I. 消費社会をどう読むか

3.時代の流れを読む

金風の終焉

1990.11 代表 松田久一

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 時代の節目は季節の節目をともなってやってくる。80年代後半から吹き続く黄金の風は和んできたようだ。

 「金ピカの80年代」、終わりの知らせば陰陽五行説で言う秋ふく風、「金風」とともにやってきた。

 思い起こせば、地下鉄の擦切れたつり皮を握る腕の金無垢時計がやけに輝き、平等な大衆社会に株や土地で儲けたにわか資本家階級が登場し、手の届く筈のなかった西独製の大型車に身近な値頃感を感じた。収入が増え「豊かさ」とは高級品を買う事なり、と哀しい悟りに気付きながら、「心の豊かさ」という橦花一朝の夢を追った。

 あまりに自己中心的な時代だった。

 まさか、地球のオゾン層に穴があいているとは思わなかった。昭和は永遠に続くと思っていたし、ソ連共産党は世界で一番頑固だ、と思っていた。世界に紛争の火種がこんなにあって、憲法の解釈がこんなに多義的で、大型特殊車両の免許取得に入隊した自衛隊の友人の服装が国会で論議されるとは思わなかった。でもやたら忙しくて、地価が高くて家が持てない事だけは気になっていた。自分が世界の中心だった。

 歴史的現実に対する責任の時代がやってきた。

 80年代は、ポストモダンの思想が吹荒れ、歴史を否定し、社会から逃避し、企業との差異化競争を讃え、熱力学の比喩で企業の戦略を議論した。受験勉強の技術を思想に持ち込んだ浅田彰、朝まで高級漫才を続けてくれた出演者諸氏、ナチスのファサードを日本のファッションにしてしまった企業よ、さらば。ポストモダンは人間不在の無責任思想だと判明した。

 「戦後」と言えば、太平洋戦争と思い込んでいた世代が、「どの戦争、ベトナム、アフガン...」と問う世代とともに、責任をもって戦後処理をしなければならない時代がやってきた。「戦後処理」を積み残した企業のなんと多いことか。

 金風という豊かな言葉をもつ古代中国思想の文化的豊かさを肌に感じる人間の季節がやってきた。