01
ネットメディア勝利の謎
マスメディアとネットメディアの主張や論調の対立はもはや明確である、特に、顕著に表れるのは政治に関する態度や意見である。高市政権の樹立は、ネットメディアのマスメディアに対する優位性を示す象徴的で画期的な出来事である。なぜ、「第3の権力」にネットメディアが「敗北」したのか。ここでは、この謎を追ってみる。
まず、ここで使用する概念について、整理し、定義しておく。これが少々錯綜しているので単純ではない。
マスメディアとは、主要新聞社を含む、新聞社系列のテレビ局などの番組や報道である。マスメディアは、電波行政によって、中波などの電波が配分され、独占的に使用することが認められている。国民の共有財産を「私的」に利用することが認められているので、「中立性」などの放送法の厳格な順守が求められている。
他方で、ネットメディアとは、SNSも動画配信もショート動画配信も同じく公共財化した民間サービスである。しかし、マスメディアと違うのは自分で設置した私道がいわば公共利用されているようなものである。
ネットメディアに対してマスメディアを「オールドメディア」と総称する論者も多いが、そう単純ではない。両者は相互引用と浸透の関係を持ち、相互依存的であるからである。
ネットメディアの発信者には、新聞社やテレビ局が主体になって発信されているものもあるが、100万人を超えるフォロワーを持つ発信者は、新聞社やテレビ局との関連は薄く、寧ろ、マスメディアの主張や論調に批判的である。100万人以上の巨大なフォロワーを有するネットワークが、ハブとなり形成されているのが現代のコミュニケーション構造である。ネットメディアが「多対多」のプラットフォームであるのに対し、マスメディアとは、発信者と受信者という単純な「情報注入モデル」であり、「1対多」のプラットフォームである。
経済的な力関係では、ネットメディアを代表するNetflixなどの株式時価総額は約11兆円を超え、日本の主要テレビ局5社の合計株式時価総額、約3.7兆円の3倍である。すなわち、法律が許すならすべて買収することができる。日本のマスメディアの市場パワーは極めて小さい。クジラとメダカほどの差がある。
02
ネットメディアは保守、マスメディアはリベラルの図式
このふたつのメディアは、政治的主張や論調に関し、対立的意見になりやすい。特に、ここ2、3年の政治に対する評価や態度は真っ二つである。近年の例では、兵庫県知事選、24年の自民党総裁選、トランプ再選評価、東京都知事選、25年参議院選、25年自民党総裁選、高市政権の評価などは悉く対立する。七つのイベントに対して、ほぼネット世論が「雪崩現象」を起こし、マスメディアの論調に対立する方向で、「勝利」している。その典型は、高市自民党総裁の誕生、高市政権の樹立である。
自民党総裁選に関しては、マスメディアは、「小泉支持」を陰に陽に表明した。特に、専門家の予想として、小泉勝利を報道した。それに対して、ネットメディア、特に、YouTubeで100万人以上のフォロワーを持つインフルエンサーは、「高市支持」を表明した。結果として、自民党員が、ネット世論に影響されて、高市支持に回り、多数を占めた。胸がすく「逆転劇」だった。
この図式を、ネットメディアは「保守」、マスメディアは「リベラル」という図式で捉える向きが多い。
保守の勝利として捉える評価も多い。そして、マスの保守化が高市総裁の誕生と政権樹立に影響したと見る見方が多い。しかし、保守とは何か、対立するリベラルとは何か、となるとその定義は曖昧になる。
高市氏自身が、自民党の自由党と民主党の合同で成立し、党是にある「保守党」を表明し、憲法改正、親米同盟路線、積極財政、減税推進、旧姓通称使用(夫婦別姓反対)、男系天皇制、移民流入抑制などの「保守的」政策をとっている。従って、「保守」と位置づけられる。現実的な保守とは、7項目の政治的イシューに対し、「はい」と答える立場である。自民党右派、維新、新政党、保守党などの政治的主張が近い。
反対に、「リベラル」とは、7イシューに対し、「いいえ」と答える立場である。その結果、「平和」憲法護持、国連外交、財政緊縮、減税反対、夫婦別姓、女系天皇容認、移民共生を主張することになる。立憲民主党、共産党、れいわなどの政党の主張に近い。この観点からは、国民民主は、保守とリベラルの二面性を持つ政党と評価できる。
この七つの政治的イシューに一貫して賛成し、あるいは、反対することに、論理的な一貫性があるのか。この問題を問うと怪しくなる。そもそも積極財政は、「大きな政府」に繋がり、「夜警国家」の役割を越え、国家主導型の計画経済に近くなる。つまり、市場原理を軽視した計画に重きを置く社会主義的な政策である。減税政策も難しい。また、天皇制に対して、何が保守で、何がリベラルかは極めて難しい。江戸、明治という時代によって、天皇制の評価が異なり、江戸時代を保守する立場からは、天皇制は、「維れ新たなり」するという革新(リベラル)に近い立場になる。天皇制を頂く明治時代からみれば、一転して、「保守」になる。
つまり、日本で、リベラルと保守を横断的に定義することは困難であり、不可能である。ここでリベラルとは、フランスの市民革命後の「自由、平等、博愛」理念を推し進めた「主義主張(イデオロギー)」とする。個人の自由、平等、博愛を推し進め、拡大する政策がリベラルである。
03
保守の歴史的定義
ざっくりと、現代までを歴史的に振り返って、現代の保守とは何かを考えてみる。
保守とは、エドマンド・バークの1789年の「フランス革命」のイギリスの否定的評価に始まり、革新的改革に対して、急激な革新を嫌い、「漸進的な変化」の選好を意味する主義主張となった。それがカトリックのチェスタトンなどに引き継がれていく。従って、保守とは、変革に対する態度であって、変化方向に対する態度ではない。それは、保守が誕生した「近代」という時代には、世界と人々の「近代化」が一直線の変化として共通認識になっていたからと推測される。しかし、その近代化の方向のひとつとして、19世紀後半から「社会主義」という分岐が生まれ、1917年に「ロシア革命」が起こったことによって、変化の内実への態度が問題となる。近代価値の自由と平等のどちらに重点を置くかである。
ここで、自由に重点をおく主義主張が保守となり、平等に力点をおくものがリベラルとなった。戦後、世界は、3分の1の人口が社会主義国に暮らす状况であった。先進国でも、暴力的な資本主義から社会政策が取り入れられた国家主導の資本主義への転換が起こった。この歴史的流れが、先進資本主義国では行き詰まる。1980年代のイギリスやアメリカで、過度なリベラル政策や計画経済化が財政危機を迎えたからである。これを乗り越える主義主張として、サッチャリズムやレーガノミクスが生まれる。個人の自由意志を尊重し、内的動機を重視し、様々な規制緩和を進める「新・自由主義」であり、保守の方向付けがなされた。1980年代のこのような一連の社会経済改革を、「構造改革」と呼ぶと、この改革は、小泉政権下で「自由主義革命」は「不発」に終わった(マルガン-大嶽 )。さらに、第2次安倍内閣でも、連立政権であるが故に、十分な「戦後体制の清算」は達成できなかった。
つまり、日本の保守とは、世界史的な流れを引き継ぐ自由主義の主義主張であると推測する。この意味で、高市政権が、自由主義的革命を表明し、個人の自由の拡大による自己実現を追求する日本の大衆層に受け入れられるものである。この意味で、日本の保守化は当を得ている。
04
対立軸
対立しているのは、保守とリベラルである。それは、それぞれの支持基盤が異なるからである。
仕事などで活動量が多くなると、新聞やテレビの視聴は時間的に難しくなり、視聴する機会コストが高くなる。情報ソースも五つなどに限定される。さらに、情報の差異もなく、面白くない、深掘りもできない。他方で、新聞やテレビで情報を取得することになれている層には、どうしても慣れてくるメディアを利用する傾向が強くなる。
活動量や行動パターンで、若者や若年世代は、ネット中心になる。ネットしかない。他方で、機会費用の低い高齢層や70代が中心の団塊世代にとっては、新聞やテレビに依存することになる。つまり、両メディアは、支持基盤のニーズを充足し、対価を得るために、これらの層に喜ばれる情報を流すことになる。経営としての存立基盤である顧客のニーズを充足することは経済合理的である。メディアとは視聴者にとって文字通りメディア(媒体)である。それは、行動差、機会費用、操作能力などに依存し、年代差が生まれ、世代差に繋がる。
この結果、ふたつの層に「偏向」する。世論調査でも、高齢層偏重のサンプル補正をすれば、自社の顧客のニーズを軽視し、非顧客を重視することになる。サンプル補正が、統計的必然としてみなされていなければ、高齢層の意見をより強く反映した結果を発表するのは経済合理的であるが、真実性に反し、正義ではない。放送法では、「真実性」と「正義」を追求せよ、との項目はない。曖昧な「中立性」である。
自由主義的改革である「手取り増額」である政策は、若い層には切実な問題である。ここ十数年で上昇した国民負担率は「過酷」である。従って、入りと出のつじつま合わせをやっているにすぎない「財務省」は「敵」になる。他方では、多くが年金生活をしている層は、財源が確保されなければ高齢層の受益が減るので反対するのが合理的である。
このような多くの問題が、支持層の利害を反映したものになり、対立する。そして、メディアが代弁する。
05
対立の構造
ネットメディアとマスメディアの主張と論調の対立は、それぞれの支持層の属性の利害の差である。しかし、年代差や世代差の利害が対立しているかというとそうではない。年代差や世代差を越えて、価値観のグループ間に差がある。当社では、20年以上の価値観の分析から帰納的に、様々な行動をもっともうまく説明できる分類を提示している。それは六つの層に分類される。
実は、年代差や世代差に見える利害は、価値観の違うグループの価値の違いによる。
具体的には、若い世代を含む比率が多いのは、「先進感覚」と呼ばれる価値意識で括られるグループであり、高齢層を多く含むのは、「品格上質」として括られるグループである。つまり、世代対立のように見える現象は、深部では、価値観の差による。特に、「未来」と「利他」の選好に関しては、先進感覚は、「現在」に、そして、「利己」の価値に重点を置く、対して「品格上質」は、「未来」と「利他」である。
つまり、手取り増加政策に関しては、ネットメディアで強く主張されるのは、若い世代が利用し、「現在-利己」の価値を持った層が背後にあり、マスメディアでは逆の主張がなされるのは、高齢世代が支持し、「未来-利他」の価値を持った層が控えているからである。
そして、ネットメディアが勝利し、高市政権を誕生させたのは、社会の大衆層であり、マスメディアとネットメディア利用が相半ばする「平凡充実」の生活充実層がネット側についたからである。本来、「平凡充実層」は、ご意見番としての保守的な「品格上質」層の意見を尊重するが、この2年の石破政権下では、「先進感覚」と足並みを揃えている。
06
ネットメディアとマスメディアの構造
近年、メディアによって形成される世論は、マスメディアとネットメディアに二分されている。世論が分断されている。なぜこのような現象が生まれているのか、を探ってみた。現在の結論は、以下のとおりである。
① メディア利用は、機会費用の違いによって2分されている
② 若年層・若い世代は、ネットメディアを選好し、高齢層・成熟世代はマスメディアを利用する
③ メディアは、支持層により受容されるように行動する
④ その結果、現象としては、両メディアは、ふたつの利害対立を反映し、対立する
⑤ 現象的な対立の背後にあるのは、時間軸、利他などの価値観の対立である
⑥ 価値観グループは、様々な情報などを波及する個々の役割を持っている
⑦ 情報がどこまで波及するかは、どの層にどういう順番で波及したかで決まる
今回は、政治的イシューを題材にして、対立の背後の構造を探ったが、消費などを含めてより精緻なものにし、数学モデルを拡張し、AIサービスでみなさんに利用していただけるようにしたい。