15万人の「マトリックス」-日本人の集合的性格の分析

1999.11 代表 松田久一

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マトリックスとは何か

 「マトリックス」とは、数学の「行列」のことではなく、精神分析用語である「母型」あるいは「集合的無意識」のことのようです。映画「マトリックス」が流行っています。

 この映画は解説するより観た方が面白いのですが、非常に面白い仮説があって、この仮説を適応して約15万人に利用して頂いた性格データ(当社ホームページの「辛口性格診断」より)を分析し、みなさんに報告しようと試みます。

02

現実が仮想であるという仮説

 映画「マトリックス」では、我々が現実であると思っているものが仮想で、現実は知られていない、という仮説にもとづいています。こういう分裂症的な被害妄想像はときたま日常でも出会います。この前も、世界はシュメール人と中華民族の世界支配をめぐる競争によって動かされ、日本は操られているという壮大な世界観を語るタクシーの運転手に出会い驚きました。

 現実は仮想であって、それは人口知能をもったコンピュータに操られているという想定が映画の設定になっています。人間は知能をもったコンピュータ(人工知能)を発明し、その人工知能が人間支配の意志を持ち始めた。人間はそれと戦うために核兵器を使用し、コンピュータのエネルギー源である太陽エネルギーを断とうとしたが、コンピュータは逆にその代替エネルギーとして人間の生化学エネルギーを利用し始め、巨大な育成器によって人間を栽培している、という設定です。人間は、現実では栽培器のなかで眠らされ、コンピュータによってその夢がコントロールされ、それぞれの夢が連動しているということになっています。映画では、この共同で見ている夢を「マトリックス」と呼んでいるようです。

 この想定は、ユングの「集合的無意識」というコンセプトに影響されていることは言うまでもありません。ユングは、元々はフロイトの弟子でしたが、予知夢など超常現象の解釈の相違によって袂を分かちました。フロイトは集合的無意識など認めません。フロイトは、その執拗な科学的精神にもとづいて、多くの患者との対話を通じ、人間の精神に潜在意識、すなわち無意識があることを想定しました。そして、無意識そのものと言える「イド」、現実への適応を促す「自我」、父に影響された倫理意識としての「超自我」という精神の舞台を想定し、三人の主人公によるドラマとして個人の精神を捉えました。甘い言葉、悪を囁くイド、高いモラル、道徳を説く超自我、その狭間で揺れ動く自我という物語です。そして、物忘れなどのふだんの錯誤行為から不安、神経症、性的異常、ノイローゼなどの精神障害をこの物語の基本ストーリーの変調として分析しました。マトリックスは、このフロイトの発見とも言える無意識を、さらに集合的無意識にまで発展解釈したユングのモデルを踏まえているようです。