眼のつけどころ
デジタル技術革新の次はアナログ時代の到来か?
-米屋商法の復活

2016.08.19 代表取締役社長 松田久一

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01

アナログ商品の復活

 AI(人工知能)やあらゆるものをインターネットにつなげるIoT(Internet of things)が注目される中で、現像が必要な銀塩フィルムや、レコード、レコードプレーヤーが売れている。20世紀には半導体が「産業の米」と言われるようになり、すべての製品にデジタル技術が浸透し、通信と結びついて様々な産業を変えてきた。デジタル技術は、まさにイノベーション技術そのものであった。しかし、21世紀に入って、アナログ技術からデジタル技術への転換の先は、やや比喩的に言えばデジタル技術によるアナログ技術の実現ということになりそうである。

02

フィルムの復活?

写ルンです

 フィルムが復活している。富士フイルムの「写ルンです」やインスタントカメラの「チェキ」が海外を中心に500万台を越えるほどの好調である。また、レコードが再び復活している。2015年度の売上は前年比65%増の約66万枚である。

 スマートフォン、CD、ダウンロードやストリーミングなどのデジタル技術にとって代わられたと思われていたフィルムとレコードは、なぜ伸びているのだろうか。大勢の見方は、懐古趣味で一時的なものだ。しかし、ここでは別の見方をしてみたい。

 それは、20世紀のデジタル技術は、画質や音質という基本品質を劣化させていたという事実であり、デジタル技術はまだアナログ技術には勝てていない。何よりも、人間の五感はアナログであり、アナログ技術との親和性が高いということだ。

 フィルムは、デジタルカメラに代替され、デジタルカメラはスマホに代替されている。しかし、デジタル技術の画像は、簡単に言えば、映像を画素に解像し、ドットごとの色をデジタルで記録して、ディスプレイなどに表示している。ディスプレイの画質は、ハイビジョンレベルの2K、4K、8Kと次々と進化している。200万画素、400万画素、800万画素に相当する。そして、その画素ごとに、32ビットのパソコンでは、約1,600万の色を数値で記録している。これをデジタルデータとして記録して、いつでも再生できるのが現在の一般に普及しているデジタル技術をベースにしたスマホなどの製品デバイスである。

 デジタル化は、印画紙のように劣化はしない。しかし、フィルムで現像された写真は、「解像されていない」「無限の色」を表現したものである。山水画は墨だけで描かれた絵である。その白黒の濃淡は無限大である。これは、デジタル技術では再現できないものである。江戸の天才絵師伊東若冲展に長蛇の列ができるのは、デジタル技術では見ることのできない絵を見たいという欲望からである。

03

レコードも復活?

アナログレコード

 音楽の分野でも同じ事が言える。これまで急成長してきた東京・秋葉原の大型家電量販店は、まだ外国人で賑わいをみせるが、家電店というよりはむしろ、アクセスのよさを生かした生鮮のない百貨店のような業態になってしまった。一方で、路地裏のイヤホンやヘッドフォンの専門店は、若い顧客で大繁盛である。

 パソコン、スマホの需要が成熟するなかで、「ハイレゾ」(CDを越える音質)ブームが到来しているからである。30万円を超えるデジタルプレーヤー、10万円以上のイヤホンが飛ぶように売れている。残念ながら、日本のエレキメーカーの存在感は薄い。中国や韓国製のドイツ、イギリスやアメリカブランドのWネームが顔をきかせている。

 ハイレゾとは何なのか。定義上は、CDを越える音質のことである。記録原理は、デジタル写真と同じで、連続している音の流れを、サンプリングして、量子化しているに過ぎない。飛び飛びで音を拾って、拾った音の周波数を何桁かで記録しているようなものである。

 従って、切れ目なく溝を掘るレコードの方が「品質」がいいことになる。ハイレゾ規格の「FLAC」や「DSD」などの新しい音楽の記録フォーマットがあるが、やはりレコードには勝てない。ハイレゾ音とレコード再生のアナログ音を聞き比べると、ハイレゾがアナログに近づいてきていると感じる。つまり、音の世界でもよりよい品質を目指す消費者向けに、デジタル技術革新はアナログ品質に向かっていることになる。

04

IoTで「米屋」が復活

 「IoT」や「インダストリー4.0」などのものづくり革命が叫ばれている。あらゆる「物(デバイス)」がセンサーを持ち、インターネットに繋がることによって、「物」と「物」の通信連携や、物と人との連携が行われ、ものづくりの現場では、かんばん方式を越える「在庫や待ち時間ゼロシステム」が生まれるかもしれない。「B to B」の世界では、このような革新によって、生産性の上昇が期待される。ドイツ政府や、IBMを中心としたアメリカ産業界は、ものづくりをソフトウェア化し、独占しようとしている。日本は、トヨタと世界の基幹部品を握るメーカーが立ち向かっている。

 ここでも産業革命をもたらすようなデジタル革新の究極であるIoTの行き着く先は、アナログである。特に、B to C、消費者向けの分野では、行き着く先は、アナログ的な「米屋商法」、「酒屋商法」や「街の電器屋商法」である。

 米屋は、得意先の名前や住所、そして、購入量や購入日を台帳に記録していた。また、得意先との世間話のなかで、家族人数や年齢も知っていた。この記録によって、次回の米の購入日を予測できた。そして、購入日の前に、御用聞きに伺っていた。酒屋も同じだった。晩酌に瓶ビールがどれほど飲まれるかを把握して、瓶ビールのケース売りをしていた。街の電器屋さんも、年末の大掃除前に伺って、漏電などの点検をして、寿命がきれた照明器具などの販売をしていた。

 これらの商法に共通しているのは、お客さまがニーズを発見する前に、そのニーズを知る商法である。まさに、「おもてなし」のサービスだ。お客さまが要望する前に察知する能力である。

 消費者向けのIoTの世界は、まさにこの人間によるアナログ商法が生まれ変わることである。仮に、冷蔵庫、炊飯器や米保管庫などにセンサーがつき、中身や在庫を読み取り、インターネットに繋がり、過去の記録がデータとして記録できるとする。これによって、昔の米屋さんや酒屋さんと同じニーズの事前予測と販売アクションが起こせるようになることは言うまでもない。家電製品も部品交換や不具合を事前に予測して、修理サービスを提供することもできる。

 記録を蓄積して、ビッグデータの「関連性分析」によって、推奨品販売の効率もあがるかもしれない。因子入れ替え型多変量解析に過ぎない「ディープラーニング」の進化で、AIが「東大合格」するかもしれない。「テレマーケティング」も、IoTでデータを集積して、AI機能を持った自動音声による営業や受注になることはほぼ確実である。

 最後に、21世紀のデジタル技術は、なぜアナログ対応へと向かうのか、という疑問である。実は、その答えは簡単で、製品や物は人間のためにあって、人間の脳も五感も、「欠陥」だらけのアナログだからである。色も音も、五感はすべて連続的な無限数値の刺激として知覚し、感情や理性判断と結びついているからである。

 20世紀にデジタル技術が普及したのは生産サイドの要請からだ。真空管をつくるより、半導体を製造した方が、圧倒的に生産性が高い。古くは、算盤から電卓へ、真空管計算機からパソコンへ、ブラウン管から液晶や有機パネルなどデジタル化の波は枚挙すれば暇がない。しかし、その向かう先は消費サイドのアナログ品質、つまりは、「人間品質」である。