眼のつけどころ

世界情報寡占企業からデータ提供代が貰える日
―「グーグル後の生活」と等価交換

2018.10 代表 松田久一

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アメリカの長いものには巻かれろ

 日本は不思議な国だ。アメリカやアメリカ企業にはなぜかやさしい。否、弱い。日本政府への最大の圧力団体は、「アメリカ商工会議所(ACCJ)」だというのも関係者によく知られている事実だ。但し、日本企業には超厳しい。

 日本の個人情報保護法は、先進国で一番厳しい。他方で、独占禁止法にしても、個人情報保護法の運用に関して、在日アメリカ企業には弱腰である。ヨーロッパで禁止されている「抱き合わせ」販売やネット検索での自社有利への誘導策に対しても何の規制もない。M&Aも自由自在と言っていい。 

 AGFAの本社が、アメリカにあり、日本支社はほとんど権限を持たない、持たされていないこともあるが、政府から独立性の強い「3条委員会」である「公正取引委員会」には規制できる理論も陣容も少ない。

 理由は、簡単で、日本の経済研究者はアメリカ留学が必須であり、AGFAのベースとなっている「市場プラットフォーム(MSP)」の先駆的研究者であるフランスのJ.ティロールのようなアメリカ企業を批判するような研究者がいない。今年になって、やっと公正取引委員会は、プラットフォーマーの倫理基準の研究会を始めたと報道されている。このように対応が遅れ、AGFAではなく、「盗品」をネットオークションに出品するなどの日本のIT企業をターゲットにしていることは明らかだ。英語とコンピューティングの世界がわかる法律家がいない。法律家は、プログラムのベースとなる数学がわからないのが、法曹業界では通説だそうだ。

 経済産業省には至っては、日本企業には大変厳しい個人情報保護法を課しながら、ヨーロッパのGDPR(ヨーロッパの個人情報保護法)への対応を研究してというのだから話が転倒している。AGFAとアリババによる日本の情報の寡占的支配からどう独立化させるかが検討されるべきであるのに、やっていることは逆である。

 日本はものづくりだけでは生きていない、ことは確かだ。しかし、タクシーの配車アプリで、ウーバーの筆頭株主であるソフトバンクと提携し、合弁会社をつくったのには驚いた。 

 これで、トヨタは、自動運転システムに提供する車という部品業者になることが決定したようなものだ。トヨタ車のデータは、ソフトバンク経由で、中国のアリババの巨大データセンターに蓄積され、日本版GPSの導入も加わり、誤差50cmで、日本の個々人の移動履歴が蓄積されることになる。もちろん、中国に日本の個人情報保護法など適用できない。極論を言えば、中国政府は、意図を持てば、ターゲットとする個人の移動を特定できるし、動画や音声データも収集できる。日本の移動システムを混乱させることも容易だ。

 トヨタの生き残り戦略は、車が利用目的の手段の下位になり、自動運転という移動システムではそのことが明確になる(眼のつけどころ「ブランド・ものづくりビジネスモデルの革新のすすめ方―戦略思考とはどういうものか(組織論篇)」参照)。しかし、なぜ、安全保障や国益を踏まえた判断が政府や経営者にできないのか、と疑問が残る。また、蓄積データを資産とみなせば、移動データ資産の寡占化になり、公正取引委員会が合弁企業の是非の調査をしてもいいはずだ。しかし、動きは表面にはでていない。

 つまり、ベイズテクノロジーだ、クラウドコンピューティングだ、ビッグデータだ、AIだ、とマスコミや政府が叫べば叫ぶほど、AGFA支配が深まるだけだ。

 半導体、液晶テレビ、スマホなどすべてで敗北した責任の一端は、シンクタンク機能を果たすべき経済産業省にあったのは明らかだ。政府主導で市場の寡占化と独占化をすすめても、エレキの売り上げは半減し、壊滅状態だ。日本の産業は自動車の一本足打法だ。それも世界情報寡占企業の支配で危うくなっている。

 Webマーケティングの世界に至っては、私企業に過ぎないグーグルなどの検索順をいかにあげるかを目的とするSEO対策が基本となっている。これはもはやAGFA支配の補完マーケティングとしかいいようがない。

 私事恐縮。

 今年の夏休みに「グーグル後の生活」を読んで、引きこもっていた。テレビドラマも、映画もたくさん観たが低視聴率だったものほど面白かった。そのひとつが、「チアダンス」だった。テレビ版は「土屋太鳳さん」、映画版は「広瀬すずさん」が演じた。福井の女子高校生がチアダンスで「全米制覇」をめざす実話だ。全米制覇を目標にそれを年に月に、週に、日々にブレイクダウンして、チームとともに取り組んで、自信を持ち、目標を達成していく物語だ。

 大谷翔平さん(野球)、池江璃花子さん(水泳)たちの日本の「Gen Z」世代は、前の世代とは根本的に違うという印象を強く持った。アメリカのミレニアム世代(Gen Y)の次の世代とはまったく対照的な世代だ。大学教員が実感したGen Z も面白い(Corey Seemiller他著、「Generation Z Goes to College」)。

 そして、何よりも、「敗戦後」の73年後に、「全米制覇」というGen Zの女子高校生の目標の設定に勇気をもらった。ビジネスで、情報と知識で「全米制覇」を目標にする企業がもっと出てくるべきだ。AGFAを凌ぐ企業を生まなければと啓発された。

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AI時代に必要なのはデータの読解力、批判力と政策応用力

 マーケティングは販売とは違う。

 マーケティングは、顧客満足を追求して、商品サービスと「等価交換」する機能である。販売は、売ればいい。現在のビッグデータを利用した「データドリブンマーケティング」や「ワン・ツー・ワン・マーケティング」と呼ばれるものは、マーケティングではなく、個人情報管理と操作による販売であり、「押し売り」であり、等価交換とは言えない。

 従って、データ時代のマーケターは、等価交換の倫理と三つの能力を持つべきだろう。

 ひとつは、データ読解力である。読解力とは、論理的な理解であり、例えば、因果関係や関連性の理解である。現象を、原因と結果で理解することである。ビッグデータの分析でできることは限られている。主な手法は、分散処理システムによって巨大なデータの関連性を見つけることである。

 ビッグデータ分析のよさは、関連性を見つけ出すことであって、因果関係を明らかにしないことが利点だという論者もいる。結果主義である。しかし、関連性分析で、帽子とサングラスとの関連性があり、帽子を買った人にサングランスの広告をするのは、仮にその関係が「疑似関連」であれば、消費者に情報的混乱をもたらし、不愉快にさせるだけだ。

 この読解力は、AIでは代替できない。AIは、入試の問題をキーワードとして認識し、そのキーワードを含む文書をネットから抽出し、スクリーニングして問題の答えにもっとも近いものを作成し、一致させることはできる。AIのできることは、キーワード抽出とキーワード関連文書の選択と組合せである。

 人間の読解力は、自分の生活における行動経験にもとづいた長期記憶のなかから、問題の答えを推理し、推論し、選択する能力である。AIは、正確な診断医にはとって代われるが、名医にはなれないと思う。

 ふたつは、データを政策に変換する応用力である。例えば、ブランド力を高めるのにデータやブログなどでキーワード分析をしたらブランドの認知率が競合ブランドに比べて低いことがわかった。従って、低い認知率をあげるためにマス広告を投入することにした。これを対症療法的な「もぐら叩き」策と言う。

 データがこの偏頗な政策に応用されるのは、ある枠組みがとられ、自社の置かれている予算などのリソース条件、ライバルとの強みと弱みなどが考慮されていないからだ。経験、知識と応用力があれば、幾らでも代替案が創造できる。これはどれだけ事例を質的に研究したかによる。

 三つ目は、質的にも量的にも飛躍的に拡大したデータを批判し、検証できる能力である。ある食品がコンビニエンスストアのPOSデータで分析すると、女性客の比率が多いと出た。

 メーカーは女性向けの商品改良のための調査を行ったが、その食品は男性比率の方が高かった。その差は、サンプルの違いにあった。POSデータは、コンビニエンスストアの発行カードと紐付けられて分析されていた。しかし、そのカードの発行と購入の際の提示に男女差があり、女性の方が多かった。それが、補正されなかったので、女性比率が高いとでた。

 仮に、このようなデータ批判能力がなければ、メーカーは、男性が選好する商品を女性向けにシフトさせ、大失敗していたことになる。

 現代の統計学は、これまでのフィッシャー統計学に代わってベイズ統計学に書き換えられつつある。これは、「ベイズの定理」の応用である「ある事象の事後確率∝更新データの尤度✕事前分布」という式によって算出される。ここには母集団や標本という考え方はない。  

 ベイズ統計は、データを更新しながら最終的には真理に近づいていくという考え方であり、数学と同じ「仮説演繹的な論理」である。これは、ひとつの真理値にどう近づくかという伝統的なフィッシャー統計学の「帰納の論理」とはまるで違う。

 どちらが真であるかはまだ決着がついていない。しかし、帰納法はすでに18世紀に、D.ヒュームによって批判されている。現実は、PCやRなどの無料ソフト、ネット情報の利用の普及によって、ベイズ統計が多数派を占めている。多重積分で困難だった計算がPCの発達によって可能になったからだ。私もそうだ。しかし、伝統的なフィッシャー統計学の知識なくして、ベイズ統計だけでデータを分析することは危険だ。戦後、長く数理統計学をリードしてこられた竹内啓氏は、こう述べられている。

「いかに量的に大きなデータであっても、それがひとつの組織により特定の範囲の特定の集団を対象としてあるならば、それはやはりひとつの標本に過ぎない。そして、その組織に限定されない何らかの一般的結論を導きだそうとすれば、やはり、標本を一般的構造と結びつける『モデル』が必要である。」(「歴史と統計学―人・時代・思想―」、2018年)

 これはまさにコンビニデータの誤読への教訓である。日本のマーケティングは、AGFAを越えていかねばならない。そして、市場経済の基本である等価交換に基礎を置く、「情報的マーケティング(Informative Marketing)」を再構築すべきだ。

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