IV. 戦争に学ぶ

力の論理─世界の戦いの歴史に学ぶ戦略経営法
四つの戦史の遠近比較

2010.07 代表 松田久一

実務家に提案する日本的戦略思考法。

本コンテンツは、「力の論理─世界の戦いの歴史に学ぶ戦略経営法」の第二章「四つの戦史の遠近比較」を、独立して一つの論文に再構成したものです。

 国際社会における国家間の紛争や戦争、一国の政治権力を巡る戦い、経済における企業間競争、武道やスポーツにおける戦いなど、現実は激しい戦いがあらゆる場所で繰り広げられている。そして、今日では、このような戦いには何らかの原則や法則があり、より賢明な優れた戦略を立案すれば望ましい結果が得られるのだと信じられている。こうした考え方のすべての基礎になっているのが戦争や戦史についての研究である。

 例えば、経済学、社会学、心理学などで盛んに応用されるゲームの理論は、第二次世界大戦中に、ナチスのユダヤ人弾圧との戦いの考察からO.モルゲンシュタインとV.ノイマンが生み出したと言われている。また、戦略経営の出発点とも言えるD.チャンドラーの主著『経営戦略と組織』は、アメリカの海軍大学の要請による軍事研究の一環としての企業組織研究だった。つまり、アメリカ軍は企業組織から何かを学ぼうとしたのである。このように社会における戦いの一般理論と言われるゲームの理論も、アメリカの最新経営理論である戦略経営論もともに、戦争と深い関わりを持っている。また、その内容においても、戦争研究から生まれてきた知見や知識がふんだんに利用されている。最近では、P.ゲマワットのように戦略経営の史的発展の出発点に戦争論や戦略論を位置づけたり、グラントのように組み込もうとしたりする動きもある。

 翻って日本ではゲーム理論や戦略経営の基礎や系譜を戦史や戦争理論を踏まえて理解しようとする試みは少ない。寧ろ、戦争との関連を無視したり、違いを強調したりする傾向が強い。ここでは、ゲームの理論や戦略経営論の背景となっている戦争の歴史、特に、戦史のエッセンスを紹介することによって、戦いの論理について考えてみる。

 ここで取り上げるのは、四つの戦史である。約二万年の人類史のなかで、人類が戦わなかった日はないと言われているなかで、ごくわずかなものにすぎない。現在、アメリカやイギリスだけでなく、多くの軍隊で活用されている「戦いの原則」の集約者であるイギリスの戦史研究家であるJ.F.C.フラーは、およそ六四の戦史を主著で取り上げている。

 ここでは、古代にカルタゴとローマによって戦われた「カンネの戦い」、ヨーロッパの市民革命時代のフランスとオーストリアなどの同盟軍によって戦われた「アウステルリッツの戦い」、日本に欧米と並ぶ列強への道を切り開いた日露戦争における「奉天会戦」そして、最後に、冷戦後、唯一の超大国となったアメリカを中心とする多国籍国とイラクが戦った「湾岸戦争」である。

 この四つの戦史は、もちろん恣意的に選んだものであるが、古代から現代までの約二ニ〇〇年の時間の広がりがあり、地域も地中海世界、中東からアジア太平洋まで広がっている。時代も地域も異なるが、逆に、このような「比較遠近法」によって、同時代、同地域の戦史の研究では得られない戦いについての知識や知見を見いだすことができる。

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戦略の原点 ― カンネの戦い

カンネの戦いとは ― 紀元前三世紀のカルタゴとローマの戦い

 カンネの戦いとは、紀元前二一六年に、カルタゴとローマによって行われた戦いである。この時代は、ギリシャ、そして、ローマの時代であったことは広く知られているが、歴史の表舞台の、エーゲ海のギリシャから地中海世界のローマ帝国への移行は平和的に行われたのではない。ギリシャの周辺国であったローマ都市が次第に力をつけてイタリア全土を支配下に置き、地中海世界の安全を確保し、現代の欧州連合(EC)に中東とアフリカの地中海沿岸諸国を加えたような巨大な世界帝国に成長するには、圧倒的な軍事力と経済力を持っていた大国カルタゴと戦い、勝利することが不可欠であった。カルタゴは、海軍力を背景に地中海の制海権を持ち、商人に安全を保証することによって、地中海貿易によって富を得ていた。この既成勢力であるカルタゴと新興勢力であるローマとの争いが、前二六四年から前一四六年までの約一二〇年間で三度にわたり行われたポエニ戦争であるが、イタリア半島のつま先にあたるシチリア島での小さな紛争が全面戦争へと発展したものである。その結果、ローマ元老院で大カトーが「カルタゴは滅ぼさねばならぬ」と叫んだとおり、カルタゴは世界史の舞台から消されてしまった。