パワーネットマーケティング―売りの完結力

2005.09 代表 松田久一

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【読者からの声】

  • マスだけではうまくいかないことは理解していたが、その突破口がみえてきた
  • マス広告に頼らず、波及拡大できる点が興味深い
  • 心理へのアプローチがないと、商品が定着しない
  • 特定層を狙ってもニッチにならない方向が見えてきた
  • この原則を取り入れ、既存商品の育成につなげたい
  • 社長に新マーケティングを提案する必要があり、非常に参考になった

01

入門-どうしたら売れるか?

 どうしたら商品やサービスをより多く売ることができるか?

 レガシーなマーケティングの答えは、「売る」ことではなく「顧客ニーズを満たす」ことを目的に、良いもの(Product)を作って、安くして(Price)、どんどん宣伝して(Promotion)、多くの流通(Place)で扱ってもらえばよい、というものだ。従って、理念を別にすれば、売れない理由は、品質が良くない、価格が適切でない、プロモーションが十分でない、流通への配荷が弱いなどという四つの個別的な要因とそれらの複合になる。利益が出ないのは、当該商品サービスの売上が四つの価値創造に必要なコストを十分に上回れない、ということだ。しかし、このレガシーなマーケティングがもはや通用しないことは少々まともに売り方で悩んだ方ならわかるはずだ。

 18世紀後半のアメリカで誕生し、1950年代以降のマスメディアの発展を基礎とする大衆社会の成立のもとで、企業が提供する四つの機能とそのミックスによって価値を創造し、自社の商品サービスを売る体系としての構築されたレガシーなマーケティングが、現代の現実のなかで有効性を失っているようだ。まずは検証してみよう。

02

ヒット商品に学ぶ-売れる共通点

 どうしたら商品やサービスをより多く売ることができるか、成功の鍵を探してみたい。ヒット商品を分析してみた。売れたものがヒット商品である。2005年を基準時に、業界平均を上回る成果をあげたヒット商品を30事例選択しケーススタディを実施した。いくつか共通点を確認することができる(図表1)。

 第一は、「オタク」な商品サービスが多い、ということだ。30商品サービスを並べると、1983年の「いかにも一般大衆が喜びそうなアイデアですね」(サントリー樽生テレビCM)というキャッチフレーズが思い浮かぶ。「一般大衆」を「オタク」に置き換えてみると、「いかにもオタクが喜びそうな」ものばかりである。市場としては、大衆(マス)市場ではなく、小さくて専門的で品質に厳しい顧客にうけるものが多い。

 第二は、テレビCMを利用していない、ということだ。ある程度売れ始めてテレビCMを投下しているケースはあるがテレビCMに依存してヒットしているものはない。従って、「知られていないヒット商品」という皮肉な言い方ができる。「白凰堂の化粧筆」や羽田空港の「焼き鯖寿司」などはサクセスストーリーとしてよくメディアに取り上げられるがテレビCMなどはしていない。むしろ、知られていないことでテレビの情報系番組やニュースで取り上げられ、知られるようになったケースだ。

 第三は、探さないと買えない、ということだ。ヤマハの「歌うトランペット」が、どこで売っているか知っていますか? 一部を除いて、少なくともインターネットなどで検索し、一苦労しないとどこで入手できるかさえわからないものばかりだ。ビタミンに次ぐ大型薬剤と賞賛されるコエンザイムでヒットした資生堂の「Q10AA」も、資生堂商品だからどこでも手軽に入手できると思われがちだ。しかし、品質を維持するための取り扱い条件が設定され実際にはなかなか入手できない。現在ならどこでも買える『電車男』1も一般書店で書籍として入手できるようになるには随分時間がかかった。

 第四は、安くない、ということだ。30事例で低価格や大幅な値引きで売っているものはない。スーパーの豆腐(1丁)の値段が90円に対して、沖縄の「風に吹かれて豆腐屋ジョニー(380g)」2は300円である。代表的な事例である。

 現代のヒット商品の条件を四つあげるとすると、オタクな商品サービス、テレビCMを利用していない、探さないと買えない、安くない、ということだ。つまり、結論は、ヒット商品を生むにはレガシーなマーケティングをしないことである。

図表1.30のヒット商品
図表

03

市場の断片化

 レガシーな売り方が通用しないひとつの理由は市場が「断片化」しているからだ。

 マーケティングでは、市場はいくつかの顧客層やニーズによって特定されるセグメントによって構成されている、と想定する。この考えに従えば、1980年代に叫ばれた大衆(マス)市場の構造的な変化、「少衆化」「分衆化」とは、市場を構成するセグメントが価値観、趣味、年代や世代などで「水平的」に増えたということだった。1990年代以降は、市場を構成するセグメントが収入や資産条件などで格差が生まれ「垂直的」に増えたということだ。さらに、現代の市場の構造的な変化とは、放送と通信が融合することによって、顧客間を情報で結ぶメディアが一挙に多様化する過程にあり、セグメント間のつながりが失われたことである。

 市場の断片化とは、セグメント数が水平及び垂直に増え、結果としてセグメント数が乗数的に増え、しかも、セグメント間のつながりがない市場になるということだ。連携のない多数のタコ壷の集合のようなものだ。

 断片化市場で、良いものを作って、安くして、どんどん宣伝して、多くの流通で扱ってもらうというレガシーマーケティングを推進すればどうなるかは眼に見えている。

 良いものを作ろうとしても、セグメントによって良いものが違う。しかし、顧客に重点を置いたことがないので「顧客を絞りきれない」。ものづくりの品質で優劣は作れても、狙った顧客に価値を認めてもらえない、思い切って安くすれば固定客を減らし利益を失う、マス宣伝すればするほどよい口コミが減って悪口が増える、売る力のある取引先に重点が置けない、というのが売りの現場だ。

04

市場攻略のジレンマ

 レガシーマーケティングは現代の断片化市場では通用しない。他方で、ヒット商品に学ぶようなマーケティングが成功するだろうか。少数のオタクを狙い、マス広告をしないで、取引先を絞って、決して値引きをしない、というマーケティングだ。このマーケティングは典型的な顧客を増やせない独善的なマーケティングの共通項でもある。

 断片化された市場における矛盾、レガシーなマーケティングを追求すればシェアはジリ貧となり、否定すればひとりよがりのマーケティングに陥る。これが現代の市場戦略家の頭を悩ませている課題である。現実には、レガシーなマーケティングを微調整していくことがベスト選択になる。

 成功と失敗の要因がコインの裏と表のように共通であるということは、置かれた条件によって、要因の作用が異なり成功にも失敗にもなる、ということだ。同じ要因が、どんな条件のもとで、成功と失敗の分岐点を決定しているのだろうか。

 どんな市場でも、「口うるさくて」、「小難しい」、オタクな消費者で構成される規模の小さなセグメントがある。しかし、そのセグメントを無視して売上を増やしシェアを伸ばすことはできない。他方で、オタクにうける商品サービスを提供すれば数がさばけない上にコストが増えるばかりだ。「知られざるヒット商品」事例はこの矛盾をうまく突破した結果である。

 ヒット商品の波及経路を分析してみると、市場の特定セグメントに受け入れられた商品やサービスが、他のセグメントに、マス宣伝によって「外挿的」にではなく、口コミなどで自律的に波及していく、ということがわかる。つまり、小さなネットワークから他のネットワークへの拡大がある。売れない商品はひとつのタコ壷を抜け出ることができないが、売れる商品は他のタコ壷へと波及していく。ヒット商品と売れない商品との差は、受け入れられている波及の経路、すなわちネットワークが異なることである。

05

成功の分岐点はネットワークの差

図表2.市場とネットワーク
図表

 受け入れられたネットワークの違いが成功と失敗の分岐点であるならば、どのような違いがあるのだろうか。

 一般に、消費市場はネットワークの観点からいくつかに類型化することができる(図表2)。基準は、市場がいくつのネットワークによって構成されるか、ネットワークを構成する個人のリンク3の数、ネットワーク内での個人と個人の結びつきの程度などである。

 大衆(マス)市場では、市場はひとつのネットワークで構成され、個人のリンク数は少なく、ネットワーク内での個人と個人の結びつきは弱い。このネットワークの鍵は、主に、マス宣伝による商品サービス情報の共有である。分衆、少衆と呼ばれた多様化市場は、複数のネットワークで構成され、個人のリンク数は多く、ネットワーク内での個人と個人の結びつきは弱い。このネットワークの鍵も、主に、マス宣伝による商品サービス情報の共有である。断片化市場は、多数のネットワークで構成され、個人のリンク数は少なく、ネットワーク内での個人と個人の結びつきは強い。このネットワークの鍵は、インターネット等によって共有された専門的で高度な情報の共有である。つまり、オタクな結びつきである。

 ヒット商品は、明らかに、断片化市場に対応したネットワークに受け入れられている。受容初期の段階では、小さいオタクなネットワークに強固に受け入れられ、複数のネットワークに所属する個人によって、次第に他の複数のネットワークに「ベキ乗」(Powered)4に波及し広がると考えられる。このことによって、商品やサービスの市場性の狭さと売上規模の矛盾を突破している。つまり、「知られざるヒット商品」を誕生させているのである。つまり、事例研究から帰納的に推論される仮説は、理論的及び実証的な検証を必要とするが、オタクを狙うことが成功要因になるのも、失敗要因になるのも、オタクのネットワークの性格に依存している、ということだ。ネットワークの規模が同じように小さくても、他のネットワークにどんどん波及していくものがある。こうした性格を持つネットワークがある。市場を構成するいくつかのネットワークを識別し、波及力のあるネットワークを探し出すことができれば、現代の市場攻略の矛盾をブレイクスルーできる。

06

「現代」という条件のもとでどうしたら売れるか?

 原理的な答えは、ネットワークの創造である。つまり、[1]市場を構成する消費者が形成するネットワークを識別し、[2]波及効果のあるネットワークを創造し、[3]自社商品サービスが受容される条件を整え、[4]ネットワークの自律的な他のネットワークへの波及力を促進することである。

 この原理は、レガシーなマーケティングとの対照で売りの実務家に重要な視点転換を要求する。

 それは、市場は、消費者個人の集合ではなく個人間の関係であるということだ。レガシーなマーケティングは、市場は個人の集まりであり、個人の頭のなかに商品サービスの認知空間があり、マスメディアを通じて変更できると想定している。従って、すべてのマーケティングのアプローチは個人が基礎になる。現代のヒット商品の教訓は、市場は消費者間が結ぶネットワークであり、マスメディアは、消費者の結びつき方のひとつに過ぎないということを教えている。現代の消費者説得に必要なのは、ネットワークのなかでの消費者による消費者の説得であり、すべてのマーケティングアプローチはネットワークをベースにする必要がある。この意味で、現代のマーケティングの本質は、消費者間のネットワーク化、すなわち、市場を創造すること、つまり、市場化そのものであると言える(Marketing is Networking)。

 現代の売りの原理にもとづくマーケティングを、ベキ乗的なネットワーク(Powered Network)を活用するという意味で、レガシーなマーケティングに代わって、「パワーネットマーケティング」(Power-net Marketing)と呼ぶことにする。この原理を実際に応用するには、個々の売りの現場で、消費者からみればそれぞれの買いの現場で、売りの彼岸である買いへと飛躍させる活動、すなわち、売りの完結が必要になる。売りの現場での完結力がなければ原理は作用しない。具体的なマーケティングデザインのガイドとなる時代背景と経験的な原則をまとめてみる。

07

ディスコミュニケーション時代

 我々はディスコミュニケーション(相互不通)の時代に生きている。この過剰な情報化時代に、個人間の相互不通がむしろ拡大している。

 笑い噺をひとつ。若い世代の医者が、検査データをもとに診察時に「ヤバイ」ですよ、と言えば「よい」という意味だ。しかし、その上の世代には「ヤバイ」は「よくない」だ。患者はがっかりする。ふだんの会話なら冗談ですむが、「2時間待ちの10分医療」の現場だと笑えない。同じ「ヤバイ」という言葉が世代でまったく反対の意味を持つようになっている。変化が遅い言葉さえ世代で意味が共有できなくなっている。

 コミュニケーションは、言葉の背景について体験的な情報共有と親子関係を主とする世代的に継承されたコードによって成り立っている。ラジオ、テレビ、カラーテレビ、ゲーム、アナログ携帯、液晶テレビと共有体験を創造するメディアが変化し、文化コードの世代継承の場である家庭も「孤人化」が進んでいる。

 みんなが「タコ壺」に住み、それぞれの「隠語」を喋り、異なる「種族文化」を持つ、ディスコミュニケーション時代に生きているという認識が必要だ。

 落語が生まれたのは江戸時代だ。みんなが知っているネタを話芸だけで笑わせるのだ。「ていしたもんだ」。漫才ブーム、落語ブームが到来し、「オヤジ」がギャグを連発し社内で顰蹙を買う現代と共通点がある。オヤジとしては何を考えているのかわからない若いOLに、愛嬌を振りまいているだけだ。黙っていれば、「コイー」と陰口をたたかれ、ギャグを言えば「ツマラナイ」と横を向かれる。江戸時代も現代も人間関係の潤滑油としてのお笑いを必要としている。ディスコミュニケーションの時代だからだ。江戸時代、江戸の人口は100万人である。武士50万人、町人50万人が諸国から集まり、食い詰めた人々が江戸に流れ込み、130万人に膨れ上がったと言われている。彼らが標準語もなく喋るのだから通じる訳がない。江戸はみんなが喧嘩をしているようだと言われたのは大声で喋らないと通じない事情があったからだ。お笑いが、落語が必要だった。

08

ブロードバンド化によるメディアの多様化

 インターネットのブロードバンド化と通信と放送の融合がディスコミュニケーションに拍車をかけている。コミュニケーションの技術的なあるいは制度規制の問題として、レガシーマーケティングが前提としているマスコミの影響力と役割が根本的に変化せざるを得ない、ということだ。

 公共電波の利用を一定の条件のもとで政府認可を受け、スポンサーに広告枠を提供することによって対価を得て、コンテンツ制作と運営コストの原資にして、電波を通じて、不特定多数に無料で放送する。テレビ局を中心とするビジネスモデルが大きく変わろうとしている。

 このビジネスモデルが大きく変化せざるを得ない要因は主にふたつである。ひとつは、技術的な問題であり、デジタル技術の進歩によって放送と通信の技術の差がほとんどなくなったことだ。地上波テレビ、ケーブルテレビ、ラジオ、携帯電話、無線LANなどの違いは、単なる電磁波、光、メタル、同軸などのケーブルの違いに過ぎなくなり、人気のテレビ番組などが、放送規制や著作権処理問題によって地上波だけに限定されることが不合理になり、規制緩和が進んでいることである。放送、通信、インターネット、コンテンツ業界の関連する四つの業界が、規制ではなく、消費者への付加価値サービスを提供するという観点から再編され始めている。2006年に導入される携帯電話での「ワンセグ放送」5を利用したテレビ視聴は、再編への大きな契機になろうとしている。ふたつめは、業界の再編を根底から促進しているのが、消費者の視聴行動の多様化である。消費者から見れば好きな時に好きな所でコンテンツを楽しみたいに決まっている。現在では満たされないこの基本的な視聴ニーズが再編の根本的なエネルギーである。

 消費者変化としても、技術的にも、コミュニケーションのグローバル化、24時間化が進む。結果として、視聴チャンネルなどのコンテンツが多様化しただけでなく、楽しむメディアが膨大に多様化していく。より多くの人とのコミュニケーションを求めて生まれたマスメディアの帰結が、対立的なディスコミュニケーション時代をもたらしている。

09

テレビCMの減価

 レガシーなマーケティングは、マスメディア、特に、テレビCMを通じて、消費者個人の心理に影響を与えることができる、ということを前提にしてきた。なかでも、消費者の心には何らかの商品を識別するマップのようなものがあって、個々のブランドはポジショニングされているという考えがある。このポジショニングに変更を加えることによって商品サービスをより強くできるというアイデアだ。ポジショニングを捉える測定技術とイメージ操作の技術がレガシーマーケティングの最高峰のスキルと技術であった、と言っても過言ではない。だが今となっては、実務家の間では、マスメディア、マス広告、テレビCMによるイメージ訴求を偏重し、売りを創るという手法は、1970~80年代のアメリカの市場環境で育まれたローカルな体系に過ぎないことが気づかれている。直営店をベースに販売員のセールストークでブランドを創造してきたヨーロッパのブランド、会社名を看板に背負い営業と系列店で組織的な信頼基盤をベースに築いてきた日本のブランドが例証している。

 ディスコミュニケーションの時代、企業にとっては、テレビCMを通じたイメージ訴求という手法が限られたものとしてしか活用できない。多くの人々が共通の擬似体験としてテレビCMを視聴し、心に共通の商品ポジショニングを持つことは不可能になるだろう。少なくとも、15-30秒という限られた時間で、テレビCMを見たくない人に嫌われずに、自社の商品ブランドを訴求するクリエイティブは不可能に近い。無料コンテンツを楽しむ代わりにCMを見る時間を対価として支払うモデルを受け入れる消費者は多数派ではなくなってくる。

 マスメディアでは消費者とコミュニケーションできない時代が来た。マーケティングの消費者説得の技術としてみれば、マスコミ依存のプロモーションでは売りの説得はできないということだ。

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価格勝負で固定客を失う悪循環

 売るために陥りやすい罠がある。一度の失敗は成功の元だが、悪循環に陥るともはや病だ。陥ってはいけない悪循環がふたつある。ひとつは、「価格で勝負して固定客を失う」悪循環である。売上やシェアを思い切ってあげようとすると「低価格戦略」が手っ取り早い。しかし、価格競争で生き残れるのはもっとも低コスト地位につけるトップシェア企業だけだ。しかも、生き残った企業の利益はゼロだ。この原理は、たとえば、「ベルトラン競争」6などの内容で、経済学で原理的に証明されている。つまり、一度、価格競争に走れば生き残って利益ゼロまで突き進むしかない。実際には、低価格化は顧客の構成を変えてしまう。市場には、安ければ何でもよいという顧客が約30%いる。この層が低価格戦略をとると自社顧客の大半を占めるようになる。他社が価格を下げるとこの層はすぐ逃げる。この層を再び得ようとすると、価格にしか反応しないので品質を下げてでも価格を下げるしかない。すると、これまでの品質に満足していた固定層が減少し、さらに値下げ要求が強まることになる。このように、一度、低価格競争を始めると、競争をやめられないだけでなく、固定客を失うことになる。価格で勝負して固定客を失う悪循環に陥るな。現代マーケティングをデザインする上でのひとつの教訓だ。

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価値勝負で新しい顧客を失う悪循環

 もうひとつ陥ってはいけないのが、「価値で勝負して新しい顧客を失う」悪循環である。価格競争に走る体質を持つ企業がある一方で、価値で勝負を名目に高コスト体質が改められず新しい顧客が増えない企業がある。企業が差別的な価値を提供するのは競争の原理であり、オンリーワンになれればそれにこしたことはない。しかし、実際には必ず代替的な競合商品がある。ブランドスイッチが生まれるのは約30%の価格差からである。ただし愛用固定層は30%以上の価格差があってもブランドスイッチをしない。この層を維持すれば経営は当面はなんとか維持できる。従って、どんどんコスト競争力を失い、コスト意識が薄れ、現在の固定層以外は関心を向けてくれなくなる。長期には固定層は世代交代によって減少していくので、さらに、企業は固定層だけに固執することになる。つまり、価値で勝負を合言葉に新しい顧客を得る努力を怠り、長期には顧客を徐々に失っていることになる。

 価値で勝負して新しい顧客を失う悪循環に陥るな。現代マーケティングをデザインする上でのもうひとつの教訓だ。

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マーケティングデザインのためのヘキサゴン

図表3.マーケティング原則のヘキサゴン
図表

 ディスコミュニケーション時代の認識を背景に、価格競争に走って固定客を失わず、価値競争に拘って新しい顧客を失わず、どうすれば顧客を増やすことができるのか。我々のマーケティングコンセプトの提案の歴史、近年のヒット商品の分析から得た教訓、日本の消費財メーカーの戦略動向、消費者調査をベースにした消費動向研究の分析等を総合すると六つの原則にまとめることができる(図表3)。

 ここで整理する原則とは、経験科学の法則観であり、実際に現場でマーケティング戦略をデザインする上で参照すべきルールということである。もちろん、「万有引力の法則」のような例外のない法則ではないので、例外もあるが参考にすべきことである。

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原則1 お洒落なオタクを追え

 時代のトレンドを読んで、自社の商品やサービスを流れにのせれば売上は自然に増えると言っても過言ではない。マーケティングの仕事の半分は消費トレンドを読むことだと言ってもいい。「お洒落なオタク」が現在の消費トレンドだ。

 1980年代に、カタログ雑誌と呼ばれた「ポパイ」7「ホットドッグ」8の読者層であり、80年代後半のバブル期の黄金の消費体験を経て、90年代前半にバブル崩壊を経験した断層世代、新人類世代の現在の40代の男性層が、「失われた10年」をなんとか乗り切り、景気回復を背景に消費牽引層となって登場している。「大型液晶テレビ」、「一眼レフカメラ」、「電子楽器」、「伊勢丹メンズ館」、雑誌「レオン」9などに大きな影響力を持っている層である。

 これらの世代は、バブル崩壊による住宅資産の減損も最小限で免れ、会社での雇用もなんとか確保し、支払い分以上にギリギリ年金給付も得られ、子どもの手離れも進み、時間と収入に余裕を持っている。日本でもっとも余裕のある世代である。次の世代は、バブル崩壊しか知らない「団塊ジュニア」世代であり、さらに、華やかなバブルもバブル崩壊も知らない「バブル未体験」世代である。

 カタログ雑誌を20代に読み漁り、バブル消費も経験した世代が、時間とお金の余裕ができて向かう消費の方向は何か。目指すのは、「往生際の悪い中年」であり、「お洒落なビル・ゲイツ」であり、バブルで膨らみ崩壊後達成できなかった夢の実現であり、好きなモノしか身近に寄せ付けない「生活の趣味化」である。このふたつの世代が多分に「オタク」との親和性を持つのは、中年になっても求めて求め得られない「やさしい母」に固着し、追い求める最後の「マザコン」世代だからである。

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原則2 特定層に仕える

 誰にでも受け入れられる商品を作ろうとすれば、誰も欲しくない商品サービスになる。徹底して特定の層、逆に言えばマス・マーケットにならない特定の層を狙っていくことが必要だ。それぞれのマーケットの中に存在する、そのマーケットをリードしているオタクといわれている層をターゲットにし、その人達にピタッと合う商品を作り出すことが非常に大事だ。

 実はこうしたマーケティングは、個性的なブランドを作り出したバーバリーやルイ・ヴィトンが採った戦略でもある。このことが現在、もう一度問われているということでもある。

 バーバリーの初期受容者は、イギリスのホームドクター制で各家庭を往診する仕事を担った医者である。昼夜や天候を問わず、往診しなければいけない厳しい仕事に耐えうるコートを作っていたのが、バーバリーである。天候の悪いロンドンの医者に固定愛用されているバーバリーということが、バーバリーの品質を保証し続けてきた意味である。

 高級ブランドで知られるエルメス、ルイ・ヴィトンも同じことが言える。フランス革命以後、王制が崩壊し、市民向けにビジネスを始めるしか生き残る方法がなかった、馬具等を作っていた職人集団が、高級ブランドビジネスの起源であり、コルベール委員会などで政府も保護し育成してきた。

 ルイ・ヴィトンの初期の主要顧客はヨーロッパの演奏家だったと言われている。演奏家にとって命とも言える楽器、しかも、その形状は楽器によって極めて多様だ。そして、過酷な条件のもとで演奏を続けねばならない。鞄に要求されるのは多様で、頑丈で、高い耐久性があり、対衝撃性があり、しかも、可動性が高くなければならない。この演奏家の鞄へのニーズに対応することができたのが、ルイ・ヴィトンである。長年、ヨーロッパの演奏家との間でそういう鞄を作る技術を培ってきたことがルイ・ヴィトンというものが持つ品質を示している。

 特定層、しかも、極めて高度で難しいニーズを持っている層に仕えることが、差別的な価値を提供することを可能にし、技術の蓄積に結びつくのである。現代のヒット商品の事例にオタクに評価される商品サービスが多いのもこの原則の有効性を例証している。

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原則3 深く心に迫る

 深く心に迫るものづくりをするということだ。単に受け入れられるのではなく、深く入ることが重要である。深く入ることによって、信者が生まれ、その信者が伝道師となり、「顧客が顧客を説得する」構造が生まれる。これは根強い人気を誇るマッキントシュが好事例である。直感志向のクリエイティブを志向するマックファンが伝道師となって新たなクリエイティブコンプレックスを持つマックファンを作り出している。

 深く入るためには、消費者の心と商品の結びつきが必要になる。強い絆で結びつけていくことが非常に大事になる。強い絆を結びつけるのは、単に合理的に、こちらの方が得だから買って頂くということではない。合理性を超えたブランドへの強烈な拘りである。

 子供時代に強烈に固執したおもちゃや人形等があった体験を多くの消費者が持つ。しかし、大人になってなぜあんなに拘ったのかまったくわからないケースが多い。こうした特定商品サービスへの拘りを創造することが、深く心に迫る、心理学的な動機づけということだ。このような拘りの要因、動機づけの方法論等は科学的にも十分説明できる状況にはない。

 我々は、このうちのいくつかはフロイト理論の「不安-防衛機制」10を使ったアプローチで捉えていけると考えている。

 例えば、シャープの45インチの「AQUOS-GD1」は、薄型で、大画面で、高画質の番組が楽しめるという合理的な理由があることは言うまでもない。しかし、1インチ当たりの値段を考慮すると、ブラウン管、プラズマ、リアプロ等よりもパフォーマンスが優れているとは必ずしも言えない。むしろ、顧客の潜在的な欲望が実現できない不安を、シャープの「AQUOS」ブランドに「投映」していると解釈する方が合理的である。その投映されている欲望とは、「亀山工場」でビジネスマンに広く知られる「世界一の液晶技術」、「先端のデジタル技術」、「日本のものづくり復権」などのイメージである。先端、先進で居続けたい中年男性の潜在的な欲望をシャープの液晶テレビが捉えているのである。

 ソニーの46インチなどの大型液晶テレビ「WEGA」は、サムスン製の液晶パネルを採用し、テレビのアセンブルとソフトウェアはソニーという極めて合理的な組み合わせで、画質の好みによってはシャープと十分に対抗できるものだ。しかし値段の高さと品質以上に評判がよくないのは、ソニーの大型液晶テレビには決定的に欠けているものがあるからである。それは、先端、先進、先頭で居続けたい中年男性の潜在的な欲望を投映できないことだ。

 これはヨットの購入動機が「海へのロマンや憧れ」であって大きさやスピードでないのと同じことだ。ヨットを買う顧客は、「フネ」を買っているのではなく「海のロマン」を買っているのだ。同じように、女性にとっての「白鳳堂の化粧筆」は、加齢や化粧スキルへの不安を、プロやあこがれの人と同一化することによって解消しようとする防衛機制として解釈できる。

 深く心に迫る。その迫り方は、理論的にはいくつかの基本パターンがあり、事例の解釈を積み上げることによって、売りの現場で応用できる深く心に迫るアプローチができる(図表4)。

図表4.受容心理の類型
図表

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原則4 F×3ネットワークを活用せよ

図表5.「友達の友達は友達」のネットワーク
図表

 現代にマス広告によって消費者に商品情報を伝えようとするのは、効率が悪いというよりも、水をザルですくうようなものだ。マス広告をすればするほど、口コミで悪い情報が流される。マス広告で有効なのは情報系番組とニュースだけだ。「F×3ネットワーク」を活用せよ、が現代のマーケティングの原則だ。

 「友達(Friend)の友達は友達だ」(F×3と記述する)という人がどれぐらいの比率でいるかを測定すれば、そのネットワークの「タコ壷度」、すなわち、「世間の狭さ」がわかる。こうしたネットワークを数量的に捉える方法と特性研究が、複雑系のネットワーク研究によって進んでいる。よく知られている事実だが、世間は予想以上に狭いようだ。友達を伝って6人経由すれば、約63億の誰とでもつながっているということが実証されている(6 degrees11などのアイデアで知られる)。大体、この仮説は検証されている。あなたは、日本の小泉首相、アメリカのブッシュ大統領など誰とでも友達を6人経由すればつながっている。従って、郵便を出さなくても確実に手渡しできる(図表5)。

 顧客が増えていくことにより、顧客が顧客に影響を与えていくメカニズムがある。ひとりの顧客をその商品サービスの「信者」にすることができれば、その人は約63億のどんな人ともつながっているのである。ヒット商品事例では、三才ブックスの『萌える英単語』や中野独人の『電車男』が好事例である。

 『電車男』は掲示板12段階では一部の人のものだった。しかし、掲示板に参加した人達が信者になることによって、次第に読者層が増えていった。さらに、出版を契機に、マスコミの取材対象となり、「話題だから」「みんなが読むから」読む一般的な層へと拡大した。

 オタクなコンテンツがマスへと拡大したのは、マスコミが取り上げたからではなく、オタク的なネタが、特定層をひきつけ、特定の読み手が書き手となり、参加性が関与を高め、信者となった読み手が友達の友達を経由して面白さが、確実に手渡しされて広がったのである。今年、流行ったユニチャームの「超立体マスク」13、別名、「天狗マスク」も奇抜なデザインが話題性を呼ぶとともに、優れた機能性がF×3ネットワークを通じて確実に広がった。

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原則5 スーパースポットを見つけ出す

 「現代」は、消費者説得に圧倒的な影響力を持つ「超現場」(「スーパースポット」)とでも呼べるような店、場所やエリア、サイトなどが存在する。

 新刊書籍なら近所の本屋さんがもっとも影響力のあるスポットだった。読書家には、長い間、「神田」はスーパースポットだった。大型書店と古本屋街が圧倒的な規模と品揃えを誇っていた。神田に行けば探索本が見つかり、なければないということだった。

 しかし、現代はまったく変わった。週刊誌、雑誌、気楽な本はコンビニ商品となり、少々、専門的な新刊や本になれば、30万冊を品揃えするネット書店の「アマゾン」、「bk1」がある。実際に、装丁を確認したり、本を手にとったりして探索を楽しみたいなら、10万冊、20万冊の品揃えをする書店が丸の内、池袋、渋谷等にある。日本中の古本屋をカバーする古書の「日本の古本屋」や「スーパー源氏」などのウェッブサイトもある。

 どの市場でも消費者の購買に影響を与えるスポットが多様化していると同時に超大型化している。この傾向は、インターネットの時代と共に始まった。30万冊という本を品揃えしている「アマゾン」が登場した。それと同時に10万冊、20万冊の品揃えをする本屋が日本で登場する。「ジュンク堂」、「ブックファースト」、「丸の内の丸善」などの巨大書店だ。ネット上の仮想の書店でしかなかったものが、現実に登場した。

 このことによって、消費者に影響を与えるスポットが「正規分布」に従っていたものが、影響力の格差が一挙に広がり、「ベキ分布」14になった。つまり、消費者の購買行動に影響を与えるスポット数の約20%でほぼ70~80%以上の影響力をカバーするようになったということだ。ウラハラ(「裏原」)15は、日本中の都市型若者市場に影響を与えるスーパースポットだ。中年男性のファッションに影響を与えているのは、「伊勢丹メンズ館」であり、主婦と生活社の雑誌「レオン」だろう。ヒット商品事例でみると、ニコンの「D70」やシャープ「AQUOS」は、秋葉原よりも新宿西口のヨドバシカメラやビックカメラの売り場がこのスーパースポットである。世界で有数の大型テレビの売り場がある。面積では中国など他所に劣るかもしれないが、品揃えの幅と深さでは、世界の10大情報家電メーカーを揃えている日本ならではのものがある。このスポットには、テレビCMレベルで提供できる情報量を圧倒的に超えた情報量がある。『電車男』や「玄人志向」16もスーパースポット・秋葉原が活用されている。『NANA』17も、池袋プリンスホテルの裏の通りのコミケロードである「乙女ロード」18や秋葉原辺りがコミックの巨大集積、スーパースポットとして機能していると分析できる。

 自社の商品サービスの購買に影響を与えるスポットは、リアルでもネット上でも無数に増えている、他方で、影響力は極度な集中化が進んでいる。その影響力を持つスーパースポットを探索し、押さえ、情報拠点化することが重要である。

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原則6 勢いづくり

 組織的に売るという共同アクションは、組織内部的にはキャンペーンであり、目標に向かって変化し続ける運動である。目標に向かって社員が連携している過程を断面で切ったものが静的な組織であり、勢いとして捉えたものが運動である。

 売れるのも、売れないのも、結局は勢いである、と言える。戦略のツメが少々甘くても勢いでカバーできるものだ。勢いづくりがマーケティングをデザインする原則である。

 しかし、多くの組織は運動がストップし動かない。威勢のいい魚屋は気持ちがいいが、会社に、「眼の前のお客さまを見ずに上ばかり見て仕事をしているひらめ社員」や「暗いところで育って周りが見えない深海魚」ばかりで、上司が「タコ」では売る前にお客さんが逃げていく。

 「いらっしゃい」と勢いを作り出すのはリーダーのスローガンではない。人々の心を動かすものは、自社だけの神話であり、物語を創出することである。

 例えば、「ものづくり」の物語である。研究者の悪戦苦闘であり、殴られて培ってきた職人芸であり、世界のお客さまをおもてなし続けた販売の現場であり、ただの量産品を精魂込めて作り出す製造技術者の物語である。そして、世の中に役に立つ技能者、技術者、セールスマンを育成したひとづくりである。

 このような「ものづくり」を物語れる商品サービスが売れている。従業員が、同じ物語を共通体験として共有することによって、従業員の参画意識が生まれ、組織を越えた調整が可能となるからだ。

 つまり、組織内部の売れない要因は、消費者に価値を提供するのに必要な研究、製造、販売が連携できていないことにある。それぞれの個別機能を担う部門が自立的に統合されず機械的に調整されるので必ず不具合が生じる。優れた組織は組織間のすり合わせによって不具合を修正できるが、通常はできないことが多い。現場調整が必要な課題を、目標、上司とチームの異なる権限のない社員同士で調整しなければならないからだ。しかし、部門やチームを越えて共有できる物語があれば調整が可能となる。性、年齢、世代の違う人が、同じドラマを見る共通体験をすることによって、同じ反応を示すのと同様だ。ふだんはできない調整ができるようになる。組織に勢いを作り出すには、みんなが参加できるものづくりのような神話がデザインされる必要がある。

19

ものづくりで売れる理由

 なぜ、ものづくり物語を持った組織が売れるのか。NHK「プロジェクトX」のように「懐かしい過去」を振り返っていては前に進めない。ものづくりの優劣が売れるか、売れないかを決める、と考える人が多い。現代ビジネスマンの大衆的な心情だ。しかし、実際はものづくりの物語があることによって、組織に勢いが生まれ、勢いが売る力を生み出しているのである。ものづくりの優劣が売りの差を生んでいるのではない。ものづくりの神話だ。ものづくりに多くのビジネスマンが共感するのは、企業の経営者が、従業員が共有できるビジョンを提示できない反動であるとともに、この十年間に破壊された、長期雇用をベースにした日本的経営の破壊への心情的な反発があることも確かだ。

 しかし、それ以上にものづくりに共感し拘る背景には確かな歴史がある。日本人が明治以降の近代化をなしとげる上での仕事の作法が「ものづくり」であり続けたからだ。

 明治時代、日本がヨーロッパ列強に伍して、アジアで最初に近代化を達成することができたのは並大抵のことではない。他のアジア諸国に比して、人への信頼感、公益心などに関る倫理、道徳、宗教などが深く関っていることは確かだが未だに定説がない。しかし、資本主義発展に不可欠な産業資本、つまり、製造業の成立に必要な労働力を明治日本は容易に大量に確保することができたことが大きかったことは言うまでもない。ものづくりに必要な手と目の機敏さ、道具や原料への関心、器械の調子の善し悪しを調整する能力を身につけた人々が多くいたのである。C.スミスは、こうした労働力の準備があったことが、いち早く日本が近代化できた理由のひとつであると指摘している。さらに、実際にそれを準備したのは、米づくりを中心とする農村であり、農村工業の発達であり、「近代日本の農村的起源」だったと分析している19

 「イネと対話できるようになったら一人前」と言われるほど丁寧で緻密な米づくり、その仕事のスタイルと伝統を受け継ぎ、近代化を成功に導いたものがものづくりである。さらに、斉藤修は、このものづくりに、江戸時代の都市江戸で生まれた長期雇用慣行が日本的経営の淵源であり、江戸時代の農村的起源と都市的起源によって、近代日本のものづくり・ひとづくりの経営スタイルが生まれた、と分析している20

 人々を感動させるものづくりをし、ものづくりの忍耐と努力によってひとづくりをし、ひとによってものづくりのイノベーションが達成されひとが花を咲かせる。ものづくり・ひとづくりが、姿を変えて、何度も、歴史のなかで繰り返され神話を形成している。

 エジソンを創業者に持つGEが、低収益の製造事業を数多く手放し、新しい金融などのサービス事業を買収していく、パソコンビジネスの生みの親であるIBMが低収益といえども自社が育てたパソコン事業を中国企業レノボに売却する、これは経営としてまったく常識的で合理的な多角化戦略である。しかし、こうした買収合併戦略が、「ライブドア騒動」に見られるように日本では評判がよくないことは周知である。その背景には、ものづくりへの日本人と日本的企業の強い拘りがあるからだ。

20

百年目の答え-どうしたら売れるか?

 どうしたら売れるか、売れないことに悩み続け、顧客を減らせば涙し、顧客を増やすことに執念を燃やし続け、探しても見つからない答えを探し続けることがマーケティングの精神である。ほんとうの答えはどこにあるのか? ものづくりが神話ならもうひとつの売りの神話がある。

 売りを考えずに、お客さんの喜びを追求する、が売るためのほんとうの答えだ。

 マーケティングは、19世紀後半に、アメリカ中西部の商人達の日常用語として生まれた。彼らは、鉄道や車のない時代にミシガン湖の汽船を利用して、どうしたら売れるのかを必死で考えたに違いない。やがて彼らの口々から「マーケティング」が動詞として利用され、ついに「名詞」として利用され始めた。この時に、マーケティングは誕生した。この言葉は、なぜ、日本に生まれなかったのだろうか? 日本ではないにしても、少なくとも当時の先進国であるイギリスやフランスでなぜ生まれなかったのだろうか?

 その理由は何なのか。当時のアメリカは、鉄道が未発達な上に卸流通はヨーロッパに近い東海岸に限定されていた。製造業の商品サービスを売る商人達は卸流通に依存するだけでは西部まで広がる広大な市場をカバーできなかったのである。しかも、拠点のある地域でも、保守的な卸商人や卸と結びついた小売商は彼らの思い通りには動いてくれなかった。悩みぬいた製造業の商人達が考えたのが、中間流通を飛び越して最終消費者に直接売り込む方法、すなわちマーケティングだった。何よりもマーケティングが生み出す価値を評価したのは消費者だった。

 つまり、この時代のアメリカの土着性からしか生まれなかった発想だった。イギリス、フランス、そして日本にはすでに卸流通をベースとする商業が発達し、卸流通を利用すればよかったからだ。

 マーケティングはアメリカの製造業の商人達の売る悩みから生まれ、アメリカの消費者が支持して育まれた。やがて大学でマーケティングが教えられるようになり、ペンシルバニア大学で最初に名詞として使われた「マーケティング」講座が開設されたのは1905年である21。マーケティング誕生から百年目の日本での答えは何か。どうしたら売れるのかを考えずに、お客さんの喜びを追求する、である。

[2005.09 MNEXT]

【注釈】

  • 注1 2ちゃんねるの掲示板で実際に交わされた独身男性の恋の相談と掲示板住人達の励ましや助言のスレッド(書き込み)をそのまま書籍にしたもの。
  • 注2 三和豆友食品「男前豆腐」(図表1参照)のシリーズ商品。
  • 注3 人と人(または集団、メディア)を結ぶ「手」の数を指す。グラフ理論では、「次数(k)」と呼び、「頂点(v)から出ている枝の数」と定義している。増田・今野(2005)参照。
  • 注4 ベキ乗とは例えば32=9、33=27のように表現され、一般的には「Nのベキ乗は、Nを数回掛け算して得られる数」である。ベキ乗に従うと、加速度的に数値が増加(または減少)していく性質を持つ(例:y=3xのグラフで、x>0の時は増加、x<0の時は減少する)。
  • 注5 地上デジタル放送(2003年12月より関東・中京・近畿の三大都市圏から先行スタート)の電波の一部を利用して、携帯端末向けに番組を放送する仕組みである。現在でも携帯電話の一部で既存のアナログ放送を受信できるが、いわゆる「ケータイ」向けにはつくられていないため、字幕や画面サイズが最適化されておらず、ユーザーにとっては見づらいという欠点がある。
  • 注6 「価格を選択変数とする寡占競争」のことを指す。また、寡占とは「市場に数社しか供給者が存在しない状態」を意味する。
  • 注7 「POPEYE」平凡出版(現・マガジンハウス)より1976年6月創刊。サブタイトルはMagazine for City Boys。アメリカ西海岸のスタイルを初めて日本に紹介。1980~90年代の若者のファッション、サブカルチャー、ライフスタイルのリーダー的雑誌だった。現在は20代前半の若者のファッション雑誌となっている。
  • 注8 「Hot-Dog PRESS」講談社より1979年創刊。男子大学生をターゲットに、クリスマスやバレンタインデーなどの若者デート文化に大きな影響を与えた。2004年12月に休刊。
  • 注9 「LEON」主婦と生活社より2001年9月創刊。コンセプトは大人のクオリティライフ実用誌。中年男性向けの文房具、車、AV機器、ファッション等昔はオタクでなければ知られていなかったような商品も多数掲載され、2005年5月号は1.6㎏というボリューム。
  • 注10 不安-防衛機制とは「主として自我が、エスと超自我の葛藤にもとづく不安を防衛しようとする自我の消極的な面での働き」(北見・佐藤(1964)p.90)である。ここでエスとは「主に性的欲動と攻撃性のふたつの本能衝動で成り立ち、快楽追求的『~したい』とするいわば『欲望』」であり、超自我とは「規律、規則、道徳観など親の価値基準が内在化され、エスの性衝動や攻撃性を罰するいわば『良心』」である。この機制にはいくつかのタイプがある。図表4参照。
  • 注11 1967年、世界の誰とでも6人でつながることを「6次の隔たり」として発見したのがハーバード大学教授(当時)のミルグラムである。彼はこの実証研究を行ったが不備も多かった。それをより厳密に実証したのがワッツらの1997年の実験である。これは俳優のケビン・ベーコンと直接・間接的に共演したことがある人の次数を「ベーコン数」とする(例えばベーコン数1=彼と直接共演、ベーコン数2=ベーコン数1の人と共演...)と、映画ネットワーク(1回以上映画に出演した人たちによって構成)の約50万人の役者はベーコン数4で約90%の役者を、ベーコン数6ではほぼ100%の役者をカバーしており、「自分から6人たどるとネットワーク内の殆ど全ての人をカバーする」ことをミルグラムの実験から30年後にあらためて証明した。ワッツ(2004)、バラバシ(2002)参照。
  • 注12 2ちゃんねるの掲示板。
  • 注13 図表1参照。
図表X 正規分布に従うネットワーク
(スモールワールドネットワーク)
図表
図表Y べき法則に従うネットワーク
(スケールフリーネットワーク)
図表
  • 注14 まずグラフ理論における「正規分布に従う」とは脚注の図表Xにもあるように、「大半のノードはほぼ同数のリンクを持ち、非常に多くのリンクを持つ頂点がない」分布を示す。「ベキ分布に従う」とは、「大半の頂点がごく少数のリンクしか持たないのに対して、少数の頂点が莫大なリンクを持つ」分布(図表Y)である。
    さて、「消費者に影響を与えるスポットが「正規分布」「ベキ分布」に従う」をグラフ理論の文脈で論じる。スポットのひとつ一つが頂点(v)であり、この頂点が持つ枝の数がリンク=次数(k)である。ここではスポットに消費者が集まることで、消費者はこのスポットで情報を入手=スポットが消費者の消費行動に影響を与える、と想定している。従って、スポットが影響力を持つということは、スポットが数多くの情報を入手、つまりたくさんのリンク=次数を持つことを意味する。
    これらの議論から、これまではスポットのもつ情報はどこも(量・質ともに)ほぼ同じであり、非常に多くの情報を持つスポットはなかったのだが(正規分布)、現在は大半のスポットが大した情報を発信できないのに対して、少数のスポットが(量・質ともに)充実した情報を提供できる(ベキ分布)といえる。バラバシ(2002)参照。
  • 注15 裏原宿。東京・原宿の表参道と明治通りに囲まれたエリア。多くのファッションや雑貨の店が集まり流行の発信地となっている。
  • 注16 図表1参照。
  • 注17 図表1参照。
  • 注18 JR池袋駅東口から10分程度のところにある200メートル程度の通り。女性向けコミックや同人誌を扱う店が集まっており、オタクな女性が集まることから「乙女ロード」と呼ばれている。コミケはコミックマーケットの略。
  • 注19 トマス・C.スミス(1970)
  • 注20 斉藤修(2002)
  • 注21 ロバート・バーテルズ(1993)

【参考文献】

  • 北見芳雄・佐藤紀子(1964)「生活の中の精神分析」誠信書房
  • 斉藤修(2002)「江戸と大阪 近代日本の都市起源」NTT出版
  • 土居健郎(1988)「精神分析」講談社
  • 西部邁(1996)「知性の構造」角川春樹事務所
  • 増田直紀・今野紀雄(2005)「複雑ネットワークの科学」産業図書
  • A.フロイト(1958)「自我と防衛」誠信書房
  • アルバート=ラズロ・バラバシ(2002)「新ネットワーク思考」日本放送出版協会
  • B.E.ムーア、B.D.ファイン編(1995)「アメリカ精神分析学会 精神分析事典」新曜社
  • ダンカン・ワッツ(2004)「スモールワールド・ネットワーク」阪急コミュニケーションズ
  • マーク・ブキャナン(2005)「複雑な世界、単純な法則」草思社
  • ロバート・バーテルズ(1993)「マーケティング学説の発展」ミネルヴァ書房
  • トマス・C.スミス(1970)「近代日本の農村的起源」岩波書店