情報化時代の機動戦略入門-レオンハードの軍事戦略

2001.04 代表 松田久一

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本コンテンツは、米国陸軍中佐 Robert R. Leonhard(ロバート・R・レオンハード)氏による「情報化時代の機動戦略について」寄稿に際し、その序文として執筆されました。

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レオンハードの戦略論-アメリカの軍事戦略に学ぶ

 「戦略がない」、「戦略的でない」という発言をあらゆるところで聞くようになっています。評論家、エコノミストやアナリストなどの「問題は戦略がないことだ」と言う発言で妙に納得してしまう事もあるのですが、果たして、彼らは戦略ということが本当にわかっているのでしょうか。発言内容を吟味してみると、「重点」という言葉とほとんど同義にしか思えません。彼らは、戦略がないと批判することによって、問題への対処を否定し、その責任を戦略主体に押し付け、自分は安全圏に留まると言う論法で逃げているに過ぎないのではないしょうか。戦略がないと批判し、戦略の内容に言及しないのは、この言葉を使っている彼らでさえ実は戦略について一片の知識すら持ちえていないからです。

 日本には戦略の専門家はいません。経営戦略を立案することを標榜する経営コンサルタントでさえ、せいぜいアメリカのビジネススクルールで学んだ程度のものに過ぎません。日本で軍事評論家と称される人々はほとんどが兵器マニアです。とても実務に耐えうるものではありません。偽者は偽者です。戦略思考は、その組み立ての理論的枠組みや少々の事例を討議しただけの分析的アプローチで身につくものではありません。経営を含む歴史知識と経験の総合化によって獲得されるものです。

 欧米にはその知的伝統が生きています。中国にも孫子と毛沢東の遊撃戦の伝統が生きています。ロシアには伝統的にドイツ参謀学の伝統を受け継いでいます。経営やマーケティング戦略の発想の源泉には戦争戦略があります。その戦争体験が戦史研究を通じて戦略理論として反省され研究し続けられているだけでなく、ここから生まれた新しい戦略理論が経営のみならず政治などのあらゆる場面に波及、応用されていきます。ブッシュ政権を支えるパウエル国防長官、ライス大統領補佐官が軍事戦略の専門家であることからも明らかです。アメリカでは、40代の黒人女性がアメリカの軍事戦略を背景とした外交戦略を大統領にアドバイスしているのです。従って、戦略思考は、自らの経験として具体的に人々に理解されるだけでなく、その賢愚を問う批判能力も十分に培われています。「戦略」という言葉だけでのごまかしは通用しません。

 翻って、日本を省みれば、非戦略思考の見本例が大手出版社の新書版に堂々と「戦略思考とは何か」という書名で出版されています。しかも、著者は外務省出身者です。日本には「戦略がない」のではなく、戦略を創造し、批判する知的基盤が薄いのです。日本の知的基盤で戦略思考を身に付けるには、司馬遼太郎の「坂の上の雲」と塩野七生の「ローマ人の物語」を読むしかありません。多くの経営者が読む本の常にベストテンにあがってきます。それは経営者の好みというよりも寧ろ戦略思考を学びうる日本で少数の知的資産であるからです。これは素晴らしいことです。しかし、別の見方をすれば、日本の経営やマーケティング戦略は、未だに、ローマ時代と日露戦争時代の軍事戦略を引きずっているとも言えるのです。欧米の軍事戦略は、軍事革命(MR)の時代を迎えています。目標の一元化、量的優位、集中などの戦略原則は大きく塗り変えらようとしています。さらに、IT技術の革新によって、軍事戦略が新しい革新の時代を迎え、新しい理論の創造と批判が盛んに行われています。この影響を受け、経営やマーケティング戦略の革新も進むことは間違いありません。現に、変わっています。R.レオンハード教授は、若手の軍事戦略の専門家です。レオンハードは、アメリカで情報化時代の新しい軍事戦略の理論を次々と提案しています。詳細な履歴は別に譲るとして、日本では全く紹介されていない理論です。これからのアメリカの軍事戦略に大きな影響を与えていくことは言うまでもありません。レオンハード教授の戦略論の特徴は、情報化時代の現代における「機動」(Maneuver)の重視です。我々も90年代の事業戦略の研究(「持続競争力調査」)において全く同じ結論に達しました。レオンハード教授は戦争における戦略理論の専門家です。直接的には経営や事業とは無関係です。戦争における戦略理論が経営や政治において応用できるのは、それが目的を達成するための組織間競争であるという点においてです。この意味で「ワンクッション」入れて読み込まねばなりません。しかし、重用な示唆を与えてくれます。今回、レオンハード教授は我々の寄稿依頼に心よく応じてくださいました。そして、機動戦略のエッセンスとも呼ぶべき論文を頂戴しました。さらに、日本人に分かるようにとのご配慮から、日露戦争時代の遼陽会戦における奥保鞏軍の動きを機動の戦史事例としてご自分の会戦図とともに援用されました。この戦史は、先の「坂の上の雲」や「機密日露戦史」などで読めることができます。

 この戦史は、私にとっては三重の意味で「複雑な感情」を齎しました。ひとつは、アメリカの戦史研究の深さへの驚嘆です。機動戦略の事例を得利寺の戦いの会戦図付きで即座に一民間学者が援用できるという情報条件が揃っていることの恐ろしさです。日本の防衛庁では、戦史研究は「近隣諸国」への配慮から暗黙に研究対象外とされていると聞きます。なんと言う情報差でしょう。もうひとつは、レオンハードが日本人に分かるように示した戦史が恐らく多くの日本人にはわからないであろうと言う口惜しさです。日露戦争は知っていても、得利寺の戦い、遼陽会戦、奉天会戦などわからないでしょうし、また戦略思考上の優位で勝ったなどとは「坂の上の雲」を読んだ読者でさえ理解されないでしょう。レオンハードは、あなた達日本人は、過去の戦史で立派に機動戦略を用いていたんですよ、と暗黙のうちに示唆してくれているのです。この戦略家の心遣いが多くの日本人にはわかりません。これに関連する三つ目の感動は、我々の近い先祖が、兵力において劣位にありながらも、戦略思考という知恵によって、日本の独立を守り、気概を持って戦ったという歴史を持っているということです。戦略思考で勝った歴史を持つという事実です。知恵と知識で勝てるという自信を思い起こさせてくれました。

 日露戦争においてアメリカは日本を支援してくれました。その記憶が現代のアメリカ人のものになっているという驚きもありました。レオンハード教授の知識の深さと日本人への心遣いに改めて感謝したいと思います。

 我々は、愚かな戦争をしないためにも日本人の身の丈にあった戦略思考を身に付けねばなりません。戦略思考なきエコノミストや学者のように「戦略がない」と言って自己満足し、グローバルなビジネス競争において敗退する訳にはいきません。グローバルな顧客ニーズを世界のどの競争相手よりも満たすことのできる事業や企業を創造していかねばなりません。戦争戦略の目的は戦争に勝つことではなく、平和を齎すことである、というレイモンアロンのクラウゼヴィッツ解釈を思い起こすべきでしょう。アメリカの経営戦略論のトレンドに乗るのではなく、少々迂回ですが、欧米の戦略理論の源泉から直接にもっと多くのものを学ばねばなりません。我々がレオンハード教授に寄稿を依頼し、皆さんにご紹介する理由です。「坂の上の雲」と併せてお読み頂き、我々の事例研究のなかで考えて頂ければ現代の戦略理論を経営とマーケティングの実務に生かせて頂けるものと思います。また、ネットで激しい生き残り競争を続けるベンチャー経営者にとって必読でしょう。それは「機動」の原則です。