眼のつけどころ

ネット時代のテレビCMの役割
―「時代の鏡」ではなくなったCM

2017.07 代表 松田久一

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 歌は世につれ世は歌につれ、という。テレビCMも、昔は「ミラーメーカーズ」(ステファン・フォックス著)と言われた。「時代の鏡」を創るという意味だった。

 筆者は現在、日経MJ紙の連載「CM裏表」で毎月1回、画像1枚と400字程度の文章で、CMを紹介している。スタートからすでに3年以上が経過し、36のCMを取り上げた。是非、ご一読頂ければ幸いである。この連載のおかげで、関心を持ってテレビCMを見ている。

 連載を執筆するようになって感じることは、テレビCMは、もはや「時代の鏡」ではないということだ。

 時代の鏡となっているのは、内容ではなく、CM投下企業と業界の特徴の変化である。業界でみると、通信キャリアとゲームのCMが多くなった。キャリアは品質に差がないので、どれだけ目立つか、話題になるかの競争だ。ゲームは、フリーアプリのダウンロード数が成否を握るので、ひとり当りのダウンロードコストが安い宣伝メディアが選択される。若者のテレビ視聴が少なく、中高年中心でも、やはりひとり当たりだとテレビが安上がりだ。マスメディアがターゲット広告になっている。内容の印象でいえば、自動車のCMが、センスも垢抜けてきた。「土日にディーラーへ」型のCMはほぼみなくなった。

 テレビCMのパターンも見えてきた。

 第1は、商品を主役にして、機能や技術の差別的特徴を伝える情報CMである。トイレタリー業界などの伝統的手法だ。この変形で敢えて、自社製品をけなす「逆説」説得もある。第2は、人気大物タレントのイメージのご利益に預かろうという情緒CMである。大物や意外なタレントを起用してブランドイメージを変えようとする狙いだ。第3は、キャリア広告のように、駄洒落などで徹底的にふざける手法である。おふざけCMだ。第4はネットに誘導するCMである。ゲーム業界のフリーアプリのダウンロードサイトへのアクセスを促す手法に代表される。テレビ通販もこのタイプだ。第5は、価格訴求やポイントアップなどのCMである。景品などのインセンティブで購入レスポンスを引きだす狙いだ。第6は、これらと重複するが、圧倒的にシリーズCMが多くなった。繰り返しによる「ザイアンス(単純接触)効果」を狙ったものだ。

 この六つのタイプのなかで、現代の「マス(大衆)」を説得し、購入に結びつけることができる「時代の鏡」となるようなものはない。また、話題はつくれても、時代の鏡となることはできない。それはマスが分解したり、多様化したりした訳ではなく、表現とメディアが超多元化したからだ。選挙で明らかなように、マスは厳然と存在している。

 テレビCMが、時代の鏡ではなくなったという印象を持つ理由はふたつある。