マーケティングとは何か ―はじめての「実践的マーケティング論」

2005.04 代表 松田久一

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 本コンテンツは、弊社新入社員向けの研修プログラムでの松田の講義をもとに編集したものです。

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はじめに―実践的マーケティングを理解するための四つの切り口

 新入社員を含め、ほとんどの人は大学でマーケティングを学んでいないと思います。本日は、マーケティングとは何かということを理解し、実践的な形で使えるようになるための話をしたいと思います。プレゼンテーション資料としては、図1のようなプレゼンの図を自分で書くことができ、この図でいろいろなことが説明出来るようになることを目標に、話をしていきたいと思います。

 全体的にはマーケティングとは何かということを狙いとしていますが、話の中身は大きく分けて四つあります。ひとつは、市場とは何か、マーケットとは何かということです。二番目は、マーケティングとは何か。三番目に、競争戦略とは何か。四番目に、今企業が高収益を上げるために考えなければいけないこととして、プラットフォーム戦略というものをどのように考えていくかということです。四つ目の話は今旬な話であり、現在研究途上のテーマです。以上の四つ、市場とは何か、マーケティングとは何か、競争戦略とは何か、それから四番目にプラットフォームとは何か、について簡単に話します。

 新入社員の人は、マーケティングはこんな感じなんだなあ、という大体のイメージというか勘というかが働くようになればよいのではないかと思います。2、3年目以上の先輩社員の人は、現場の仕事は細分化されており、マーケティングとか、競争戦略とか、プラットフォームというものは、主体的にクライアントをリードする立場でないとなかなか分からない状況もありますので、改めてマーケティングとか競争戦略というものを自分で組み立てて、自分でクライアントのところに提案できるようになるためにはどんな思考の枠組みを持っていればよいのか、という観点から聞いてもらえればよいのではないかと思います。

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マーケティングにおける市場の誕生

(1)市場という認識の登場

 図1は、ビックバンとデジタルコンバージェンスという図です。この1枚の図は、いろんな概念的な枠組みとか、考え方とか、既存の理論的なフレームワークがないと書けないものになっています。今の放送業界とか通信業界・プロバイダと、情報家電業界の事業戦略を考えていくときに、どのように考えていけばいいかというと、こうした図を書いて説明すれば一番いいわけですが、実際できる人はたぶん少ないと思います(図1)。

 この中でひとつポイントは、マーケット、市場のとらえ方にあります。市場があって、その市場に対して、テレビ業界は、テレビをどんないいものにするかという開発をして、部品としての液晶パネル、制御するモジュールを作って、テレビとしてチューナーを取り込んだ形でアセンブルして、それをヤマダ電機とかの家電量販店などを通じてものを売っていく、この売っていく場を市場という風にとらえているわけです。この場は製品の形で区別されており、ハードウェア、ソフトウェア、そしてプラットフォームの三つがいろいろな形で存在しながら競争している、そういうことを表明している。こういう図を書くとマーケティングとはどういうことなのか、ということがなんとな分かってくるわけです。認識論的に言うと、マーケティング、競争戦略、プラットフォームのいずれもが、その前提に市場という認識がなければ成り立たない構造になっているわけです。

図1.情報家電市場のビッグバンとデジタルコンバージェンス
図表

 なぜ市場という認識が出てくるかというと、自分が対峙している対象に対しての認識の意識が登場してくることが、いわゆる経営とかマーケティングとかを考える上での大前提となるからです。市場という認識は、商売が始まった旧い時代(商売の商というのは、中国に実際にあった「商」という国の名前から来ているわけですけども)からあったかというと、どうもそうではない。日本では別名イチバと呼ばれていますが、これは物質的な具体的な取引・交換としてのイチバです。だが、ここでいう市場は、より抽象化された概念としての「市場」ということです。市場というのが登場してくるのは、近代になってからのことです。1776年にアダムスミスが著した『諸国民の富』の中で出てくるマーケットという概念を以って初めて、人間は市場というものを排他的に認識した。それが経済学の誕生ということになるわけですけども、その経済学が1776年に誕生して、古典派経済学が成立して、その古典派経済学をベースにして現代経済学も成り立っていくという流れになります。


(2)マーケティングの誕生と市場の発見

 1920年代のアメリカの中西部でマーケティングが誕生します(図2)。

 なぜアメリカで誕生したのかについては、色々な理由がありますけれども、まず、アメリカは地理的に広い。それから1920年代には量産革命が起こって、たくさん物が作れるようになっていた、というのが二番目の状況としてあった。三番目には東部地域はイギリスと同じように、商社とか既存のビジネスマンたちが支配していた。

図2.マーケティングの誕生地 -アメリカの中西部
図表

 これら三つの条件を背景にして、アメリカの中西部で成長したメーカーが直接的に流通を開拓して、お客様を作っていくという活動が必要になった。それはP&Gであったり、コカコーラであったりするわけですけれども、そういう時代にアメリカでのみマーケティングが誕生したというふうになっているわけです(図4)。まず市場という観念が1776年ぐらいに人々の頭の中に誕生し、1920年代アメリカで、個別具体的な存在として認識されるようになります。ここのところが経済学とマーケティングの根本的に違うところです。経済学的認識が出来る人が同時にマーケティングがわかるかというとそうでもない。決定的に違うところがあるわけです。経済学はどちらかというと普遍性の科学であり原則とか法則性にこだわっているのですが、これに対しマーケティングは、個別具体性の科学と言ったらいいと思います。そうすると、マーケティングと経済学はそこでバイバイして分かれていく。その後、マーケティングはどうなっていくかといいますと、個別の市場に対応していくための科学として適応していきます。

図3.市場変化とマーケティング概念の発展
図表

 マーケティングが個別に適応していくためには、企業の持っている技能は四つだというのが、基本的な考え方のひとつです。

 人間が「おぎゃあ」と生まれて自分の母親との区別できるかというと、これはピアジェによると出来ない。人間が自他をどこで区別するかというと、赤ちゃんが鏡を見たりして自他認識をする。そこで自他認識が分かれていって、自我が誕生して、対象関係に対応するための戦略として、人間の色々な適応戦略が出てくる。これが、精神分析学的な自我の分離と対象関係への適応ということです。そこで色々な適応の仕方があって、被害妄想的に適応していく人もいれば、マザコン的に適応していくこともある。そういうものがその人の個性であり性格であると言われています。それとまったく同じことが生物学でも言える。生物学では積極的に戦略というのが言われるのですけれども、それは、自分たちの遺伝子を最大限に残していくための戦略としての生き残り計画というようなことです。これも環境と自分たちの認識というものをベースにした自他の区別がスタートになって、自分が厳しい環境に適応していくための戦略をとっていくという風になっています。

 それと同じようなことを企業もやりだしたわけです。その時期がおそらく1920年代であると。それ以前は、アダムスミスの『諸国民の富』の中に出てくるピンの製造をやっている製造業者が、マーケットがあってお客様を大事にしなくてはいけないといったその市場に対する認識を持っていたかというと、おそらく持っていなかった。江戸時代の日本でいうと、越後屋呉服店(後に三越となる)が革新的な現金商売で日本橋で呉服を売っていくわけですけれども、お客様を大事にして市場に適応していくなんてことは考えていなかった。たぶん天から授かったものとして商人の道としてのことを考えていて、自分たちが適応するための市場という認識はなかったと思います。

 生物も個人も企業も、自分たちが適応していく環境を客観的に認識して、その客観的な状況に対してどう適応していくのか、ということが共通点として挙げられる。こういうことが誕生するために市場という認識が極めて大事である。市場というものは現実的には昔からあるわけですが、市場が誕生した、具体的にはマーケティングとして誕生したのは1920年代であり、個別企業が市場に適応する、と考えるようになったのが1920年代である。そこで市場を個別に具体性の対象として考えていくのがマーケティングであり、普遍的な形で抽象的に考えていくのが経済学だ。私の見解によれば、経済学ではいまだに市場というものを十分説明しきれていない。ワルラス的なセリ人のような証券市場のようなものを考えたりとか、あるいはいろんなモデルがありますけども、経済学者が市場とは何かということを具体的に納得出来るような形で説明出来るか、というとなかなか難しいのではないかと思います。逆に言うと、マーケティングでは、普遍的で抽象的な市場というものを完全に捨て、個別企業が具体的に対峙しているものを市場と呼びます。それが、(マーケティングの対象としての)市場の誕生ということだと思います。

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