書評―知のドラマ

2007.02 代表 松田久一

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本コンテンツは、2006年末に行われた弊社社員向けの研修プログラムにおける松田の講義を要約したものです。

経営・経済




社会・政治




文学・歴史




自然科学

03

文学・歴史

 文学・歴史では4冊紹介します。『徳富蘇峰 終戦後日記──『頑蘇夢物語』』『大江戸曲者列伝-太平の巻』『明治維新を考える』『詩学叙説』の4冊です。


(1)『徳富蘇峰 終戦後日記──『頑蘇夢物語』』

図表
徳富蘇峰
『徳富蘇峰 終戦後日記
─『頑蘇夢物語』』(2006)
講談社

 最初に、徳富蘇峰の本を紹介します。蘇峰は現代では知名度は低いようですが、戦前は最大のイデオローグと言われた人です。毎日新聞をベースにして日本を戦争に導いたとして、戦後A級戦犯容疑を受けた人です。同志社の新島襄の教えを受けています。戦前最大の体制の思想家、イデオローグと言われている人です。

 この人の日記が子孫によって出版されました。第一級の歴史資料ですね。

 弟に小説家の徳富蘆花がいますけれども、徳富蘆花という人は、「謀反」を書いた人で、徳富蘇峰とは正反対の過激な平和主義者でしたが、徳富蘇峰は戦争政策に協力的だった人です。1863年の生まれですが、戦後の1957年まで長生きしておられた人です。

 この人は最近注目されています。なぜ注目されているかというと幾つか理由がありますが、やはり戦争をどう捉えるかということと非常に密接に結びついております。

 日本はなぜ戦争に負けたのかというのを執拗に追究したのがこの日記です。東大の戦後の歴史研究の第一人者である御厨貴さんが次のような解説を書いております。「リズミカルで独特の調子を持つ文体もまた本書をより読みやすくする効果を持っている。これを読んで蘇峰の魅力を改めて確認することができた。蘇峰さん好きです、と言ったら彼は何と応答するであろうか。」この人の文章は本当にすばらしい、リズムがあって、漢文調ですね。今日本人として書けない文章なので、ぜひ読んで欲しいと思います。

 徳富蘇峰は本当にわかりやすくてすばらしい思想家です。ただ、彼は戦争イデオローグになったわけです。つまり中国を攻めろ、アメリカと戦争しろと、戦争政策を煽ったわけです。徳富蘇峰の考え方というのは──戦前の基本となる考え方ですけれども──皇室と国家と国民は一体であるということです。皇室と国家と国民、この三者というのは三位一体で、切り離せないものだということです。丸山眞男は進歩系の人だと思われていますけれども、「国家有機体説」というのをとっておりましたので、このような考え方は戦前の人たちには共通の考え方であったと思います。 三位一体という点について、徳富蘇峰は「国民と憂苦艱難を共にし給うところに、初めてここに皇室の有難味がある」と言っていますが、私なりの解釈をお話しておきます。例えば病気になったり、一人ぼっちになったりとか、そういうときにだれも自分のことを考えてくれないなと思うときがあるかもしれません。親とも別れ、妻や夫とも別れ、子どもとも別れ──そういう詩を萩原朔太郎は書いてますけれども──世界でたった一人だ、と感じる時があります。そんなときに絶対見捨てない人が一人だけいるというわけです。西洋の場合はキリストですが、日本の場合は天皇陛下なのです。天皇陛下だけが皆さんひとりひとりのことを「勝手に」考えておられる。これが日本の天皇陛下のあり方なんです。「きこしめす」ということですね。「きこしめす」というのは相手の意思とは関係なく知らされているわけです。勝手に考えてくれてるんですよ、皆さんの幸せを。それが日本の天皇のあり方なんですね。そういうふうに日本では皇室、国家、国民というものが切り離せないと徳富蘇峰は思っていたわけです。

 本題に戻って、何で戦争に負けたのかについての徳富蘇峰の結論はどういうものだったか。「昭和天皇には戦争をするお気持ちがなかった」。これが結論です。これを膨大な日記の中で、マッカーサーに天皇陛下が会いに行かれたとか、何かをおっしゃったとか、そういうことを材料に考え考え考え抜いた結論が、「至尊には、戦争の始終から、一貫して、おそらくは一刻たりとも、闘志満々という御気分にはならせ給う機会がなかった」ことが「全く敗北を招く一大原因」、つまり昭和天皇は戦争するというお気持ちがなかった。だから、日本は戦争に負けたんだというものだったんです。

 日本の戦後というのを考えていくと、敗戦のときに天皇陛下はどうすべきであったのかというのが一大問題なんです。

 蘇峰の結論は「天皇陛下はあまりにもリベラルすぎた。そして、お側の人間が天皇陛下に帝王学をお教えしなかったので、天皇陛下自身が勝つ気がおありでなかったんだ」と、それを明治天皇と比較しながらとうとうと述べている。それがこの『頑蘇夢物語』であります。

 この本以外にも、徳富蘇峰については講談社学術文庫から「近世日本国民史」という膨大な分量の日本の歴史についての本が出ています。この書も本当にすばらしい日本の物語になっております。私たちは、戦争を教科書で習った世代です。従って、先の大戦については、せいぜい祖父や祖母から話を聞くだけで体験をしていません。しかし、その私たちが社会の中心になり、50代前半の総理大臣が誕生しても、先の大戦は国際外交のレベルでは拘束し続けています。対中国、対韓国、そして、対アメリカとの関係においてもそうです。蘇峰は、なぜ、負けたのかを問うていますが、なぜ、戦争をしたのか、あの戦争指導でよかったのか等を含めて反省だけでは済まない総合的な理解が我々の世代にも必要だと思います。ケネス・パイルというアメリカの日本研究者が「日本が昇る」(Japan Rising)という本を書いています。中国やインドの経済発展という話はよく聞きますが、経済発展の話ではありません。日本が再び「世界史に登場する」ということです。第二次世界大戦後、日本は経済史に残る発展と成長を遂げましたが、世界史の主役ではありませんでした。パイルの指摘するように日本は戦後初めて世界史に再び登場しようとしています。見事な日本史を書いた蘇峰が我々の世代に次は君たちが世界史を書け、と言ってくれているような、岸信介などとは違い戦後の表舞台に一切登場することを許されなかった蘇峰の日記です。


(2)『大江戸曲者列伝 太平の巻』

図表
野口武彦
『大江戸曲者列伝 太平の巻』(2006)
新潮社

 『大江戸曲者列伝』ですが、これは最高におもしろい。江戸時代の「週刊新潮」並みのゴシップなんです。もし江戸時代というものをゴシップを通じて知りたかったらこの人のこの本を読めばいい。

 野口先生は江戸時代の古典がすらすら読めるわけです。先生はすらすら原文を読める。一般庶民の書いたくずし字でもすらすら読めるわけです。私はそんな力量はとてもありません。従って、野口先生の本から随分江戸時代のことを学びました。特に、「江戸の兵学思想」は日本の戦略研究に不可欠の書と思っています。この本は、当時の週刊新潮のような書き物をネタに書かれています。

 本の内容からすこしご紹介しますと、我々は、林羅山というのは東大の元祖みたいなものですからすごく偉い人みたいに思うわけですね。それから、荻生徂徠、とんでもない偉い人だなと思いますし、新井白石も偉い。太宰春台は夏目漱石が尊敬した人ですからとんでもなく偉い人だなと思うわけです。頼山陽は「日本外史」ですからこれは日本の歴史を最初に書いた人なんで「右翼」だ、と偏見を持つわけですし、あるいは佐藤一斉は陽明学の大御所と思うわけですが、そんなものは全く関係なく彼らのゴシップを書いています。佐藤一斉は老害で健忘症の兆候が明らかだった。頼山陽は「鬱状態と家庭内暴力と放蕩」というできの悪い息子で家出して、林羅山というのは「曲学阿世」と書いてるわけです。

 そんなふうにゴシップを書いているわけです。これが「太平の巻」ともうひとつ「幕末の巻」があります。ちなみに昭和についても、先生の著作ではありませんが週刊新潮の記事を集めて「昭和の墓碑銘」というのがあります。

 これはどこからでも読めますし、短いですから江戸時代の文化人の様子について知りたかったらこれを読んでみたらいいと思います。大変おもしろいです。今で言うところのゴシップですね。当時のゴシップ。本寿院とか、遠山金四郎とかいろいろ書いてあります。


(3)『明治維新を考える』

図表
三谷 博
『明治維新を考える』(2006)
有志舎

 今年、話題になった日本史の本としてこの三谷博さんの『明治維新を考える』という本があります。どういう本かというと、

  • 叙説 明治維新の謎 社会的激変の普遍的理解を求めて」
  • I 維新の中の普遍
  • II ナショナリズムとのつきあい方
  • III 維新史家たち

 という構成ですね。

 マリウス・B・ジャンセンの近代研究とか遠山茂樹とか司馬遼太郎の国民史とかで近代化について言及されています。維新のナショナリズムとのつきあい方とか維新史家たちとか非体系的に言及されている本だというのがわかります。

 この本では、Iの二、「維新における「変化」をどう「鳥瞰」するか」がキーポイントで非常に話題になった本なんです。

 明治維新というのはマルクス主義的な歴史観──共産党系においては史的唯物論、社会党系においては唯物史観といいますけれども──社会関係と生産力と生産関係の矛盾によって社会は進歩する、あるいは階級対立によって社会は進歩していくという考え方から見ていきますと、明治維新というのは封建社会における支配階級と被支配階級の対立によって革命が生じた、というものです。革命の基本的なモデルになるのはフランス革命です。フランス革命においては市民が封建を倒しました。つまり、ルイ16世をギロチンにかけて殺してしまうという形で革命が起こって共和国が誕生する。市民革命が起こるわけです。被支配階級が支配階級を暴力的に倒すという形で革命が起こる。社会主義革命というのはその市民社会で支配階級となったブルジョワ階級と労働者プロレタリア階級の対立があって、そのプロレタリアがブルジョワ階級を暴力革命によって、その権力を奪取し、自分たちが権力を手にするということです。

 それが唯物史観あるいは史的唯物論における基本的な歴史認識になりますけれども、そういう観点から見たときに、アメリカにおける南北戦争、それからフランスにおけるフランス革命、そしてイギリスにおける名誉革命などと比較してみたときに、明治維新は非常に中途半端なんです。どういうことかというと、市民が革命を起こしてないわけです。市民が革命を起こしたんじゃなくて、支配層である下層武士が勝手に革命を起こして、そして市民社会をつくっていくわけです。では、明治維新とは一体何なのかということが、明治以降の日本の知識人の「永遠のテーマ」になっていたわけです。長い長い論争史がありますが、未だに、決着はついていません。ベルリンの壁崩壊以後は、歴史観そのものが無効になり、テーマ自体が無意味になりかけていました。

 この問題を解決しましょうというのがこの三谷さんの説なんです。

 三谷さんは、明治維新というのは不思議だと言うわけです。武士が武士の自己否定をした。死者の数が圧倒的に少ない。南北戦争を見ても市民革命にしても大体100万人ぐらいの人が死んでいます。それで革命というのは起こっているんだと。ロシア革命に至っては何人死んでるかわからないくらいだと。それぐらいボルシェビキの革命というのはすごかった。それに対して日本の市民革命というのはせいぜい3万人だと。けたが違う。何でこんなに死人が少ないんだと言うわけです。

 それから、何のビジョンも反体制イデオロギーもなかったじゃないかと。「王政復古」は、大名としての徳川家を否定するものではありませんでした。それから、「尊皇攘夷」──天皇を大事にして攘夷というのは夷狄(いてき)を撃てということです──アメリカとかロシアとかを攻撃せよというのをスローガンにして明治維新が起こるわけだから、その後やってることと言ってることとが全く違うじゃないか。おかしいことになってると。もともと徳川家で形成された思想なのに、廃藩置県という形で自分たちが大名や武士の地位を捨てて、ちょんまげを切ってみんな市民になったと。武士が武士の自己否定をするような革命というのは世界中どこにも起こっていません。これはなぜなのかというのが問題提起なんです。

 それを理解するために、カオス理論を適用しようということです。つまり複雑系理論で明治維新を理解していきましょうという挑戦ですね。その結果どうなるかというと、たまたまランダムじゃなくてカオスが起こって、カオスのゆらぎが生じて、そのゆらぎの結果として基本的に明治維新が生じたと解釈すればいいんじゃないかいうことです。したがって、小さな揺れが──バタフライ現象じゃないけれども──小さな変化が起こって、それがもうもとに戻らないようなフィードバックがかかって明治維新が起こったんじゃないかと言うわけです。

 つまり、維新というものを史的唯物論あるいは唯物史観を通じないで新しい複雑系のモデルを通じて理解することができるんじゃないか。そうすると、まず発端はペリー来航によって攘夷システムに変化が生じて、内部要素の役割転換が起こって、そして安政5年の政変によって、例えば、井伊大老が殺されたらもとに戻るというネガティブなフィードバックに戻るのではなく、ポジティブフィードバックがかかって、連鎖が連鎖を呼んで革命が革命を生むという構造になって、そして中心統合の三極ゲームが起こって、対立関係の構造が不安定化していったんじゃないかと。「一会桑(イッカイソウ)」と呼ばれる一橋と会津と桑名の3家による新しい徳川幕府体制が否定されて、そして慶喜が政権につくわけだけれども、慶喜が政権についたときに公武合体論というようなものがうまくいかずに、そしてちょっとしたミスによって新しい薩長土肥の体制ができて、その結果として明治維新が起こってしまったということになるんじゃないか。それが複雑系を使った明治維新の新しい解釈ではないかというふうに三谷さんは言っているということです。

 複雑系理論ありき、の史観のような気がしなくもありませんが、やはり、歴史観が必要であることは言うまでもありません。この意味で歴史への理科系アプローチと言えると思います。


(4)『詩学叙説』

図表
吉本隆明
『詩学叙説』(2006)
思潮社

 最後に、文学で紹介するのは『詩学叙説』です。吉本隆明さんは、1924年生まれでもう82歳になられましたけれども、多分日本で独自の戦後思想というものをつくり上げた唯一の人ですね。戦後日本が出した最高の知識人だと思います。柄谷行人さんに影響を与えてきたのも吉本隆明さんですし、それから見田宗介さんが直接引用もしていますけれども、例えば質的なもの、文学とかドラマとかマンガとかを分析できるようにしたのも吉本さんの影響だと思います。82歳にしてまだ新しい本をどんどん出しておられる。しかも難しい本を。私が20歳頃に出会い、約30年間、ほとんどすべての著作を読み、まるで、人生の灯台のようにしてきた人です。

 吉本さんはすごい思想家です。さっそく、構成をみてみましょう。

    • 詩学叙説」
    • 詩学叙説・続
    • 新体詩まで
    • 日本近代詩の源流
    • 表現転移論I
    • 表現転移論II
    • 現代詩の問題
    • 『四季』派の本質-三好達治を中心に
    • 戦争中の現代詩-ある典型たち
    • 近代精神の詩的展開

 こういう構成になっています。つまり、理論がIで、IIが歴史的展開。理屈を展開して、その理屈に基づいて現代詩というものをずっと歴史的に分析していって展開していくという構成になっているわけです。

 この本の冒頭で、吉本さんは、日本というのは七・五調の世界の中で生きてきたと言っています。七・五調というのは、短歌とか和歌とかという、記紀歌謡あるいは万葉の世界からの伝統があるわけです。日本の詩、ポエットというのは常に七・五調の世界であるわけですね。七・五調というのは音数律と言われます。音数律──言語学の世界の言葉ですが──「五・七・五」というように音と数とを合わせていってリズムをつくっていくということですね。英語は音韻があってアクセントがある。アクセントでリズムを使ったり、音韻を使って韻をふんだりとか言葉の芸術、美というものを生み出せるんですけれども、日本語というのは、アクセントが平板で母音も子音も数が少ないので音数律、つまり音の数で割っていくしかないわけです。

 英語を勉強しているとよくわかりますが、我々の日本人英語の発音というのは、非常に平板なんですね。アクセントの習慣もないしリズムもない。欧米語のネイティブの方々というのはみんなリズムでしゃべっていきますが、そのリズムというのがなかなか身につかない。我々のしゃべり方というのは平板なんです。抑揚がない、アクセントがない。それが上品なしゃべりです。それで向こうの英語の教科書には日本人なまりというのが時々出てきますけれども、ものすごい平板な英語のしゃべりなんですね。フランスなまりの英語にものすごい抑揚とアクセントがあるのと非常に対照的です。

 日本語の非常に平板なリズムの中で、美的芸術というのをつくり出そうとしたときに日本人があみ出したものというのは、記紀歌謡以来、音数律でした。アクセントでもなく韻律でもなくて音数律だということです。

 そういう伝統の中で、明治以降近代革命が起こりました。宮沢賢治とか石川啄木とかいろいろな詩人が近代というものを詩の中で取り入れようとする。「五・七・五・七・七」とか「五・七・五」の世界の中で自己表現するということはものすごく苦しいわけです。17文字とか31文字の世界一短い詩と言われているわけですから。フランスの作家、ポール・バレリーやシャルル・ボードレールとかというすごい詩に対抗していくために──「五・七・五」の世界をどうやってぶち破って自分の自己表現ができるかと考えた。考えて考えて、それがどういう結果を生み出したのかというのを紹介するのが『詩学叙説』という本の趣旨なんです。

 それは、日本語というものに苦労したということですね。それを例えば吉本さんは日本語の伝統的な形式、七・五調の中で「詩的喩を成り立たす」ことだったと言ってます。島崎藤村の例を挙げています。有名なのは『若菜集』という詩集や、『破戒』です。これは『草枕』からの引用です。

夕波くらく啼く千鳥
われは千鳥にあらねども
心の羽をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな

(......)

心の宿の宮城野よ
亂れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

 この詩というのは、東北学院の教師になって──失恋のためともいわれていますが──仙台に赴任していたときの詩なんです。

 これについて吉本さんは、七・五調の変形の中で失敗してしまっていると言っています。直喩、暗喩、メタファーというのが言語芸術の中において非常に重要になってくるわけです。特に日本語においては芸術性、つまり文学の詩の価値というのを高めようとすると、メタファーというものを使わない限りだめなんです。メタファーというのは、コンセプトを考えていく上で本質的な意味を持ってるわけです。

 日本語で言うと隠喩です。どういうメタファーを考えていくか。「お前の鼻は団子だな」というのは暗喩になります。直喩というのは「まるで何々のようだ」ということになります。意味の比喩、メタファーと、それから形而上的なメタファーに分かれていくわけですが、そもそもこれは失敗していくんだと言うわけです。

 どこで失敗しているかというと、『若菜集』では、宮城の仙台の町を精神の住処としてみたり、千鳥に自分の心を投影してみたりとかいろいろ比喩を使おうとしているんだけれども、どうもうまくいってない。これが明治最初に、近代、つまり西洋の文化、近代文学にぶつかったときにその表現の自由さとか大きさとかにうちひしがれて、日本の短歌が表現している非常に情緒的な世界に閉じこもったような七・五調の詩の世界の中からそれを一挙に飛び抜けて、自由な表現をしたいと思った詩人たちの苦悩だと言っています。七・五調から逃れようとして結局は逃れられない、それにかわる比喩を展開しようとしてできなかった島崎藤村の苦労を表現しているんだと言うわけです。だから、七・五調の音数律の伝統形式を西洋的近代の新詩と調和させる試みは失敗に帰して、七・五の音数律は次第に近代社会から影をひそめることになったという言い方をしています。

 こういうふうに音数律で勝負しようと考えたんだけれども、それはできない。できないのでどうしていったかというと、そこでメタファーというものを駆使して言語芸術、つまり詩の美しさというのを表現していこうとするわけです。

 次に、宮澤賢治がある意味で成功した最初の例として挙がってきます。宮澤賢治の詩で『岩手公園』が紹介されています。宮澤賢治は自分の自由な表現、表現したい心情、イメージというものを、詩と詩の間、言葉の行と行の間の展開に工夫をしていくことによって詩的価値を高めようとしていったんです。その『岩手公園』をご紹介しましょう。

「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかにゆびさせど
東はるかに散乱の
さびしき銀は聲もなし

なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大學生のタピングは
口笛軽く吹きにけり

老いたるミセスタッピング
「去年(こぞ)なが姉はこゝにして
中學生の一組に
花のことばを教へしか」

孤光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしづかにたそがるゝ

 この詩の優れているところは、展開に非常に工夫を凝らしてイメージを広げていっているところです。

 そして、<転換>をさらに加えていくとどうなっていくかというと、日本語の言語の中にドイツ語とかフランス語を自由に入れていって、言語的な価値を高めていく、七・五調ではできなかった言語の詩的価値を高めていく詩が出てくる。

 そこで紹介されているのが富永太郎という人の「恥の歌」です。フランス語で恥のことをオントと言うらしいですが、そのオントというのが詩の中に出てくるわけです。

Honte(オント)! Honte(オント)!
眼玉の 蜻蛉(とんぼ)
わが身を 攫(さら)へ
わが身を 啖(くら)へ

Honte(オント)! Honte(オント)!
燃え立つ 焜爐(こんろ)
わが身を 焦がせ
わが身を 鎔かせ

Honte(オント)! Honte(オント)!
干割(ひわ)れた 咽喉(のんど)
わが身を 涸らせ
わが身を 曝らせ

Honte(オント)! Honte(オント)!
おまへは 泥だ!

 という詩です。こんなふうにしてフランス語を日本語の中に入れていくことによって詩的価値、つまり表現したいものを一挙に挙げていく。ついに七・五調を突破してひとつの形式が出てくる。新しいメタファーというものが出てくるわけです。

 そのメタファーの典型例として、宮澤賢治を挙げています。メタファーというのは暗喩と隠喩というのがありまして、あるいは直喩と隠喩というのがあるわけですけれども。宮澤賢治が晩年病床にあってノートに書き留めたもので、「丁丁丁丁丁」という詩です。吉本さんはこの詩を最高傑作として取り上げています。日本の近代詩が七・五調を脱して音数律を捨て去って、韻律を、リズムを内在化して、新しい表現を獲得した最初の成功例として挙げています。

 これは全く言葉の意味はないんです。意味はないんですけれども、イメージだけは伝わってくる。日本語の言語芸術の七・五調を乗り越えた詩と言われています。例えば「静けさや 岩にしみ入る せみの声」という松尾芭蕉の句があります。我々のイメージというのは静かな森か林の中の岩にせみの鳴き声がまるでしみ入ってるような、そういう暗喩を通じて静かなんだなというイメージが頭の中に広がってきます。けれども、それは七・五調の世界から抜けきれてないわけですね。抜けきれてないので表現できるものに制限がある。その制限を突破する自由を獲得するために宮澤賢治が採った方法は喩ということです。言葉には全く意味はないんですけれども、そのイメージだけはどんどん伝わってくる。それが「丁丁丁丁丁」です。

丁丁丁丁丁
丁丁丁丁丁
叩きつけられてゐる 丁
叩きつけられてゐる 丁
藻でまっくらな 丁丁丁
塩の海 丁丁丁丁丁
熱 丁丁丁丁丁
熱 熱 丁丁丁
(尊々殺々殺
 殺々尊々々
 尊々殺々殺
 殺々尊々尊)
ゲニイめたうたう本音を出した
やってみろ 丁丁丁
きさまなんかにまけるかよ
何か巨きな鳥の影
ふう 丁丁丁
海は青じろくあけ 丁
もうもう上がる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛ぶ
巨きな花の蕾がある

 「丁」という言葉は、全く意味をなさないんです。全く意味をなさないんだけれども、何らかの形で頭の中に浮かんでくるものがある。その全くわからないけれども、頭の中に浮かんでくる切迫感とか、その切迫感の中で行われているような情景、そういうものが芭蕉の持っていた世界とは違うイメージを表現できているわけです。それが日本語が七・五調の喪失のかわりにつかんだメタファーと、メタファーによって創り上げたイメージの世界です。それが芸術的な美というものです。これを美と受けとめられる感性を創って欲しいと思います。

 吉本さんが推測しているのは、宮澤賢治が熱でうなされたことがあったそうですが、そのときの幻覚のイメージを自分の世界の中で詩として定着させたのではないかと言われています。

 吉本さんは、日本近代詩が伝統的な七・五調──短歌芸術と言われている世界──から脱して、近代詩として世界に通用する詩となっていくために、乗り越えられる手法とか展開したものは何だったか、を解明しています。それはメタファーによる表現を使ったから、というのが「詩学叙説」「詩学叙説・続」での答えです。

 その理論に基づいて新体詩から現代まで分析しているのがII部の「新体詩まで」から「近代精神の詩的展開」です。

 吉本隆明さんの思想は、『言語にとって美とは何か』、『共同幻想論』、『心的現象論』及び『心的現象論各論(未完)』が言わば原論になります。これにマルクスの『資本論』、ヘーゲルの『歴史哲学』を加えれば、ヘーゲル=マルクス=吉本思想として完成すると言ってもいいかもしれません。そして、言葉の美しさを分析した原論である『言語にとって美とは何か』の言わば応用と現代への拡張が本書になります。

 生きていくうえで美しさは不可欠です。それをただ主観的なもの、掴まえどころのないものと放置せずに、何ものであるかを見極めたいと思ったら必ず読むべき一冊だと思います。

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