認識のパラダイム

~いま企業は環境をどう捉えるべきなのか~

1987.06 代表 松田久一


01

企業の認識論

(1)なぜ認識論か

 企業活動を考えるとき、本当はしっかり議論として整理すべきなのに、時間がなくて等閑に付されてしまう領域がある。そんな領域のひとつが企業の認識論である。

 企業がどんな行動をとるにも、そこには必ず認識活動が介在している。企業の目的がその顧客に価値を創造することにあるなら1、その創造活動の中に必ず認識活動が含まれている。その活動が、マーケティングであろうが、物流であろうが、技術開発であろうが同じである。人間を通じた活動には必ず含まれる。企業の目に見えない資産と技術である。

 いま企業の認識活動を問題とするのは、つぎの理由からである。

  1. 認識空間の拡大
     認識手段が情報技術によって革新されている。企業内、企業間、企業・取引先間、企業・流通間、企業・顧客間が情報ネットワークによって結ばれている。もう一方でデータベース化が進行している。このことは認識のメディアとなる情報にふたつの異次元の革新をもたらす。ひとつは、情報のタイムラグの極限化であり、もうひとつは情報の高精細化である2。つまり、認識の対象となる時空連続体がほとんど無限に広がり、現代科学で認識できる1084という次元をもつようになるということである3
  2. 価値の源泉
     認識は対象を主体が了解するという形で理解されてきた。中世から近代への節目に、当時の知、すべてに疑問を抱き、人生の大半を諸国を歩くことですごしたデカルトの身体から得られた方法であった。すべてを自分の身体の寸法から考えていくという方法には現代にも充分通用する根底性がある4。しかし、問題は主体と客体の関係である。主体と客体は相互関係性、相互共犯性をもっているというのが現代の認識論の立場である5。科学史の研究は、このことを別の角度から切開してみせた。天動説と地動説、ニュートン力学と特殊相対性理論、科学の大きな転回は科学者集団のもつ認識の範例、パラダイムが大きな役割を果たしている、ということを明らかにした6。結局、これらのことを企業の認識活動に置き直してみると、企業およびその関連主体が客体的環境から情報を取り込むとき、そこには必ず主体と客体の関係、あるいは主体のもつパラダイムが関与している、ということになる。このいわば情報のフィルターを、N・ハンソンの用語を借りて、認識の「理論負荷性(theory-laden)」7と呼ぶ。
     企業活動のすべてに含まれる認識活動は理論負荷性をもっていると言い直すこともできる。
     顧客に創り出す価値の基盤が企業活動にあり、そのすべてに認識活動が浸透している。つまり、認識活動は忘れられてきた価値の源泉だといえる。

 情報技術革新によって認識空間が拡大し、一方で価値の源泉としての認識活動が重要になってきているのである。

[初出 1987.06 「創21」 プレジデント社]

【注釈】

  • 注1 M・E・ポーター/土岐他訳『競争優位の戦略』ダイヤモンド社
  • 注2 BUZZEL, "Marketing in an Electronic Age", HBS PRESS
  • 注3 E・ヤンツ/芹沢他訳『自己組織化する宇宙』工作舎
  • 注4 デカルト『方法序説』岩波文庫
  • 注5 M・メルロポンティ『知覚の現象学』みすず書房
  • 注6 T・クーン/中山茂訳『科学革命の構造』みすず書房
  • 注7 N・R・ハンソン/渡辺他訳『知覚の発見』上下、紀伊国屋書店