資本主義の近未来の行方―企業の持続的存続の鍵

2024.03.22 代表取締役社長 松田久一

01

時代を読むー持続的成功への答え

 企業が21世紀に生き残り持続的な高収益をあげる鍵は何か。

 結論として主張するのは、時代を捉えた商品サービスの価値を他社よりもうまく提供する仕組みをつくること、である。

 現在の市場と競争関係のなかで、自社の競争優位を踏まえて、成功の鍵である機能をおさえる。その戦略を明確にしてそれを実行する組織を構築する。これを経営者交代や株価下落などの外的ショックの大きい時機を狙って行う。アメリカでMBAを取得しなくても、少々真面目に、理論、事例と市場分析力があればできることだ。

 この論理は会社が置かれている環境をシンクロニック・共時的に捉えた解答だ。このアプローチは、ポーターの競争戦略論をベースに幾つかの派生的研究をフォローすれば、習得できる。ポーター理論が登場して約40年が経過し、RBV ※01などの様々な戦略理論の興亡があったが、このパラダイムが現代でも生きている。ここで提示された価値活動という概念と企業を捉えるフレームワークは他にはない。

 こうしたシンクロニック・共時的※02アプローチに対し、ダイアクロニック・通時的アプローチがある。時間の流れ、つまり、時代に対して、どう舵をとるかという戦略論だ。会社の持続的な存続にもっとも大きな影響を与えるのはこれである。

 それは、時代の規定であり、規定の背後にある時代認識である。優れた経営には、優れた世界認識と歴史認識がある。なぜなら歴史認識にもとづいて、未来の予測ができるからである。

02

未来予測の理論

 戦場で天気が予測できれば戦術と実行が変わる。フィクションだが「赤壁の戦い」でみせた諸葛孔明は予測の名人だ。「バックトゥザフューチャー」でも、現在を変えるために過去に戻って歴史を修正しようとする。「イノベーション」で知られるシュンペーター※03は、20世紀前半、資本主義はいずれ社会主義に変わると想定し、資本主義が延命するための超過利潤の論理を導出した。未来予測が、行動を変え、行動が結果をもたらす。

 未来予測が成功の鍵であるという当たり前すぎることが研究されないのは、問題が歴史や歴史観にあり、経営やマーケティング研究者には手に負えない領域になるからだ。未来に行って株の価格変動を知って、現在に戻ってくれば投資に成功するのはきまっている。現実には、未来予測は、経営者の直観によるものであるが、一定の歴史観にもとづくものでもある。

 優れた経営者は、「どうしてそんな愚かなことを」というような決断する。もっとも有名な経営者として、Appleの創業者の「スティーブ・ジョブス」がそうだ。オーディオ機器に白色を用いたり、多機能競争に対してシンプルな割りきりでスマホに参入したりするなど、人々の思い込みやフレームを覆して成功を収めた。他方で、西武百貨店などのセゾングループを率いた堤清二のように、流通産業を「市民文化産業」と位置づけ失敗することもある。

 成功の指標である高収益の鍵は、ダイアクロニック・通時的な時代認識とシンクロニック・共時的なうまい価値活動の構築との結び目にある。時代観が何を提供するかという価値を規定し、価値活動において他社よりもうまく活動することが成功の鍵だ。時代観なしに価値は規定できない。経営とは、横断的な競争優位の確立という横糸と通時的な会社の方向付けという縦糸で織られている。

03

現代の読み方

 現代という時代をどう読むか。それができれば、拙い文章をしたためるより実践した方がよいのだが、決定は「現場(それぞれの産業と企業)」で行われ、それぞれ個別なもので、企業や産業の特殊性を踏まえて、一般化できれば少々の役に立つのではないか、と願う。

 ここでは、現時点における社会と経済のすすむ方向に焦点をあててみる。

 まずは、無謀なことだが、資本主義の成立根拠と進化を概括し素描してみる。

04

資本主義の否定としての未来

 歴史が「否定の否定※04」の反復であり、将来の経済は、現状の資本主義を否定した経済の実現ということになる。その否定形が、長い間、「社会主義」であったことは言うまでもない。1989年の「ベルリンの壁崩壊」までは有力なピンチヒッターだった。

 将来を読み先手を打つということは、本質的には先の経済の仕組みを予測することだ。それは、ヘーゲルの歴史観に従えば、資本主義の否定になる。それを明らかにするには、資本主義とは何か、を明らかにしなければならない。

 単純には、資本主義経済の歴史的特徴は、私的所有、貨幣取引、等価交換による富の再配分の仕組みと言える。この特徴は、経済を包摂する社会、つまり、市民社会と相即的なものであり、ヘーゲルは、封建社会と比較して「欲求の体系※05」として捉えている。この捉え方は、アダム=スミスの「国富論」の継承である。

 これを踏まえると、資本主義とは、諸個人の諸欲求を満たすために、貨幣による商品の等価交換によって実現する仕組みということになる。これを文字通りに形式的に否定すれば、私的所有の否定、欲求の否定、貨幣取引の否定、等価交換の否定となる。例えば、「シェアリング経済※06」、欲望抑制による「モラル経済※07」やポトラッチ※08のような「贈与経済※09」などが代打候補としてあがる。

 しかし、これではピンとこない。いかにも経済の苦手な社会学研究者が思いつきそうなことで、少々、批判すれば破綻しそうである。戦略経営やマーケティングの現場の人間は、問題解決に汲汲として切羽詰まっている。臨床医のようなものだ。患者のために最新の治療をしたいが、研究医によって実証も理論の体系化もされていないのに処方箋が必要である。

 経済の臨床解剖医であり、外科医としていえる現代資本主義の特徴は、私的所有にはない。もっとも大きな歴史的特徴は、幻想が幻想を生み、欲望が欲望を生むという経済システムの自己言及性にある。

 欲望が商品を生み、商品が貨幣欲望を生み、貨幣が資本欲望を生み、資本が利子欲望を生むように次々と幻想が欲望を生み、実体化され、実体が幻想化されて、どんどん欲望が高度化され、人間と人間の関係が外化され、物象化されていく仕組みである。ヘーゲルは、このような人間のあり方に根ざす行為を、外化(Entäußerung)※10、疎外化(Entfremdung)※11、物象化(Versachlichung)※12という概念で捉えた。この疎外概念は、マルクスに引き継がれ、吉本隆明は、人間の表現、表出として「原生的疎外※13」と捉え、言葉の分析の基礎に据えた。人間が生み出したものが、何度も繰り返し転倒していく社会が資本主義社会である。

 その最たる物と言えば、近年話題の「新NISA」である。株とは会社の利益が、分け前が欲しいという欲望から生まれ、市場取引されることによって、利益とは直接関係のない株価を形成する。その株価は、不確実性を持つので分散投資によってリスク分散した株の組合せの販売手数料という商品である。金融商品とは、不確実な予想、つまり、幻想を何重にも重畳した幻想である。土地は何も生まないのに地価(価格)があるのは不思議なことで、それを現代人は当然視し、実体として認識している。

 21世紀の現代の資本主義は、人と人との実体関係ではなく、幻想が幻想を生む段階にまで進化した。結果として、本来価値のないものまでも価値化し、商品化した。水は生物的にもっとも有用性があっても、日本では無限に供給されるので商品にはならなかった。デジタル情報やコンテンツは、コピーするのにほとんどコストが必要ないので商品にはならなかった。自由競争市場では、価格は、もうひとつ生産するのに必要な限界費用に一致し、限界費用がゼロなら価格がつかないからである。

 現代資本主義では、情報やコンテンツを販売しているGAFAなどがもっとも収益を上げ、先進国では、水道水があるにもかかわらずブランド水を、コストをかけて飲んでいる。こうした産業や職種の差が、収入格差や資産格差を生んでいる。土地は、それ自体が価値を持つものではない。従って、もしその土地で平均的な商品サービスを提供するなら、という仮定のもとで地代が形成される。従って、地価が上昇し、資産が増えて、富者になるというのは、資本主義的幻想の賜である。そして、こうした格差が、人々の勤労意欲、やる気や生きがいに疎外として影響を与える。

 他方で、資本主義が繰り出す幻想で、もっとも価値ある「自由」という幻想である。マルクスは、商品交換は、「交換者が、互いに、自由で平等で、ベンタム(功利)」の上で成立するという仮想を繰り返すことを見抜いていた。労働者は、労働力を売り、資本家は労働を購入するという不平等があり、そこに搾取が隠蔽されていても、労働者は賃金によって雇用されない自由を持つという仮想のもとで労働契約を結ぶ。この契約は、自由、平等という原則が貫かれている。資本主義がもつこのような価値普及の仕組みを「資本の文明化作用」と呼んだ。未来としてのシェアリング経済、モラル経済や贈与経済には、自由ではない、「自生的秩序※14(ハイエク※15)」ではない、権威主義や独裁制の香りが残る。

 従って、自由という理念をもっとも尊重するならば、資本主義の否定は、やはり、資本主義と言わざるを得ない。単純化するならば、利己的資本主義の否定から利他的資本主義への進化である。これは何も難しいことではない。

 アダム=スミスが予想していた原理的な資本主義である。消費者は生きがいを追求し、それに資する価値として商品を選択し、企業は、自社の技術の上で、消費者の求める価値を商品化し、市場化するだけである。この価値交換を、仕組みとして媒介するのが、「市場プラットフォーム」である。スミスは、富とは商品であり、需給は「神の見えざる手※16」によって調整されるとした。その条件は、消費者も企業も自己のみの利益を追求することである。しかし、現代では、消費者は生きがいという利己的利他=利他的利己を追求し、企業は消費者の価値を提供(利他)し、結果として利益(利己)を追求するという条件に書きなおさらなければならない。消費者は自分の生きがいを追求し、企業は消費者志向のマーケティングを実践すれば、利他的資本主義へ転換できる。

 政治的条件は、自由と平等を実現するために社会的な最小コストで、消費者が生きがいを追求できる条件を整備し、企業が消費者志向のマーケティングにインセンティブを与える条件をつくればいい。それには、社会的正義のある社会福祉政策、ブルーワーカー偏重の雇用者無視の労働法改正、後進国的な産業別産業規制の緩和や独占禁止法の厳格化などができればよい。市民社会の歴史的意義は、政治から経済が分離されることにある。封建社会のように配分を政治が決定するような社会ではない。「市場の失敗」よりも「政府の失敗」を懸念する社会だ。

05

日本の資本主義の四つの進路

 資本主義の否定が資本主義である。この帰結を踏まえて、日本独自の、欧米にはない課題は大きくふたつある。

 ひとつは、明治以降続けてきた近代化をどうするかである。これは、欧米資本主義国にはないローカルな課題である。日本の近代化は、欧米に追いつき、追い越せの歴史であった。近代化後のポストモダン化という「近代の超克」という欧米を超える課題である。江戸時代までの日本の歴史が「脱中華化」であったように、「超欧米化」の課題がある。

 もうひとつは、資本主義が内包する階層化への課題である。これは先進資本主義国が共有する課題である。行き過ぎた強欲(greed)の繋がる利己的資本主義の弊害である。富の偏重と階層化は、機会平等を失わせ、社会への不満が蓄積し、政治的不安化をもたらすことは明らかである。日本でも、先進諸国でも、財政規律と規制改革によって、社会保障制度や社会政策が後退し、階層格差が拡大することは目に見えている。

 このふたつの課題に対して、市民社会を基礎に、どのような資本主義化をすすめるべきか。その大きな枠組みがわかれば、明治以降、「近代」という「雲」を追いかけて、坂道を上っていったように、人々にどんな価値を提供し、どんな企業を構築すべきかの手がかりが得られるはずである。それが戦略経営の発想である。

 それぞれの課題には、ふたつの進むべき方向がある。

 近代化の課題は、ポストモダン化と再近代化である。欧米近代化を補完してよりブラッシュアップされた近代化をすすめるか。未完の近代化、つまり、政治の民主主義化、経済の市場化、社会の自由化を再度試みるということである。

 先進国共通の資本主義のグローバルな現実的な課題については、暴走する資本主義による階層化に対して、ふたつの方策が考えられる。それは、資本主義の根底にある欲望に対する対応である。ひとつは、欲望を個人の次元の内面の自由をさらに無限に拡大することである。ヘーゲルによれば、歴史は自由という理念の実現過程である。その自由とは、精神世界の内面の自由の拡大である。もうひとつは、利己的欲望を利他的欲望に転換することである。欲望を、利己的欲望に裏づけられた利己的欲望に抑制し、「社会的欲望」に変換させることである。

06

四つの資本主義―利他的資本主義、超自由資本主義、交響的共同経済、帝国的資本主義

 このふたつの課題のふたつの方向を、平面図に位置づけることができる。このことによって、日本の資本主義が進むべき方向が整理できる。「利他的資本主義」、「超自由資本主義」、「交響的共同経済」、「帝国的資本主義」の四つである 。

 利他的資本主義とは、資本主義のあり方を、アダム=スミスの「諸国民の富」に遡り、利他的欲望を基礎に立ち返ることをめざす原理的な志向性である。スミスは、私欲のみの追求が社会的な善をもたらすと述べる一方で、「憐れみ」を人間の根本に据えた道徳社会論を基礎にもっていた。ここから私欲とは利他的欲望に裏づけたものである、という捉え方ができる。一般的に、利己的欲望をもとに、需要と供給が「神の見えざる手」=市場原理によって、調整される経済メカニズムであり、経済厚生が最大化されるとされる。価値をもつので商品は欲望の対象となり、生産として社会的に供給される。

 人々の生きがいに繋がる価値創造をもとにした資本主義に修正されるべきだとする方向である。ジャック=アタリ※17の資本主義論がこれに近い。この資本主義化の背景となるのは、家族単位を基礎とする消費社会である。

 超自由資本主義とは、現在の資本主義をもたらした利己的欲望をささえる自由を、さらに内面の自由の無限性にまで延長し、外面的な物的財の供給を無限大にした制度である。経済主体は、家族から個人へと拡大する。経済成長の源泉を、個人の精神的物的自由の拡大に置き、すべての制約から解放される。すべての個人のすべての欲望が、市場メカニズムを通じて、解放されることをめざす経済システムである。欲望を満たす情報・コンテンツ・サービスが価値を持つ社会である。

 交響共同体経済とは、価値を持つ有用な財を、商品交換ではなく、贈与や互酬性によって行う経済システムである。社会の基礎を、個人間の紐帯関係に基礎を置き、贈与や商品取引による。人と人とが信頼関係を結び、紐帯関係になることによって、カシーカリ関係で財のやりとりをする。これを可能にするのが、多数の売り手と多数の買い手を結び、マッチング、物流を基礎にした市場プラットフォームである。紐帯的な人間関係基礎に、市場原理だけなく、カシーカリ関係などで社会的交換をめざす拡大共同体である。経済成長よりもゼロ成長の「定常状態」をめざす日本型経済システムを志向する。柄谷行人※18の互酬性交換による共同体や見田宗介の人々が利害衝突するのではなく、「交響」するコミューンなどと近似する、資本主義経済に対抗する経済関係である。

 帝国的資本主義とは、一国資本主義や帝国主義ではなく、グローバル資本主義の主人公である情報寡占企業が、国家を越えて情報によって個人を監視し、様々な情報・コンテンツ・サービスをグローバルに組織化し、日本などの各国資本主義を、中心と周縁のような世界システムに組み込む多元的な資本主義である。個人間の情報の非対称から価値を創造し、成長に組み込む。ネグリ※19の「帝国」と近似する。

 この四つの資本主義化の共通基盤となるのは、「欲求の体系」としての市民社会であり、物的財を包括する情報・コンテンツ・サービスを財とする情報消費社会化であり、個人、家族を基礎とする社会関係化、そして、内面を含む自由の理念の実現である。これは自然史的過程と見なすことができる。

資本主義のタイプ

07

日本の資本主義の四つの方向への多元進化と未来予測

 日本の資本主義は、この四つの資本主義化を進めながら進化していく。これは、西洋の近代化と明治以降の日本の近代化の現実化の否定として新しい理念として抽出されるものである。ヘーゲルの言うように、経済社会の結果である歴史は自由理念の否定によって現実化される。この歴史理論に立脚すれば、この四つの資本主義化がもたらす産業や個々の企業への影響が予測できると思われる。近代化の歴史を分析し、否定として現在の理念、その理念の否定としての未来が生まれるという弁証法に立脚すれば、21世紀の産業と企業の未来が予測できる。具体的な予測は読者に委ねるとする。

 自然―人間史観のもとに、人間の生活を自然の物質代謝過程として描いたマルクスは、優れた理論家であったが、19世紀のナポレオン3世の帝政誕生は予測できなかった。しかしながら政争のなかで、階級よりもルイ・ナポレオンを支持した大衆が大きな影響力を持つことは分析できていた。もっとも高度に発達した資本主義のヨーロッパから社会主義が誕生するという予測もはずした。21世紀に生き残れる企業は、優れた理論にもとづく、精度の高い予測が求められる。

【注釈】

※01 RBV(Resource-Based View)
強い製品分野を明確にし、その強さを形成している経済資源(リソース)を強化したり、拡張することを戦略の基本に据える考え方。

※02 共時的・通時的
言語学者ソシュールの用語。「共時的アプローチ」とは言語のある時点での構造や要素に注目する方法論。「通時的アプローチ」とは時間の流れに沿って特定の事象や社会の変遷を調査・理解する方法論。

※03 ヨーゼフ・シュンペーター(1883~1950年)
旧オーストリア・ハンガリー帝国生まれの経済学者。1912年発刊の『経済発展の理論』の中で、「新結合」という言葉でイノベーションを世界で最初に理論化した。彼は「新結合」の中身を、1)新しい財貨の生産 2)新しい生産方法の導入 3)新しい販売先の開拓 4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得 5)新しい組織の実現の5つに類型化している。
企業による新結合は経済から自発的に生まれた非連続的な変化であり、それにより「古きものを破壊し、新しきものを創造して、絶えず内部から経済行動を革命化する産業上の突然変異」をシュンペーターは創造的破壊と表現、「資本主義の本分は創造的破壊である」として創造的破壊を企業活動の中心に位置づけている。

※04 否定の否定
ヘーゲル弁証法の根本法則。哲学的な概念で、ある主張や状況を否定し、その後にそれを再び否定することで新しい肯定的な立場を構築するプロセス。

※05 欲求の体系
人間の欲求や願望がどのように組織され、発展していくかを理解するための概念。

※06 シェアリング経済
個人や企業がインターネットを通じて財やサービスを共有し、効率的な利用や持続可能性を目指す経済モデル。

※07 モラル経済
経済活動が倫理的な価値観や道徳に基づいて行われる経済モデル。

※08 ポトラッチ
北アメリカ太平洋岸の先住民社会で広くみられる、儀礼的な贈答競争や、威信と名誉をかけた贈答慣行などを指す。
ポトラッチでは、主催者は盛大な祭宴の席で招待客に大量の財貨、毛布や銅板などの贈答物をばらまく。招待客は招待や贈答物の受け取りを拒むことができず、また後日、招待されたもの以上の規模の祭宴を催さねばならない。これに失敗すると彼の名誉は損なわれ、地位は下降する。答礼が十分でない場合には、相手の奴隷身分に落されることもある。
ポトラッチを行う動機は、自らの富を誇示し、それを惜しげなく与えることによって競争者を打ち負かし、自らの威信を高めることにある。贈物の贈与ではなく、相手の目の前でみずからの所有物や家屋などを焼却したり、貴重な銅のプレートなどをたたきこわしたり、ときにはみずからの奴隷を殺したりすることによって、気まえのよさを誇示することもある。
近代的経済観念に反するこの特異な慣行は、M.モースの贈与論などに示唆を与えている。

※09 贈与経済
経済活動が市場価値や金銭に基づくのではなく、無償で物やサービスを提供することに焦点を当てた経済モデル。

※10 外化(Entäußerung)
個人が自己の本質や能力を外部に投影し、それを自己から分離させるプロセス。

※11 疎外化(Entfremdung)
個人が自己や自己の能力を外部化し、その結果、自己と他者との間に分離感や断絶感を感じる状態。

※12 物象化(Versachlichung)
心の中の概念が外部の世界に具現化されるプロセス。

※13 原生的疎外
吉本隆明の「心的現象論」内で言及されている概念。人間を含むすべての生命体がその存在自体により無機的自然に対してもつ違和。

※14 自生的秩序
F・A・F・ハイエクは社会秩序を大きく二つに分け、そのうち「自発的に形成される秩序」を「自生的秩序」(あるいはコスモス)と呼び、「意図的に作られる秩序」を「組織」(あるいはタクシス)と呼んでいる。自生的秩序 (a spontaneous order)は、一般的規則に応じて個々人が各自の異なった多様な目的を自発的に追求する活動の意図せざる結果として、自生的に形成される秩序であり、それ自体、特定の目的があって形成されたものではない。
ハイエクは「自生的秩序」の典型例として、市場における経済秩序(市場秩序)を挙げている。ハイエクは空間や時間に関する知識、情報の重要性を指摘し、競争圧力をもたらす市場機構を通じて膨大な知識が圧縮されつつそれらが価格情報に一元的に還元される側面から、情報伝達システムとしての市場機能に着目した。ハイエクは、市場での交換過程における競争の土台に一般規則 (ノモスとしての法)が存在していると認識しており、一定の規則つまりルールを前提とすることで経済活動における一定の限界が示されるとともに経済的成果に対しての確実性が保証され、市場経済が機能すると考えている。
ハイエクは内生的、内発的、自生的秩序としての市場を、経済的制度に止まらない、政治的、文化的領域をも含んだ社会的制度とみなしている。

※15 F・A・F・ハイエク(1899~1992年)
オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、心理学など多岐に渉る業績を残している。
20世紀を代表する自由主義の思想家であり、現代のリバータリアンの思想的支柱を成す存在とされている。ハイエクはデカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義 (constructivist rationalism)」と呼び自由主義に反するものとみなしており、「理性主義」に依拠した計画経済や集産主義 (collectivism)、それに基づくと見なされる社会主義、共産主義、ファシズムには反対の立場を示している。
1974年にノーベル経済学賞を受賞している。

※16 神の見えざる手
「市場における自由競争がさまざまな過不足やアンバランスを自ら調整し最適な資源配分をもたらす」という市場の自動調整機能を表す喩えとして、「神の見えざる手」というコトバがよく用いられる。
アダム=スミスの「国富論」では(「神の見えざる手」ではなく)「見えざる手」という表現が用いられており、「個人が利益を求めて利己的に行動しても、『見えざる手』(invisible hand)によって導かれ、結果として経済はうまく回る」とし、「市場における自由競争によって生産性が高まる」とする考え方から、市場機能に基づく自由放任主義が唱えられている。

※17 ジャック=アタリ(1943年~現在)
フランスの経済学者、作家、政治顧問。

※18 柄谷行人(1941年~現在)
日本の哲学者。東京大学経済学部卒業。『意味という病』(1975年)、『坂口安吾と中上健次』(1996年)、『帝国の構造』(2014年)、『世界史の構造』(2015年)など。

※19 アントニオ・ネグリ(1933~2023年)
イタリアの哲学者、政治理論家、マルクス主義者。有名な著作のひとつは「帝国」。