眼のつけどころ

「真実」を越える消費者行動分析

2017.04.11 代表取締役社長 松田久一

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意志決定に根拠を与えるリサーチ

 どうしたら現代の消費者行動を理解できるか?特に、「真実性」が相対化している時代には極めて難しい。求められているのは、多様化し、矛盾するデータを統合して、単なる真実を超える「ほんたうのほんたう」(宮沢賢治)である。

 マーケティングは、消費者ニーズを満たすことを通じて、対価を得るビジネスだ。極端な販売の解釈だが、売ること自体を目的とする販売とは、そこが違う。そのため、消費者ニーズとそのニーズを満たすための消費者行動の分析からマーケティング政策は立案される。

 入門層にとって、マーケティングとはデータを集めることであったり、リサーチをしたりすることのように理解されがちだ。しかし、これは明らかに誤解である。

 制度経済学の重鎮だった故J.K.ガルブレイスも、同じような誤解をした。企業が、マーケティングリサーチによって消費者行動を捉え、宣伝や広告によって、人々の欲望を生みだし得ると解釈した。ガルブレイスは、これを「依存効果」と呼び、「市場の内部化」と理解し、「新しい産業国家」の歴史段階と解釈した。

 つまり、消費者サイドの需要と供給サイドの供給が、市場価格によって調整されるのではなく、市場メカニズムが、企業内部のマーケティング組織に組み込まれて供給サイドに取り込まれ、資本主義を超えたという理解である。しかし、実際はどんな寡占市場でも、需要を100%の確実性のもとでコントロールすることは不可能だ。

リサーチで消費者行動をとらえることの難しさ

 マーケティングの意思決定は、理念としてリサーチにもとづいて行われるべきであるが、実際に消費者行動をデータでとらえることは極めて難しい。

 リサーチにもとづく意思決定が難しい根拠は、ふたつある。ひとつは、データから意志決定はできない、という経験にもとづく。何かを意思決定する際に、オプションごとにコストベネフィット分析を行って、オプションの評価を計量化でき、優先順位が明らかになったとする。それに従って戦略的な意思決定ができるかというと、そう簡単にはできない。理由は、「コストベネフィット分析」という分析枠組み自体を疑う判断力を人間は持っているからである。また、リサーチが明らかにできるのは、生活者である消費者の一面にしか過ぎないからである。単純なデータでは簡単には決定できない。

 もうひとつは、消費者ニーズや行動は、そう簡単には捉えられないということだ。

 例えば、ニーズという概念自体が明確に定義できない。消費者の「何かが足りない」という欠乏意識がニーズである。英語では、needと単数表記になり、wantsの複数表記の組み合わせで使用される。これを日本語訳では、「ニーズ(need)と欲求(wants)」などと訳されていることが多い。他方で、A.マズローの「欲求段階説」と呼ばれる「自己実現欲求」などの「欲求」用語の原語は、needsである。さらに、英語では、desire、日本語には、欲望、願望などの用語がある。この用語は、フロイトの精神分析用語に関連づけられている。

 つまり、消費者ニーズを捉えるための基礎概念自体が揺れている。これは消費者行動論でも同じである。個人的には、精神分析的に基礎づいた自我の不安による他者欲望が転化して、製品へのニーズや欲求を生むと考えておくのが精神分析や現代哲学と整合的であると解釈している。

 例えば、自動車のニーズを考える際に、製品の属性や機能への期待や評価といった項目へ、いきなりブレイクダウンして概念操作するのではなく、まず他者への模倣欲望を捉えるべきだということだ。

 このように、リサーチは利用できる概念によってまったく違うものになり、データを集めて、ファインディング(事実確定)すれば意志決定できるなどというのは「神話」に過ぎない。

 マーケティングが実践学でありながら科学を標榜する限りは、消費者行動分析にもとづいて意志決定されるべきである。しかし、実際は選択された理論枠組みを用い、一定の根拠を与えるに過ぎない。経営者やマーケターの判断は、実際にはデータから導き出される「事実」、「解釈」や「推論」によって根拠づけられる。換言すれば、企業理念にもとづく、意志決定に根拠を与える「事実」、「ひらめき」や「ストーリー」である。そのため、一部の経営者が主張する「リサーチなどは不要」という主張も「相対的」には正しい。

古典的な消費者行動とリサーチ体系

 それではどんなリサーチがマーケティングの意志決定に役立つのだろうか。私の信念は、消費者行動分析の単なる真実ではない「ほんたうのほんたう」の追求である。

 実際には、現代に通用する消費者行動やマーケティングリサーチのいい教科書がないのが実情だ。 

 例えば、消費者行動では、R.D.ブラックウェルなどの「Consumer Behavior」(1968年初版)が定番であり、単純な調査体系ではない意志決定に資することを目的に書かれた最初のテキストが、D.A.アーカーとG.S.デイの「Marketing Research」(1980年初版)が基本だった。昔は、このふたつのマスターレベルのテキストをベースに、版の改定と「Journal of Marketing Research」等の研究誌を読んでおけば十分だった。

 実務でも、消費者行動のプロセスモデルをベースに、リサーチを企画し、意志決定に役立つように報告書を編集していた。

 しかし、これらは「古典」としての意味は持つが、内容は古くなってしまった。もはや消費者行動を、古典的な手法だけでは捉えられなくなってしまった。従って、マーケティング政策の基本的な意思決定である、どんな製品サービスを提供するか、どんな価格で提供するか、どんなプロモーションで説得するか、どんなチャネルで販売するか、などの課題に役立つことは難しくなった。

 それは三つの理由からである。