眼のつけどころ
なぜ、シャープは鴻海の傘下に入らなければならなかったのか

2016.04.05 代表取締役社長 松田久一

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 日本を代表する旧家電御三家の一角が、ついに鴻海精密工業の「傘下」に入った。個人的にも知らない会社ではないので「思い複雑」である。

 「傘下」の意味はこうだ。シャープが、資金調達のために鴻海に「第三者割当増資」を行い、発行株式の66%を握った。シャープを吸収・合併するには66%以上の「特別議決権」が必要だが、それに少し足りない額である。表面的には、鴻海の郭台銘董事長の発言どおり、鴻海の投資と事業提携という関係だ。しかし、残り34%の銀行などの機関投資家などの株主の動向によっては、傘下からの「離脱」や「買収」の可能性はまだ残されている。

 なぜ、シャープが、このような状況に陥ったのか?

 ひと言でいえば、町田、片山、奥田、高橋と続く社長の能力のなさと言ってよい。そもそもシャープは、「シャープペンシル」の発明で知られる早川徳次が、関東大震災で工場を失い、特許を売って、大阪に移って創業した会社である。その後継者が、佐伯旭で、佐伯時代に、シャープのその後の成長の礎は築かれた。佐伯は、技術を外部から招聘した佐々木副社長に委ね、マーケティングや営業は関副社長に任せた。「三国志」の劉備のように人を使うことが巧い経営者だった。そして、ビデオ事業で業績に大きく貢献した辻春雄を後継に選んだ。辻の弟は、佐伯の娘婿だ。辻は、「液晶ビューカム」を陣頭指揮したように、「生活者視点」のものづくりに卓越した力を発揮した。ふつうのカメラだと「赤ちゃん」は笑わない。しかし、液晶ビューカムだと、お母さんが笑いながら撮影できるので赤ちゃんの笑い顔を撮ることができる。

 シャープは、東京の財閥系の電機メーカーでもなく、「松下電器」のような巨大なチェーンや資本もない。「何もない」ところから「生活者」目線で、ものづくりをするのが強みだった。

 辻社長の後継は、佐伯の娘婿だった財務の町田勝彦だった。そして、シャープには珍しかった東大出身の片山幹雄に引きつがれた。佐伯家支配が強まるなかで、町田-片山体制が現在の危機を生んだ。白物と黒物などの多様な家電製品のバランスは、テレビなどの黒物一辺倒になり、投資もすべて液晶へと集中した。サムスンとの「チキンレース」のような投資競争を始めた。そして、片山が、「技術ロマン経営」をはじめ、生活者目線やマーケティング視点は失われた。そして、世界初の液晶パネルの第10世代工場の建設に、「イケイケドンドン」の約1兆円を投資した。佐伯家のバックと液晶技術の「世界的第一人者」が決定したことに反論する「強者」はいない。シャープはおよそ4兆円企業になっていた。