情報価値志向の端末個人主義スタイルの誕生

1996.10 代表 松田久一

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「中流」の生活スタイルの誕生と高度化

 現在、自分の生活レベルを「中」と感じている層は88%に上る。バブル崩壊、価格競争を経験した今日でも日本の中流階層は滅んでいない。寧ろ、統計数字では所得格差は縮小したことが確認できる。

 アメリカでは、80年代から中流層が減少し始め階層化がすすみ、所得格差をより拡大しながら経済不況を乗り切ったのと比べると、まったく対照的である。

 この中流の生活スタイルが、アメリカのように分解するよりも、寧ろ「高度化」しようとしている。新しい中流の生活スタイルが再開発されようとしている。

 日本で中流層が誕生するのは明治の近代化を経てからである。明治政府の誕生と殖産興業化は、都市にたくさんの雇用機会を創造した。同時に、こうした人材を教育するための機関も誕生した。地方から、学校教育を受けるために都会に出て、勤め人としてそのまま定着するという「都市型サラリーマン」が誕生した。

 これらの層が増加し密集してくると、職場の近くでの住宅が不足し、郊外と職場のある都心部を結ぶ鉄道が建設され始めた。そして、郊外に住宅が供給され始めた。東京の「山の手」「世田谷」が生まれた。都心で働き、郊外に「持ち家」をもち、住むという「職住分離」のスタイルが鉄道によって可能になった。都会に持ち家をもつという発想は極めて新しい考え方であった。漱石も鴎外も借家だった。それまでは都市では「仮住まい」と決まっていた。長屋に見られるとおり、風呂も、洗濯も、炊事もほとんど共同であった。長屋を「終の住まい」にするために必要な機能を圧縮した住居が現在の都市型マンションであるとも言える。

 郊外の誕生とともに、家事と子育てを専門にする「専業主婦」が誕生した。これは賃収入だけで生活が保証されるようになったからである。この新しい家族を顧客にしようと考えたのが、明治維新によって、武家層という固定得意先を失った「大手呉服店」であった。郊外の家族を顧客に電車で来店してもらうという戦略をとった。品種別に品揃えした「三井呉服店」は「文化生活を提案する」「三越」になり、日本で初めての業態小売業が誕生することになった。生活に必要な商品はこうして「売りにくるもの」から「買いに行くもの」となった。

 サラリーマン、専業主婦、職住分離、買い物という現在の中流生活にとって当たり前の生活スタイルは大正時代にはほぼ成立していた。こうした中流の生活スタイルができた人は全人口のわずか約5%であったと推定される。

[1996.10 「NOVA」 日立キャピタル(株)]