眼のつけどころ

行動経済学ベースのマーケティングのはじめ方

2020.01.14 代表取締役社長 松田久一


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行動経済学とは

 行動経済学は、特に定説的な定義はないが、心理実験をベースにした経済行動の研究及び研究手法である。2002年のダニエル・カーネマンのノーベル経済学賞受賞、続いて2017年のリチャード・セイラーの受賞などによって再び注目され、現在も進化している。

 この分野が注目を浴びるのは、公共機関の費用効果の高い施策や金融業界のリスク商品の開発などに応用されているからである。主に、心理実験によって検証され、ゲーム理論によって基礎的に理論づけられる。仮説演繹的な経済学とは違い、現実の現象から帰納して、事実をもとに推論していく。ここでは、行動経済学の研究成果が、現実の企業や公共機関のマーケティング活動に、どう応用できるかを簡単に整理してみる。

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なぜわかりにくいのか

 行動経済学は、少々わかりにくい。理由は、行動経済学では、人々は経済学が想定するような合理的行動をとっていないこと、すなわち「アノマリー(逸脱)」などに注目し、そのことから何らかの帰結や規則性を導き出そうとするからだ。これが、普通の常識的な生活感覚ではわかりにくい。

 「宝くじを買っているのに株などのリスク資産を持たないのは経済合理的ではない」とふだんの生活感覚を指摘され、その心理的理由を説明されてもピンとこないのが実感だ。

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宝くじは買うが株投資をしないのは合理的か?

 日本では、「宝くじ」を買う人は多いが、「株」を資産保有する人は少ない。宝くじは、利得は大きく損失は少ない、しかし、当選確率(生起確率)は限りなくゼロに近い。

 株の購入は、利得は大きくはなく損失も少なくはない。しかし、元金以上の利得を得る可能性は50%を越える。

 この条件で、一定の収入を持つ人々が自由に使える1万円があるとすると、どちらを選択するだろうか。期待収益(効用)で判断すれば、株を購入することを選ぶはずだ。なぜなら、期待収益(利得x生起確率)は「株>宝くじ」であり、宝くじの当選確率が0.000005%だからだ。しかし、単純には比較できないが、現実は株の所有率の13%に対し、宝くじの1年内購入率は約38%と約3倍以上だ。

 この現実は、経済学では合理性に反するのでうまく説明できない(「アレのパラドクス」[1])が、心理学では可能だ。

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経済学では説明できない行動の心理学的な説明

 結論から言えば、生起確率によって、人々が決定の基準を変えている。ほとんど起こらないような事象では、利得を重視する「可能性の効果」によりリスクテイク、即ち宝くじ購入を選択するが、起こりうる事象では「確実性の効果」によりリスク回避、株の非購入を選択するからだ。この効果は実験で検証されている心理特性である。

 これをさらに発展させたものが「プロスペクト理論」である。実際の利得と損失と主観的な利得と損失の効用は、直線的な線形関係ではなく、非線形であるという内容である。1,000円と10,000円の損失は、客観的に10倍の損であるが、心理的には10倍以上の損を感じるということである。

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株よりも宝くじを買う心理

 繰り返すと、宝くじのようなめったに当選しないケースでは、何億円という当選金額の可能性に期待してリスクテイクする。しかし、株の場合は、元本割れは滅多に起こらないことは知っていても、より確実性の高い現金で持つというリスク回避の選択をしてしまうということである。

 これは心理特性であるが、なぜ、人々がこのような傾向を持つかは行動経済学ではわからない。不安心理などの精神分析、感情心理学や脳神経科学による基礎づけを待つしかない。

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行動経済学の応用分野としてのマーケティング

 行動経済学は、主に実験によって、このような心理学的な知見を蓄積してきた。それを現実に応用しようというのが、行動経済学の利用者の立場だ。

 特に、売り手と買い手の関係に応用できるのがマーケティングである。マーケティングは、1920年代に、アメリカ経済学会から分離して独自の学会を形成した。袂を分かった理由は、市場の捉え方だ。

 マーケティングは、市場を抽象的に捉えるのではではなく、消費者や流通といった具体的な次元で捉えようとしたと言われている。不思議なことに、21世紀になって、消費者心理の研究をベースに行動経済学が生まれた。この意味で応用分野としてのマーケティングは注目される。

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マーケティングへの応用範囲は広い

 マーケティングの分野である消費者行動研究も長い歴史があるが、実証モデルで利用されている行動研究は、袂を分かったはずの「個人の経済学的合理性」を前提にしている。消費者の意思決定に関する情報処理モデル[2]が典型だが、その限界は明らかだ。特に、感情と理性が激突するブランド選択は、どんなモデルを利用しても、30%の説明が限界だ。

 現在の消費者行動分析の限界を乗り越える可能性を行動経済学が持っている。マーケティングの施策であるブランディング、価格づけ、売場、広告、プロモーション、ネット行動に応用できる。

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どんな心理傾向や規則性が応用できるか

 実際、行動経済学で注目されてきたどんな心理特性が応用できる可能性があるのだろうか。

 ここでは、主にカーネマンの「ファスト&スロー」に従って、恣意的に次の七つに着目したい。

 しかし、事例や説明は、マーケティングの知見を含めるため、必ずしもカーネマンの説明と一致しないことをことわっておく。マーケティングの分野にも、行動経済学の前に、長年、培い、蓄積してきた心理特性、経験則や知見がある。

1 認知容易性-知っていると好きになる

 「人は知っているものを好きになる」。人間は、好き嫌いで様々なものを判断する。その際に、人は認知しやすいものを好きになる傾向がある。すでに知っているものと似ていると、知っていると感じ、「感情」的に「好き」と感じる。つまり、認知のしやすさが好きの感情に結びつく傾向がある。これが「認知の容易性」と呼ばれている。

2 ヒューリスティック-真実への近道

 ヒューリスティックとは、「発見的な」という意味で日本語になりにくい。敢えて、意訳するなら「推測の発見的な手がかり」と訳すしかない。

 「ハイレゾイヤホン」を買う際に、「いい音」が聞きたいという欲望を持っているとする。しかし、いい音かどうかを判断するのは極めて難しい。再生周波数特性、ドライバの数、装着タイプなどのスペックを比較しても、よくわからない。

 そこで、「いい音」を「推測」するために、どんな著名な人が評価しているのか、ECサイトの評価などの周辺情報を参考にする。このように本当に知りたいことを知ることは極めて難しいので、推測の手がかりとなるような方法をヒューリスティックと解釈している。

3 アンカー効果-最初に提示される数字に憑かれる

 人は最初に見た数字に影響される傾向がある。アンカーとは船の「錨」のことである。船は、錨がないと波に流される。人の数字判断も、どんどん流される傾向がある。その際に、流されない役割を果たすのが「最初の数字」だ。フリマなどで商品を販売する場合、価格は底値になりやすい。 それを避けるには、最初に提示する価格を落札希望価格より高くする。そうすれば、提示価格の「アンカー効果」が働き、底値を回避できる。

4 プロスペクト理論-得よりも損を嫌う

 もっとも有名な理論である。1,000円の得と1,000円の損は、合理的には「同じ」はずだ。1,000円の「喜び」と1,000円の「痛み」は同じ程度だと、経済合理性では考える。

 しかし、実際の消費者は、「1,000円の『痛み」の心理尺度>>>>>>>1,000円の『得」の心理尺度」だ。損失を過大に心理評価し、実際の損得と心理的な損得とは、線形にはなっていない、という理論だ。実際の、価格づけへの応用には、「参照点」[3]などツールが必要になる。

5 心理会計-心理的な辻褄あわせ

 人は会計のように、何らかの辻褄あわせを行っている。事実として、タクシーの乗務員は、利用客が多い時よりも、少ないときの方が、勤務時間が長くなる傾向がある。

 東京4社のタクシーなら1日の水揚げは約5万円以上だ。多い時に、勤務時間ギリギリまで勤務し、10万円にし、少ない時は4万円で帰庫した方が、時給は高くなる。しかし、実際は、利用客の多寡にかかわらず、1日5万円で帰庫する。「14万円>10万円」なのに10万円を選択する。利用客が多い時に勤務時間を長くして「水揚げ」を増やし、少ないときに勤務時間を短くした方が、平均水揚げは多くなる。この理由は、心理会計、つまり心理的な辻褄合わせの理論で説明できる。

 乗務員がこのような行動をとるのは、1日の目標予算を決めて行動しているからだ。損得よりも、心理会計上の目標達成を優先させているという理解である。スーパーでの主婦の買い物行動にも、このような「心理的な財布」があることが知られている。

6 フレーミング(framing)

 フレーミングとは「枠組み」のことである。人は何かを判断する際に、提示された情報によって、違う反応を示すという傾向がある。この提示される情報のことを「フレーミング」という。

 店頭で「30%引き」の表示があり、他方で「20%引きのところをさらに10%引き」と提示される場合を想定する。このケースでは、多くのひとは後者を選びがちである。

 しかし、実際の値引き率は、「30%>28%」であり、30%引きの方が明らかにお得だ。1万円の商品を値引きする際に、10%引き表示よりも、「1,000円値引き」の方が売上効果が大きい。これも、フレーミング効果である。

7 ナッジ(nudge)

 ナッジは、「軽く突く」という意味である。「ちょっとした」きっかけ(ナッジ)によって、集団行動を変えようとするものである。リチャード・セイラーの貢献してきた分野であり、費用効果が要求される公共政策によく応用されている。

 よく知られている例に、オランダのアムステルダムのスキポール空港の小便器の「ハエ」がある。空港は経費節減のために、トイレの清掃費を下げようとしていた。そのために、男性利用者が小便器を汚さないように、便器に一歩近づいて利用する行動を要請することが必要だった。

 そこでとられた方法が、便器にハエの絵を描くことだった。これによって、利用者は便器のハエを的に利用するようになり、便器の汚れが少なくなった。そして、清掃費用の削減に繋がった。

 この事例では、ハエがナッジであり、利用者が便器を汚さないように用を足すという行動変容に繋がった。人は的を提示すると、それを狙おうとする。その心理を利用したものと解釈されている。

 人々は、先入観や思い込みで特定の行動をする。それを別の選択肢、ナッジを提示して行動を変えようとするものだ。

 ある保育園で、子供のお迎え時間に遅れる保護者が多いことが問題となっていた。経済的合理性の観点からは、罰金制が考えられる。遅れた人と時間によって罰金(経済的ペナルティ)をとるというものだ。しかし、結果は、意に反して、遅刻が増えてしまった。遅刻が金銭的なものに変換され、正当化されたからである。

 それではどんな政策が遅刻を減らすことができるだろうか。それを仮説発想するのが「ナッジ」だ。

 例えば、毎週、遅刻者と時間を、掲示板に貼りだして、社会的ペナルティを与えるという方法もある。しかし、これはネガティブな動機づけである。ナッジ的な政策は、毎週、掲示板に、遅れず迎えに来た保護者名を掲示し、ほとんどが定刻で迎えに来ていることを強調することである。多数派の行動を強調すれば、保護者には多数派への同調心理が生まれ、共同や連帯意識が共有できる。

 固定観念や偏見でとっていた行動を、小さなきっかけで変え、集団的な行動を変容させていくのがナッジである。

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より応用範囲を広げるには 心理実験の再現性

 七つの行動経済学の知見を挙げたが、めざとい読者は現場への応用がひらめいたに違いない。ミクロ経済学と違い、行動経済学は応用可能性が高く広い。

 しかし、課題も多いことは明らかだ。最初に、強調しておくべきは、心理的実験の再現性問題である。行動心理学は、心理実験をもとに、経済行動を理解する。特に科学的な論理の基礎となる心理実験の再現性である。心理実験の結果の追跡調査によれば、心理実験の多くが、再現性がないと言われている。1回きりの心理実験で発見された心理特性では、一般化して議論するには疑問である。行動経済学を応用するには、まず実験の再現性を高めなくてはならない。

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行動経済学が明らかにした人間像は・・・

 人間は理性的な経済合理性にもとづいて行動するだけでなく、認知の歪みや感情に左右されるものであることは、行動経済学の研究で、次々と明らかにされてきた。これからも明らかにされるだろう。

 しかし、これらの心理特性を人々はどうして持っているのかの分析は進んでいない。

 経済合理的ではない行動を人々がとるのは、理性ではない感情によるものなのか。あるいは、限られた情報や「情報の非対称性」[4]のもとで、「合理性」を追求しているだけなのか(「限定合理性」)。限られた情報のもとで合理的に行動しているだけで、神のような完全情報を持つ存在から見れば、合理的には見えない。

 カーネマンは、意思決定をスローなシステムとファストなシステムに2分した。既存の概念と対応させれば、スローは理性優位であり、ファストは感情優位である。そして、理性と感情の両輪のシステムで人間の意思決定は、行われるとみなしている。

 脳神経科学の分野で感情研究をリードしてきたダマシオによれば、理性ではなく、感情、すなわち情動こそが、生物学的にプログラムされた本源であり、理性もすべては感情に還元されると主張している(「進化の意外な順序」、アントニオ・ダマシオ)。

 後天的に獲得されると思われる理性的な合理性は、感情の分岐的な派生に過ぎないということだろう。この説に従えば、理性を前提にした経済合理性の演繹仮説こそが誤謬となる。カーネマンのノーベル賞受賞から約20年、行動経済学が明らかにしてきた心理特性を総合化し、合理的経済人ではない人間像が提示されることを期待したい。

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行動経済学とマーケティングの相互乗り入れで新たな実学へ

 マーケティングと行動経済学は、欧米では相性がいい。両者とも、経済合理性を前提とした仮説演繹的な経済学批判のなかから誕生したからだ。そこで期待されるのは、相互乗り入れである。

 行動経済学にとっては、マーケティングから恩恵を受けることができる。公共機関の施策や企業のマーケティングとの関わりが深い。特に、公共機関の予算の限られた政策には、費用対予算効果が要求される。特に、ナッジは人々の心理を捉えて、新しい選択肢を提示して、集団的な行動を変えようとするものだ。そこでは、アップリフトモデリング[5]などの政策効果分析が活用され、政策目的の成否を決するものは施策アイデアであり、アイデア発想である。そこで発想されるアイデアは、心理的な根拠のあるプロモーションアイデアと同質のものである。この領域は、行動経済学の研究者よりも、マーケターの豊富な経験が生かせる分野である。

 マーケティングも、行動経済学の手法を取り入れることによって、メリットを引き出すことができる。様々な企業や組織のマーケティング政策で行動経済学的な基礎づけをすることができる。つまり、暗黙のうちに経済合理性を前提にしてきた規範に囚われない行動分析によって、ブランディング、価格づけ、プロモーション、売場づくりや小売選択などの政策を発想できるようになる。また、認知の歪みやバイアスなどを活用してきた施策を新たに基礎づけることができる。ブランドとは、消費者の対象商品への「認知的な感情的な歪み」である。

 さらに、情報の非対称性や信頼性の問題を扱った「情報の経済学」や市場プラットフォームの設計に必要な「オークション」や「マッチング」などの「市場デザイン」論との統合による「新たな実学」が期待される。

フリマでの行動経済学については、松田出演のテレビ東京系列「1年後のニッポンがわかるテレビ!」(2020年1月6日放送)で解説しました。

【注釈】

[1] アレのパラドクス
ノーベル経済学賞を受賞したモーリス・アレが1953年にニューヨークの会議で参加者に尋ねた質問の結果を指す。
参加者に、下記のくじのどれを選択するかを尋ねた。

  • 〔1回目のくじ〕
    • A:確実に1,000ドルがもらえる
    • B:10%の確率で2,500ドル、89%で1,000ドルがもらえ、1%は賞金なし
  • 〔2回目のくじ〕
    • A:11%の確率で1,000ドルがもらえ、89%は賞金なし
    • B:10%の確率で2,500ドルがもらえ、90%は賞金なし

ほとんどの場合、1回目はA、2回目はBが選ばれた。1回目は期待利益の低い方が選択され、2回目は期待利益が大きい方が選ばれた。不確実性を伴う意思決定では、期待値の高い結果を選択するのが経済合理的である(これは期待効用理論と呼ばれる)。アレのパラドクスは、期待効用理論の反例としてよく知られている。100%確実と考える結果を過大評価しがちな傾向は、「確実性効果」と呼ばれる。このパラドクスは、プロスペクト理論などの行動経済学に基づいて、整合的に説明できる。

[2] 情報処理モデル
消費者の購買行動を、情報に接して判断し意志決定を行っていくという、情報処理のプロセスとして捉えるモデルである。代表的なものにEngel, Kollat, & Blackwell、Howard & Shethモデルなどがある。

[3] 参照点
ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが提唱した「プロスペクト理論」において、人が損得を感じるときの基準となる点のことを指す。「プロスペクト理論」では、この参照点からどのくらいプラスまたはマイナスに離れているかによって、損得が判断される。参照点からの損得と、それに伴う満足度との関係を示した価値関数には、参照点からみて利得または損失の絶対値が大きくなっていくと、その変化に対する価値の変化は小さくなっていく、という特徴がある。

[4] 情報の非対称性
商品やサービスの取引において、当事者間で持っている情報に格差があることを指す。ある商品について、消費者が品質の違いを見分けられない場合などが、当てはまり、商品提供者との情報格差が大きくなるほど、品質の良い商品が市場に出回りにくくなり、消費者は商品の購入をためらうことになる。

[5] アップリフトモデリング
CMや販促効果の予測分析などで用いられ、消費者へのある働きかけが期待通りの成果を生む可能性がどのくらい高いかを示すアップリフトスコアが算出される。複数の働きかけの中で、アップリフトスコアが大きいものが採用されることになる。

【参考文献】

  • ダニエル・カーネマン(2012)「ファスト&スロー」(上)(下)、早川書房
  • リチャード・セイラー(1998)「市場と感情の経済学」、ダイヤモンド社
  • 大垣昌夫、田中沙織(2018)「行動経済学」、有斐閣
  • 大竹文雄(2019)「行動経済学の使い方」、岩波新書
  • アントニオ・ダマシオ(2019)「進化の意外な順序」、白揚社
  • エリック・シーゲル著、矢羽野薫訳(2013)「ヤバい予測学」阪急コミュニケーションズ
  • 酒井泰弘(1982)「不確実性の経済学」、有斐閣