生活研究所報 創刊にあたって

1992.11 代表 松田久一

本コンテンツは、「生活研究所報 Vol.1 No.1」の巻頭言として掲載されたものです。

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 私どもの研究所報を発刊させて頂きます。

 創刊の狙いは、三つあります。

 ひとつは、日頃、私どもにテーマを頂いている方々の発想の刺激にならんことを願ってのものです。日頃、多方面でお世話になっているみなさんに、仕事と仕事以外の知的領域で私どもからの情報と知識を提供したいというものです。

 ふたつは、私どもの社員の知的研鑚の場としたいということです。私どもの社員は、日頃の業務で自己研鑚を要求されます。しかも、現代のテーマは狭義のマーケティングに限られるものでなく、広範な知的研鑚が要求されます。その発表の場としたいと考えております。

 もうひとつは、わたしどもの遠望と気概です。

 現代の日本とその経済システムの解剖学をめざしたいということです。

 打ち砕かれることは承知の上での試みです。幕末長岡藩は、河合継之助の政治指導のもと官軍との負け戦をしました。言わば、気概の戦です。現代のマーケティングは、駄弁と輸入学問のもとにあります。マーケティングの理念は、1940年代のアメリカの消費者を基盤に構築されたものです。大衆社会の成立と軌をいつにしています。無節操と変節を本とするのは当然です。ヘーゲルの「現実的なるものは理念的なものなり」を掲げ、負け戦をする気概で、新たな理論の構築をめざしたいと思います。

 歴史は、理念と気概で動くものです。ささやかなとも言えぬ試みですが、努めてみたいと思います。長岡藩で、負け戦に反対したものがいました。佐久間像山門下で吉田松陰(寅次郎)と並んで「ふたりの虎」と称された小林虎三郎です。この負け戦の決断の時に歌った孤立無縁の虎三郎の漢詩があります。

清夜吟
天に万古の月あり
我に万古の心あり
清夜高楼の上
欄によっていささか襟を開く
天上万古の月
我が万古の心を照らす

 虎三郎は、気概に満ち溢れた日常に堕することを嫌い、たいへんな世にこそ人を創るべきことを主張した人です。困窮のどん底にあった敗戦下で、友藩から送られた米百俵を、多くの藩士の明日の米がないという声のなかで、学校建設に投じた人です。「その日暮らしの思想を排して人物を創れ」が虎三郎の遠望でした。

 河合継之助の気概と小林虎三郎の遠望をもって創刊したいと思います。

 日本人と日本の歴史がないところにどんな思想もない。近代と近代化を無視した哲学もない。

 西欧近代の哲学と日本の思想に立脚したマーケティングと戦略を、特定の読者に、随意にお届けしたいと思います。

[1992.11 「生活研究所報 Vol.1 No.1」 JMR生活総合研究所]