世の中の動き、生活者の動き、企業の動き

1992.08 代表 松田久一

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世の中の動き

(1)資本王義対資本主義の時代

 皆さんよくご存じのように冷戦というのがありました。冷戦というのは第二次世界大戦が終わり、ソ連を中心とした社会主義圏とアメリカを中心とした自由主義陣営、いわゆる資本主義陣営という形で政治的な対立、イデオロギー的な対立が同時に政治的対立になり、その政治的対立が軍事的対立になっていくという形で、まずそれで世界の大きな枠組みが決定されました。その上で経済的には、IMFガット体制という、自由貿易体制があった。自由市場体制があって、それからそういう世界経済の枠組みの中で資本主義対社会主義という構図でもって世の中は動いてきた。これが今話題になっているフランシス・フクヤマという人の『歴史の終焉』という、そういう歴史家のとらえ方です。

 フランシス・フクヤマという人の『歴史の終焉』という本が、大変今売れておりますが、根本的なものの見方というのは、歴史というのは大きくいろんな形で動いていくけれども、今のいろんな形で分析されている大きな変化をとらえる見方というのはいかにもいいかげんじゃないか、いかにもこれから歴史がどのようになっていくかという歴史的な視点が全然欠けているじゃないか、これを申しますと歴史の概念規定というふうに言いますが、そういう概念規定がないんじゃないか、という問題意識から今の時代をとらえている。フランシス・フクヤマさんはそういうイデオロギー対立が終わって、歴史はもう動かなくなった、そこで民主主義対民主主義の対立が起こっているんだというものの見方をしています。

 ソ連とアメリカを中心とした、いわゆる社会主義と言われるイデオロギー及び経済制度と資本主義と呼ばれる制度があったわけですが、ここで社会主義というのは一体何だったのかと考えてみます。

 政治的な理念としては基本的には平等というところに価値を置いたものの考え方です。マルクスは決してそんなことは考えておりませんでしたが、レーニンによる歪曲とスターリンによる堕落があり、平等的なソ連型社会主義というようなものができてしまいました。そこでの理念というのは平等に価値が置かれますし、あるいは所有ということでは私的所有ということが禁止というか、廃止されて国家所有になります。

 経済はと言いますと計画経済という形になります。これは有名な経済論争であり、経済は計画できるかという論争です。ソ連は全て計画で可能だと考えまして、計画経済を進めていきました。もちろん企業で言えばほとんど100%国有企業で運営されています。そこで平等社会と言いながらもう一方でテクノクラートを生み出して階層的な社会が出てくる。官僚主導型で企業も政府主権型で、非常に権力集中型で、どちらかと言うとマーケティングというよりは配給取引というスタイルの経済制度を生み出しました。

 こういうものと、典型的には欧米型資本主義に見られる、政治的な理念としては平等よりも自由を大切にする、という考え方があります。それから、国家所有に対して私的所有、計画経済に対して市場経済。

 アメリカも実はそんな偉そうなことは言っておりませんで、政府が民需に介入していっている率というのは50%ぐらいあります。だから、ソ連の半分ぐらいは計画化が進んでいるわけでして、50%ぐらい政府需要依存国になっております。

 また、流通をやるときでも階層によってそれぞれ全く違う。ブルーカラーの行くお店とホワイトカラーの行くお店というのは違うという階層社会ができ上がっております。人口の5%の人が全米資産の30%、40%、もっと占めるという、そういう階層社会になっております。

 企業の中では個人主導型で株主主権といいまして、利益の中から株配当を出すということに重点を置いた経営が行われます。非常に意志決定も権力集中型でして、アイアコッカに見られるような大変たくさんの収入をもらって大きな意志決定をする。向こうは資本主義制度でして基本的に正しいわけですけども、そんな企業の運営の仕方をやっております。

 また、我々日本みたいに系列店があるわけじゃなくて、一回一回の取り引きがそれぞれ同じように行われるという自由市場のとらえ方があります。

 このようないわばこのシステム対このシステムという戦いが戦後ズーッと続いてきた、というふうに考えていただいたらいいんだと思います。その中で政治も経済もすべて構造が決まっている。政治的枠組みとしてはどちらかというと資本主義の代表としてのアメリカ対ソ連。日本における、アジア地域それぞれの相互安全保障条約と、ヨーロッパにおいてはNATOという軍事同盟を中心にした対決、全世界的には資本主義陣営ではIMFとガットとして一種の自由貿易についての合意、それが機関化している。

 それが89年以降、あるいは88年以降ゴルバチョフの改革によりて大きく瓦解してしまった。その中で今問題になっているのが、資本主義対社会主義がなくなったということです。なくなって、結局真ん中の仕組みだけが世界の中に出てきた。その中で何が基本的な対立点になっているか、今言われておりますのは、アメリカの調査で典型的に見られますけれども、ソ連よりも日本の経済力のほうが怖いという言い方が主流を占めてきたということです。それが80年代後半から90年代へ入っての問題意識です。これからの世界秩序というのはどのようになっていくかというふうに考えたときに、これまでは米ソ対立、いわゆる東西対立というものに南北対立の図式をかけて、それで四極で見ればよかった。ところがどうもそうじゃないんじゃないか。

 全世界に来年に投資できるお金というのがあります。これが貯蓄ということになりますけれども、それが貯蓄イコール投資という形で、全世界的には金融の収支がつくわけです。その投資のできるお金を100%としますと、日本が握っている投資の比率というのは6割になる。ところが政治的には皆さんご存じのように全くだめです。世界をリードできる政治的な理念もなければコンセプトもない、という状況なわけです。軍事的にはどうかといいますと、アメリカの日米安保条約の体制下におきまして、日本の軍隊というのは基本的にアメリカの戦略に依存する形で再編成されておりますので、自立的に軍隊を再編成するということは根本的にできないという状況にもあります。

 アメリカはどうかと言いますとアメリカは経済的には全く世界的なリード力を失ったということがあります。第二次世界大戦が終わり世界のGNPの70%を占めていたのが今は30%しか占めていない。日本が全世界に占めるGNPの比率は20%まで上がってきています。これがECということになりますとEC全部合わせますと約30%になります。全世界のGNPは日本とアメリカとヨーロッパ、この三つのエリアブロック圏で全体の8割ぐらいまで占めてしまう。そういう状況になっているわけです。

 ヨーロッパはEC、1992年のEC統合という形でどんどん進んでいく。日本はそういう状況である。アメリカは軍事的には強いんですけども経済的にだめになった。その中で世界秩序がどうなるかというのが今問いかけられている課題だったわけです。

 案が三つありました。ひとつはどういう案かと言いますとアメリカ一元化の世界秩序ができ上がっていくという考え方です。それから、もうひとつは三極ブロック化。日・米・欧という形で三極によって世界の秩序が形成されるという考え方があります。それに対して第三番目、国連を中心にした国際政治というものの舞台がやっとできてくるんだ。そこによって新たな世界秩序というのができるんだ。そういう三つの見方があったわけです。

 全部はずれだと思いますけども、今92年になってはっきりしてきたのは資本主義対資本主義の対立という図式をより鮮明に出していった歴史が動いていくんじゃないか。そういう見方が主流になってきております。

 そこで、欧米型資本主義と日本型資本主義、ふたつの資本主義の違を紹介させていただきます。

 欧米型資本主義というのは自由に重点を置いています。日本はどうかと言いますと、今自分は中流に属していると思っている方が90%いらっしゃいます。皆さんほとんど中流だと自分は思っている。そういう国というのは世界にないわけです。だから、どちらかと言いますと我々がつくってきた社会、戦後がつくってきた社会というのは自由よりは非常に平等に重点を置いた社会であったということができると思います。

 戦後日本の農業人口というのは約5割ありました。今3%。日本は農業というのがあって、そこが底辺の部分の社会の構成を支えていたけれども、それが解体していきます。自分の息子を大学に入れて、ホワイトカラーにしてサラリーマンにする。そうしてワンランクアップの中間層を生み出していく。その中でどんどん真ん中だけが膨らんでいく平等大衆社会を生み出した。そういう形で農業層というようなものが分解してきて、日本では今生産人口に占める農業従事者というのは3%しかいないという状況になっているわけです。中流創出のメカニズムが全くなくなった。私的所有とか市場経済というのも同じです。

 もうひとつは経済に対して政府はどれぐらい介入するかということなんですが、これはアメリカよりも日本は低い。だから、自由主義経済の比率ということでいくと、日本のほうが高い自由性を誇っているということが言えます。

 それから、ここにありますように階層社会に対して日本は、先ほどから言ってますように平等社会です。バブルの中で資産階級が形成されたというのもすぐ終わりでして、5年で終わりまして泡ぶっ飛びまして、今土地を持っている人ほど大変苦しんでおります。企業が主導していく社会です、日本は。個人の、あるいは優れた資質のある、価値観のある人が、世の中を引っ張っていくよりはどちらかと言うと法人企業が社会を引っ張っていっております。例えばエイズ問題にしましても日本でエイズ対策を打とうとしたときに、個人に対して呼びかけるよりは法人に対して呼び掛けていく。そのことによって対応していくほうが早いということがよく言われております。

 会社の運営といいますと株主というのはほとんど無視される。従業員主権です。従業員が中心になって、社長のほうも従業員を中心にして物事を考えていく。また、一人の社長が圧倒的な権力を持っていて、人事も決裁権も全て決定していく、そういう会社はほとんどございません。権力が分散しております。課長さんが大きなことを決めて、社長はOKと言うのみという意志決定の構造が日本はたくさんあります。

 自由市場に対し日本は組織市場、系列ということです。資生堂にしても系列店を持ってます。松下電器も2万5千店の系列店を持ってます。そういう普通の一回きりの市場取引じゃなくて、長期安定的な取引指向というのは強いです。それは組織市場というふうに専門的には言っております。

 社会主義対資本主義という対立の図式が消えまして、今この資本主義対資本主義の対立が問題になってきております。欧米型の資本主義と日本型の資本主義、アメリカ型の資本主義と日本型の資本主義、フランス型の資本主義、ドイツ型の資本主義、資本主義の対立をどのように世界秩序の中に盛り込んでいくかということが今言われているわけです。これから90年代は資本主義対資本主義の時代だということです。