出すのに促進的か、あるいは、中立的なマクロ政策を維持できればそれで十分である。

 答えは、367万社の企業の戦略経営とマーケティングと約5,000万世帯の消費行動の総和にある。これには、産業政策をベースとする歴史社会経済的な政策アプローチが必要である。

06

日本経済の強みとは何だったのか―中流社会とものづくり

 この観点から日本経済の再起動を考えてみる。物事を単純化するならば、日本経済は、戦争後という「何もないという戦後性」と先進国を模倣できるという「後進性」からスタートした。そして、戦後復興のもとで、60-80年代に、需要側では「分厚い中流層」と供給側では「日本的経営」で構成される「長期存続」をめざす経済が確立した。この仕組みが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれるものだった。これは、資本の論理でもなく、資本主義とは言えない要素を多分に持っていた。現在でも多くの企業は、資産でもあり、負債でもある遺産を引き継いでいる。

 まず、中流への階層アップのメカニズムが形成される。全人口の大半を占めた農家の次男三男が、大学などの高等教育を受けて、民間企業のサラリーマンになり、結婚して子供をもうけて家族を形成し、家電、車や戸建てを持つというサザエさん的中流の生活スタイルが急速に広がった。この中流層の増加率は、人口成長率を上回り、模倣的製品開発によって成功した家電や自動車などの消費財・耐久消費財産業で寡占企業を形成した。これらの企業は、日本人の価値観の同質性を活かし、あうんの呼吸で生産性をあげる「ものづくりシステム」をつくりあげた。アメリカなどでは、価値観が異なる人々が働くので、マニュアルやシステムなしでは効率的に生産性をあげることはできない。従業員主権、終身雇用、年功序列によって特徴づけられる「日本的経営」は、部品点数が1,000~10,000点のオーダーでは国際競争力を発揮した。

 需要サイドの中流生活への欲望、供給サイドでは、伝統的な家族制度を企業経営に活かした「日本的経営」の確立は、戦後性と後進性という有利な条件のもとで、戦前及び戦中に抑圧された欲望が解放されることによって生まれた。この時代を支配した価値意識は、欲望は抑圧するのではなく、解放するのが自然な生き方であるという「欲望自然主義」である。

 この仕組みの頂点がバブル経済である。バブルは行き過ぎた需要の過熱であり、山が高ければ高いほど、谷は深くなり、そのもっともタイミングが悪いなかで、金利の自由化と証券と金融の垣根を取り除く、規制緩和策をとったので、長期の金融不安を招く結果となった。そして、これ以降は、日本経済は低迷を続けることになる。「失われた30年」である。

 1990年代の初頭は、日本経済は、産業的にみれば、エレクトロニクス産業と自動車産業という二本柱があった。現在では、エレクトロニクス産業は多くの企業が淘汰され、柱とはなり得ず、自動車産業では、トヨタへの寡占化が集中し、海外生産比率が50%を越え、EV化が進むとみられている将来市場では、ものづくりの強みは限定的とみられ、株式時価総額では、トヨタの約32兆円に対し、生産台数で10%強にしかすぎず、テスラは約60兆円と倍以上である。

 産業的にみるならば、日本経済の長期低迷とは、大手10社で100兆円の企業規模を誇ったエレクトロニクス産業の崩壊である。半導体市場や液晶や有機パネル市場で、サムスンや鴻海精密工業などに敗れ、白物などの家電市場では、ヨーロッパメーカーの高級市場についていけず、中韓メーカーと低価格競争で敗れ、逃げ道は車載用充電池しかない。1990年代の自動車とエレクトロニクスを合わせての主要企業規模は約200兆円あったものが、現在では半減している。このエレクトロニクス産業の低迷が、大阪や工場が多くなった地方に大きな影響を与えている。周知のとおり、この産業を活性化させるのに、政府の財政政策や金融緩和は直接的にはなんの役にも立たない。

 なぜ競争力を失ったのか。家電、特にPCなどのエレクトロニクス分野では、日本企業のすり合わせが活かせる垂直統合よりも、多様な部品を水平分業によって提供するシステムが、より安くより多様なユーザーに対応できるようになり、日本は単独企業では対応できなくなった。PCが典型であり、半導体製造装置がオランダ企業に負けている理由でもある。

 また、半導体や液晶などのパネル事業は、需要を踏まえた大型投資によって、規模の優位性を維持することが成功の鍵を握る。しかし日本は、韓国や台湾のようなオーナー企業でないことから、リスクのある大きな投資には意思決定の時間をかけざるを得ず、投資のタイミングを失した。経営者がサラリーマン化し、リスク回避的になり、暴走すれば過剰なリスクテイクになり、誰も制止できない。

 また、日本のエレキメーカーは、民生品と半導体などの部品の垂直統合をしている企業が多く、半導体などの部品の需要そのものを創造できるスパイラルが強みでもあった。ところが、スマホでシェアを失うと半導体の内製需要がなくなり、コスト高から事業を撤退せざるを得なくなった。1990年代に、10社あった日本のエレクトロニクスメーカーの売上は約100兆円だった。それが現在では5社になり、売上も約30兆円へと激減している。その影響力は、GDP比で10%を超えるものである。

 さらに、半導体などでの政府が主導する再編やプロジェクトが再三失敗していることも大きな要因だ。韓国がIMF危機から再生し、一業種一社の産業独占化による再生をすすめた。例えば、半導体ではサムスンが国内市場を独占し、政府の支援を得る。政府―サムスン一体の体制である。日本では10社がひしめき何も対策をとらない。この条件でチキンゲームの投資競争をすれば財力で劣る日本企業が負けることは明らかだ。競争に負け始めると再編による寡占化で対応しようとする。産業組織論の教科書にはそれしかないからだ。そして、ビジョンもない金融の専門家などを経営トップに据え、経営をコントロールしようとする。これでは負けるための独占企業育成である。

 エレクトロニクス産業は、垂直統合によるものづくりに代わる強みを創出できなかった。何よりも、製造業らしく、新しく市場を創造する最終製品開発を、巨額の研究開発投資を続けたにもかかわらずまったくできなかった。「ウォークマン」的なライフスタイルを提案するようなヒットがまったくない。ユーザー目線を喪失している。

07

日本経済の再起動―多様性の経済

 日本経済が再起動できないのは、これまでの三つの強みが崩壊しているからである(図表3)。強みが弱みに転化しているのに、強みを手放せない。

図表3.日本経済の崩壊シナリオ
日本経済の崩壊シナリオ"

 中流層の厚みは、収入格差と資産格差によって薄くなってしまった。長く維持されてきた企業の研究開発投資は一向に成果をあげていない。その中で中国などに遅れをとっている。三つ目に、高い協働性を維持してきた価値観の同質化は失われている。世代や年代が少し異なれば、育ってきた経済環境や教育制度が異なり、他世代や他年代とのコミュニケーション機会が失われてきている。会社以外の場では、同年代以外の年代層と話す機会はほとんどない。

 すり合わせ型ものづくりを可能にする同質集団、多品種少量生産を支える社内外の技術蓄積、そして専門化による分業よりは同質社会が可能にする相互依存による分業ネットワークなどの強みが失われた。

 この強みの頂点に立つのが、家電エレクトロニクス産業と自動車産業であったが、まずは家電エレクトロニクス産業が、製品開発スピードと多様性で競争力を喪失し、さらに低価格競争で負け、自動車産業の一本足打法となり、その自動車もEV化の波で安泰とは言えない。

 ものづくりの中小企業は、ドイツの中小企業とは異なり、大手の垂直分業に組み込まれ、下請け化し、競争力はない。また、市場のローカル化で期待される農林水産業を基礎とする食品産業、そして食品スーパーなどの食文化産業は、低生産性と低収益性に陥ったままである。さらに、大きな雇用を抱える小売業などの販売サービス、飲食、レストランや宿泊業などのサービス産業はそれぞれ固有の既得権益などの構造問題を抱え、低収益性に甘んじている。他方で、新たな産業やベンチャーも生まれない。

 これでは日本経済の未来は見えてこない。
  (参照コンテンツ:「情報家電産業の再生とリバイバル戦略」)

 新たに起動すべき日本の強みは、中流層に代わって台頭する生活スタイルの多様性であり、多様な技術開発と広範なAI利用技術などへの集中、そして、価値観の異質性と包括性である。つまり、「規模の経済」に代わる「多様性の経済」である。

 階層化要因などを背景に、より価値志向を強めるとともに多様なライフスタイルが生まれる。この多様性に対応するために、様々な製品の連携による経験財の創出が生まれる。経験財を構成するのは、ものづくりで裏打ちされた単品であり、それを組み合わせた多様なシステム商品である。このシステム商品に情報やコンテンツが付加され、さらに、サービスを包括して重層な価値が生まれる。このような多様な価値提供とライフスタイルを結ぶのが地域集中小売業であり、地域集中プラットフォームである。ここでは専門化を通じた補完的連携や協業で運営される。

 この生産者が生み出す多様な価値提供は、多様なライフスタイルが基盤となる。また、多様なライフスタイルは多様な価値提供によって実現される。つまり、多様性が多様性を生むシステムである(図表4)。

図表4.21世紀の日本経済の再起動シナリオ
21世紀の日本経済の再起動シナリオ"

 社会階層に多様性が生まれることは、重要なことである。仮に、収入や資産で階層が上下に二分化されるような単純社会では価値が生まれるには多様性が不十分だ。従って、自己実現意欲と意欲喪失につながらないように十分に所得再配分政策をとっていく必要がある。多様性が多様性を生む経済への転換の産業政策は、既存の業種業界の縦割り支援策から業種業界横断的な支援策への転換である。

 縦割りを維持する規制、補助金などの既得権益は排除し、横断的な支援のための規制や補助金に転換する。半導体産業を育成しても既得権益化するだけだ。他業種の最終消費者向けの用途開発と半導体生産との自由な水平連携策が必要である。最終製品と半導体とのスパイラルの形成を促すことが重要だ。その上で、産業再生の見本例を提示することである。新しい産業政策は、規制、補助金や寡占化、独占化のコーディネートではなく、課題解決力のある情報を提供することである。特に、産業革新を進めるには、全産業からすすめるのではなく、様々な産業の見本例を提示し、波及させていくことが大切である。

 低生産性の農業・製造・小売の食品産業、規模の経済から抜け出せないエレクトロニクス産業で、高収益産業を創出し、新たな強みを創出することは極めて大切だ。

08

21世紀のマーケティング原理

 21世紀の日本では、世界がスモールワールドへと進化し、消費主導の価値社会へと転換していく、というのがシナリオだ。世界も日本も、予兆的に変化していく。この変化に適応し、また、先取りして企業を中心としたマーケティングが展開されることになる。そうなれば、多様なマーケティング主体がマーケティングを構築する原理は何であろうか。それは三つの原理である(図表5)。

図表5.21世紀のマーケティングの原理
20世紀のマーケティングの原理"

 第一は、「階層化の原理」である。下流層から中流層への上昇が、人々の模倣欲望を刺激し、誰もが中流と呼べる生活が実現した。下流と中流を橋渡しした機能が、教育メカニズムであった。勉強してより高い教育を受ければ、地方の農民層から都市のサラリーマン層へと上昇することができた。そして、サラリーマン層が享受する自動車、最新家電、持ち家、子供の教育などが模倣欲望の対象となって、次々と新製品と新市場が形成された。

 これは、「階層化」が「格差」をもたらし、追いつこうとする模倣欲望を生み出したからである。発展途上国から先進国へは、どの国も辿る道である。中国も急速な中流化と下層化が起こっている。

 21世紀の日本は、この階層化、格差化の原理を踏まえることになる。中流層が、年収格差の拡大によって、一部が上流層に上昇し、多くが下流層へと下降し、下流層が大勢を占める社会へと変わっていく。階層化が格差を生み、格差が模倣欲望を生んで、新たな階層化を生むというメカニズムが生まれる。21世紀のマーケティングは、「平等の原理」からこの「階層化の原理」を取り込む必要がある。

 第二は、「多様性の経済」である。「多様性の経済」は、都市の経済を研究したJ・ジェイコブズ 11 によって提唱されたものである。街には、繁栄する街と衰退する街がある。その差は、街の設計にあって、大きなブロックで形成された近代的なビジネスビルが支配するような街は活気が失われ人口が衰退していく。他方、小さなブロックで、雑居ビルなどが残る街では、様々なサービスが生まれ、人口が増え、発展していく。この差は、街路の長さやビルの大きさなどに象徴される暮らしにとっての多様性である。歩ける街並み、ビル家賃の安いところから高いところまでの幅、そして人口の集積など多様性の大きい街は、多様な場所が多様な人々を惹きつけ、新しい商売を可能にし、チャンスや仕事があるので多様な人々が集まるというメカニズムが生まれる。これが、多様性が多様性を呼ぶ「多様性の原理」である。

 21世紀、消費者の商品サービスへの期待はどんどん高度化することが予想される。単品だけでなく、補完商品、情報ソフトやサービスなどの多様な付加価値を包摂して提供される。これからのマーケティングに取り込んでいく原理は、規模の経済ではなく、「多様性の経済」である。

 最後に三つ目の、「利他性の原理」である。階層社会は「不満社会」である。現代日本にもそれを予兆するような犯罪がある。不満が高まれば、人々は意欲を失うか、政治的対立が高まる。他方で、ぬるま湯になれば停滞社会へと沈んでしまう。こうした社会で企業が生き残るために、企業や経営者の強欲(greed)をむき出しにすることはリスクが高い。特に、政治と結びついたり、政治色を帯びたりすることはリスクが高い。

 他方で、自己利益だけの追求を通じて「神の見えざる手」が限られた有限資源の最適配分を達成できるとするアダム・スミス 12 の市場原理も否定できない。スミスは、他人への哀れみ(pity)も忘れてはいなかった。これは、現代では「厚生経済学の基本定理」 13 として定式化されている。

 従って、自利に裏づけられた利他的行動が相応しい。他者の利益となり、同時に自己利益にもなる経営目標である。これは、消費者ニーズを満たす(利他)ことによって対価を獲得する(自利)マーケティングそのものである。つまり、自らの事業を通じて、もっとも効率的な顧客獲得をめざすことである。

 21世紀には自己利益の追求だけでは、すべてのコストの負担者である消費者に存立を認めてもらえない。存立を可能にするのは、消費者志向のマーケティングである。

 ここで改めて、21世紀のマーケティング原理を確認すると、「階層化の原理」「多様性の原理」そして「利他性の原理」である。次に、この三つの原理に基づいたマーケティングを提案することにする。

【本論】再成長の利他的マーケティングの組立て―21世紀の企業存立に向けて

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【脚注】

1.SWOT分析:個々の企業が置かれている環境条件やトレンドから機会と脅威が生まれ、自社の際だった能力から強みと弱みが認識され、両者の組合せによって、機会と自社の最善の調和が評価、決定され、そして、市場と製品の選択として「経済戦略」を創造するというもの(K.アンドリュース)-「戦略思考の鍛え方と戦略パラダイムの歴史」松田久一著(2013)、第五章より

2.西田幾多郎「世界新秩序の原理(西田幾多郎全集 第十二巻)」岩波書店(1966年)

3.イアン・ブレマー「『Gゼロ』後の世界:主導国なき時代の勝者はだれか」日本経済新聞出版(2012年)

4.ポール・ケネディ「大国の興亡」草思社(1988年)、「人類の議会」日本経済新聞出版(2007年)、「ポール・ケネディ教授に聞く米中・大国の興亡」国家基本問題研究所(1991年)などを参照

5.アルフレッド・T・マハン 「海上権力史論」原書房(1982年)

6.エマニュエル・トッド 「新ヨーロッパ大全」藤原書店(1992年)、「世界の多様性-家族構造と近代性」藤原書店(2008年)、「家族システムの起源」藤原書店(2016年)を参照

7.コストベネフィット分析:費用-便益分析(cost-benefit analysis)。公共財の供給における社会的な費用と便益とを比較する研究-「マンキュー経済学Ⅰミクロ編」N・グレゴリー・マンキュー著、東洋経済新報社(2019年)を参照

8.成長会計:経済全体の成績(GDP成長率)を、その内訳に注目して成長の要因を明らかにしようとするもの。生産にあたっての生産要素として資本と労働を考え、コブ=ダグラス型の生産関数を仮定すると、GDPは、技術水準、資本投入量、労働投入量によってあらわすことができる-「通商白書2013」経済産業省。詳しくは「マクロ経済学」スティグリッツ著、東洋経済新報社(1995年)を参照

9.ソローモデル:経済成長を、「技術進歩」「資本蓄積」「労働投入量」の三つに要因を分解して捉えるモデルのこと。詳しくは「技術進歩と集計された生産関数(technical Change and the Aggregate Production Function」(1957年)を参照

10.マルサスの人口論 「人口論」中央公論新社(2019年)。人口は等比級数的に増加するが、食糧は等差級数的にしか増加しない。人口急増期を迎え、人口増こそ富める国の証しとされた18世紀ヨーロッパで、その負の側面に切り込んだ

11.ジェイン・ジェイコブズ「アメリカ大都市の死と生」黒川紀章訳、鹿島出版会(1977年)

12.アダム・スミス「国富論(諸国民の富の本質と原因に関する研究)」岩波書店他(1776年)

13.厚生経済学の基本定理:競争均衡配分とパレート効率的配分の「同値性」を主張するもの。「私的所有経済の競争均衡配分は、存在するかぎり必ずパレート効率的である」(基本定理I)、「生産を含む私的所有制経済における任意のパレート効率的配分は、適切な一括型の税・補助金による所得再分配を行うことにより、競争均衡配分として実現することができる」(基本定理II)から成る-「ミクロ経済学II」奥野正寛・鈴村興太郎著、岩波書店(1988年)