01
保守とは何か
現代社会が、「右傾化」している、という言説がまかり通っている。確かに、マスコミを支配する新聞の論調が飽きられて、その基準からみると右傾化している。この右傾化について少々私見を明らかにしたい。
現代日本の右傾化とは、「憲法改正」、「夫婦別姓」、「女系天皇」、「移民問題」、「原発問題」などの個別のイシューの賛否を問うものである。およそ、マスコミも、ネットも同じだ。しかし、これは少々矮小化されたものであって、しっくりこない。
恐らく、現代日本の保守とは、憲法改正賛成、夫婦別姓反対、女系天皇反対、移民規制、原発賛成となる。これらの賛否の基準とは、日本の国柄、歴史などに根ざしたもので、もっと漸進的でよい、と言うスタンスだ。保守の一般的な定義に照らせば、伝統の改革に対する漸進的立場とすれば肯定できるのだが、少々、腑抜けのような気がする。ヘラヘラ感が拭えない。
この薄っぺらさが、現代日本の保守意識であり、寧ろ、唾棄すべきものでなく、日本らしいあり方である。このことをまとめて、時代を読むみなさんの参考にして頂ければ幸いである。
02
川端康成の表出力
この腑抜け感の由縁は、近くは、石原慎太郎、そして、巨匠の三島由紀夫に行き着く。こんなことを書けば、無知の誹りを免れ得ないかもしれない。敢えて、少々、根拠を述べてみる。つい最近までは、立派な保守人と尊敬していた。
石原慎太郎の「遺書」を読んだ。余命宣告を受けて、絶望した実感が描写され、うまい文章だと思ったが、「完璧に死んでみせる」という言葉に、演劇性を感じて、89歳の老生の実存的な他者意識に戸惑った。本来、この心情や心意気をよし、とするのが保守心情と思うのだが、その面持ちにならなかった。死ぬときぐらいは、もっと無様だろうし、それでいいのではが率直な感想だ。魂がない。
三島由紀夫は巨大な文学者である。文章の見事さ、客観描写の力は、友人であった「川端康成」を凌ぐ。一生かかっても模倣できる技術ではない。ふとした契機で三島由紀夫の処女作的な30才の短編「海と夕焼」を読んだ。この短編を絶賛している評論家は多い。
この小説の主人公は、フランスの田舎の少年が十字軍に参加し、苦境を乗り越えて、奴隷売買されてインド、そして、助けられた禅僧とともに中国へ、そして、日本へと辿り着き、寺男として山の上からはるか遠くのフランスの田舎と人生を邂逅するというものだ。そして、側には、目と耳の不自由な少年がいるというものだ。ドラマのグローバルな展開と夕焼けの描写力には頭が下がる。しかし、ここにも、やはり、魂を感じない。思えば、三島由紀夫は、川端康成よりも力量が上だ、とずっと思っていた。しかし、三島の「金閣寺」や大作「豊饒の海」に眼を通しても何も感じないことを思い出した。
それに対して川端の「伊豆の踊子」などは、少女に惹かれる実存的な惨めさを感じる。それは、川端の創作動機や背景がよくわかるからだ。川端は、関西から上京し、東大に進んだが、勉強もせずに、当時の繁華街である神楽坂のカフェの女給に入れあげ、学費もすべて費やし、幾度も拒否されているにも関わらずストーカー行為を繰り広げ、愛人と逃げられてしまった。その「傷」を癒しに修善寺に行った際に出会った「踊子」に再び「恋心」を抱くというフィクションだからである。「貴種流離譚」の枠組みと横光利一などの「新感覚」の描写力を持つ作品である。1968年に、川端は「ノーベル文学賞」をとった。1960年代は、世界的な実存主義ブームの影響が強い時代であり、川端の「みじめな自己」は意図せずに時代を捉えていた。文体では三島が技術的に優れていても、川端には表現すべき自己があった。
03
三島由紀夫の過剰な文体
三島の生育環境は、川端以上に「悲惨」である。平均的ではない。吉本隆明の分析によれば、母親と切り離され、祖母との密着した関係によって、自我が形成されたと分析し、嗅覚の知覚異常を予測している。客観性の描写力の凄さには、この生育環境、加えて、自我の非存在もそれに由来するのでないだろうか。祖母が自我の成長を許さなかった。
吉本理論によれば、表現は、自己表出性と指示表出性の二次元空間で構成される。優れた文学は、この自己表出性と指示表出性によって構成される面積と形状による。川端には、自己表出性と指示表出性の空間をはっているが、三島は、客観描写力が技巧として突出した凄さはあるものの自己表出性は低いという評価になるのではないか。
文学における自己表出性の低さは、政治的立場でも同様に作用する。マスコミを利用した政治活動は、石原慎太郎が一枚上だったが、政治を論じたのは、圧倒的に三島由紀夫だ。そもそも石原慎太郎と三島由紀夫を比較して論じることは無謀かもしれない。
三島由紀夫の保守的主張は、「文化防衛論」や「葉隠入門」で表明されている。特に、文化防衛論では、日本文化の本質を3600年(皇紀2600年以上)の天皇制に求めている。しかし、内容に確たるものがあるかどうかは疑わしい。それしかない、という引き算論である。葉隠入門も、武士の本質は死ぬことにあるという表層理解に止まっている。社会的及び歴史的な解釈は薄い。つまり、三島由紀夫は、所作、スタイルや肉体などに拘り、本質的な表現内容を持たなかったのではないか、と推測する。
自己表出の内容が薄く、指示表出的な過剰な美意識の文体が三島由紀夫であると解釈できる。三島の「楯の会」は、中身の不在を観念政治で表現しようとしたと捉えられる。市ヶ谷での切腹は、自己表出のなさと過剰なまでの指示表出力を解決しようとした行動であり、70年安保という豊かな時代への転換のなかで、この矛盾は最大化したものである。
石原慎太郎に至っては、三島のギミックである。やはり優れた文体を持つ作家であるが、三島同様に、現実政治で自己表現をし、自己表出の薄さと指示表出の過剰さの矛盾が、「完璧に死んでみせる」と言い切らせた。
04
戦後現実政治の保守
石原慎太郎は、階級社会からマスコミ時代の大衆社会への転換期の保守政治家である。目指したのは、憲法改正であり、国際的な日本の自立である。石原は現実政治を三島のような観念論ではなく、うまく利用した。政治では石原の方が現実的である。しかし、石原に見る保守感覚が、現在のネットメディアでの保守の原型である。
保守とは、繰り返すまでもなく、フランス革命への反省と批判としてイギリスに生まれたカトリックに繋がる漸進的な改革をめざすものである。封建制から市民社会への転換期に、王制、貴族制と市民の階級構成で構築された秩序を漸進的に市民社会化しようとする政治的姿勢である。思想的には、E.バークやG.K.チェスタトンなどになる。この保守感情は、身体を動かす際の面倒くささや地域に根ざした自然感情を基礎にしている。そして、長い伝統を持つ地域の暮らしぶりを淵源にしているので、世界各国で異なった様相を持ち独自に発展してきた。アメリカの共和党の保守性は、イギリスからの独立をもとにした「モンロー主義(孤立主義)」となり、現代のトランプ大統領にまで連なる。
さて、戦後日本の保守とは、アメリカによって戦後改革(主権在民の憲法発布、農地解放、財閥解体、普通選挙など)が実行された。こうした軍事的支配のもとでの日本の急進改革に対し、誤解を恐れずに整理すれば、三つの漸進改革を志向するグループがあった。ひとつは、岸信介の戦前の政治への回帰を志向するグループである。戦前の「革新官僚」と呼ばれた岸は、「満州経営」に「計画経済」の手法を取り入れ成果を収めた。アメリカとの対等な関係を志向したことは70年安保改定にみられる。直近では安倍晋三の路線となる。ふたつ目は、戦後の保守政治の主流となった吉田茂などの連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)統治下で、政治交渉で日本の独立を目指したグループである。「軽武装経済優先」政治を導入し発展させてきた。この流れが戦後の日本の経済復興を主導したと言っても過言ではない。田中角栄の「日本列島改造論」と「日中国交正常化」まで連なる。三つ目は、地域利権の担保と安全を志向する。酒造業、土建業、地元産業などの土着利権を守る流れである。現在の保守政治家のなかには、地元の有力企業との関連の深い層、地域の利権のまとめ役などが政治を世襲化している。
この三つのグループが合同したのが「自由民主党」である。他方で、日本の近代以降の民主化、自由化をすすめようとする勢力が「日本社会党」として合同する。そして、1955年から2009年まで、二大政党の時代が続き、多党化が進むなかで、2月の衆議院選挙で安倍晋三の流れを汲む「高市政権大勝」となり現在に至る。
戦後の現実政治の保守とは、アメリカが進めた求心的な戦後改革を、漸進的なものにするか、否定するかの態度であった。それが、自由民主党に結集した保守の集まりであった。親米を基礎に、どこまで親米であるかである。そして、日本社会党は、明らかに反米であった。反米、民主化、自由化路線であった、石原は、自民党のなかでは少数の反米グループ(青嵐会)に属し、反米、反自由化、反民主化の立場をとり、大衆からの目線に拘ったスタイルを堅持した。マスコミ嫌いを表明し、マスコミをうまく利用した。1970年代以降、中国の大国化にともなう領有権の拡大志向は、石原を、尖閣諸島問題などを焦点に反米から反中国へと傾斜させた。
自民党は、アメリカとの距離関係、経済優先か、安保優先か、そして、地域利権の保守の合同だった。それが、中国の大国化にともない親中と反中に分化する。それにともない、親中―経済優先と反中―安保優先に二分化され、地域利権との関係で幅広い政治スタンスを抱え込むことになる。この幅の広さは、日本社会党などの勢力が階級社会から大衆社会へ変化し、衰退したことにもよる。
05
何を守るのか
このように、現実政治に投影された保守は、様々な対立軸を孕むことになり、何を守るのか、がわからなくなった。保守思想の誕生時のイギリスなら市民革命以前の階級社会の肯定的側面もあった、王―貴族―市民の均衡的関係や互酬的な関係、そして、キリスト教的な絶対的価値観が守られるべきものとしてあった。しかし、自民党に象徴される保守は、土着利権以外に、明確に守るものは明らかにならない。特に、守るべき正義や価値は明確にならない。
従って、現代の日本の保守とは、憲法改正、夫婦別姓、女系天皇、移民共生、原発問題、基地問題などの個別のイシューの賛意として表明されるようになった。生活していく上で、何が正義で、どんな生き甲斐ややり甲斐を追求するかという、守るべき生活スタイルは価値では表明されない。「横丁の蕎麦屋を守ること」(福田和也)のようなジョーク(大阪なら「うどん屋」?)に近いが一面を言いあらわしている。
中身のない保守。それが日本の保守である。
西部邁は、G.K.チェスタトンなどを援用して、守るべきは、歴史であり、歴史は、言葉と言葉遣いに体現・収斂されるとした。イギリスやフランスでは、封建社会から市民社会への転換で、近代化に対する抵抗として、歴史尊重の保守が定義できる。
しかしながら、日本の市民革命を明治維新とするならば、日本は、戦後改革という市民革命を経験している。日本は、明治維新と戦後改革によって、近代化がなされたとするならば、日本が保守すべきは、江戸時代の正義と生活スタイルになる。イギリスでは、清教徒革命などの前の封建的な階級社会の名残や価値観は現代との距離が近い。地域社会には、教会の教区が行政区とともに存在し、正義の裁断者となっている。日本ではそのような地域の存在は、江戸から続くものでは「蕎麦屋」ぐらいしかない。
従って、欧米のわかりやすい保守とは異なり、日本の保守とは、対外関係、言葉や言葉遣いに加え、お茶や花にみられる所作やルールが守るべきものとしてある。「眼に見えぬもの」を守っていくのが日本の保守である。
06
黄金の80年代 - 現代日本の保守意識
日本経済が、「失われた30年」のなかで、日本は無形の守るべきものを持っているとともに、ひとつの時代体験が守るべきものとして、浮上してきた。
それは、[Japan as No.1]と言われた、世界経済を牽引した1980年代である。第2次オイルショックを乗り切り、日本は、「プラザ合意」のもとでのドル高を維持するために、協調的金融緩和政策をとった。それを契機に、法律の不備もあり、株と土地に、資金が流入し、バブル経済を生むことになる。他方で、エレクトロニクス産業と自動車産業は、世界市場を席巻し、「日本的経営」が経営モデルとして称賛された。R.T.パスカルの「ジャパニーズ・マネジメント」では、松下電器産業の経営スタイルを称賛している。株価に左右されない「長期視点」、馘首をしない「終身雇用」、社員の協調性を生む「年功序列」などの従業員主権が日本的経営の「三種の神器」と言われた。現代の株主優先経営で短期目標を追う経営スタイルからは考えられない。ウォークマン、電子レンジ、ビデオ、半導体や液晶パネルなどは世界市場を席巻した。そして、再生専用カセットレコーダーをイヤホンで聴くスタイルは、すべての若者のライフスタイルを作りだした。現代では見る影もない。エレクトロニクス製品はほぼすべてが輸入に依存している。
この「黄金の80年代」をすべて放棄した結果が現代であり、守るべきは80年代にある、という保守思想が浸透している。第1次安倍政権は、「戦後政治の決算」という抽象的なものであったが、高い支持率を獲得した第2次安倍政権は「日本をとりもどす」、高市政権は「強い日本」がスローガンとなっている。共通するのは、やはり、80年代の栄光をとりもどすことである。これが現代の眼に見えない保守の原像である。