「マーケティングの経済学(Economics of Marketing)」とは、現代の市場競争の理論と原則を明らかにし、戦略経営及びマーケティング、すなわち戦略的マーケティングの政策の有効性を検証する方法論と体系である。
企業の戦略経営及びマーケティングの実務者は、様々な複雑で現実的な問題に直面する。その度に、自分の体験や勘に依存した対応策ですませるだけでなく、「ほんとう(真)」の答えを探索し戦略的な問題解決を組織的に図りたいと感じる。その際に、企業の経営に関する問題解決に資する諸科学には、主に、マーケティング及び経営学、経済学、統計学などがある。しかし、マーケティング及び経営学は、企業の実践について多くの先進事例やヒントを与えてくれるが、主として、事例研究の整理や分類に終始する傾向があり、帰納的に導き出された原理や原則も仮説の域を出ない。ミクロ経済学及び産業組織論などの経済学は、前提とする公理や仮定から仮説演繹的な方法で導かれた推論によって、多くの厳密な原理や原則を教えてくれるが、企業の市場競争についてはあまり有益な示唆やヒントを得ることは少ない。また、統計学は、様々な統計モデルを前提に、主として調査を通じて得られたデータを活用して確率論的な仮説検証を行うことができるが、その有効性は仮説に依存する。つまり、現在のマーケティング及び経営学、経済学、統計学は、市場競争を実践している企業の政策担当者にとっては一長一短と言わざるを得ない。
こうした問題の実践的な解決策として目指しているのが、マーケティングの経済学の構築とその方法論の確立である。既存の社会諸科学の知識体系を生かし、普遍的な真理を追究しながら、経済学、マーケティング及び統計的方法を統合して、体系化と実践ノウハウの蓄積を志向し、市場競争の現場で必要とされる問題解決に有効な原則を明らかにしようとするものである。このことはマーケティング及び経営学、経済学、統計学のそれぞれの強みと弱みを相互に補完することによって可能である。しかし、三つの知識体系はその依拠する科学的方法論が異なる。戦略経営及びマーケティングは事例研究などの経験主義的な方法が、経済学は主として数学に基づく仮説演繹的な方法が、統計学も主として仮説演繹的な確率モデルが用いられている。従って、異なる方法論の知識体系を統一することは困難であるが、実践的には次のように統合することができる。
まず、経験によって裏付けられた戦略経営及びマーケティング政策の理論や原則を参照して、問題解決に必要な原則と仮説を構築し、ゲーム理論を含めた経済学による基礎づけを踏まえて演繹的な原則を明らかにし、導かれた原則の蓋然性を統計的な方法に基づいて検証することで、原則の有効性を確認したうえで、より効果的でリスクの低い実際の政策に具体化する方法である(図表参照)。
図表 マーケティングの経済学の方法論
企業の具体的な問題解決を合理的な方法によって行うためには、当該問題についての思考の前提となる「公理・公準」、問題を認識し検討するための「原則・理論」、具体策を検討するための「解決仮説」、そして、「経験的現実」の四つの経路が必要となる。つまり、方法論の異なる個別の科学体系もこれらの経路を経て実践に到達することでは共通である。つまり、具体性の次元では功利的に統合される。言い換えれば、論理実証主義的な地平で共通の基盤の上ですべてが統合することができる。この方法論は、社会諸現象等の主観とは独立した実在を認めない「社会構築主義」や「社会構成主義」などのアプローチとは異なり、社会的実在を認める意味論的な論理実証主義の立場である。
本書には、マーケティングの経済学の部分体系である現代の市場競争に必要な主に製品、価格、プロモーションと流通の4Pの領域で、有効な原理や原則の認められない五つのテーマに関する論文を所収する。
特に、原則に拘るのは、仮説的な解決策を推論していく上で、原則が思考を節約してくれるからである。ここで言う原則とは、解決策を検討し行動する上で、「例外はあるが概ね参照すべき命題」のことである。「例外を認めない」の「法則」や「参照程度でよい」の「ルール」ではない。こうした原則があると、通説的には創造の制約になると思われるが、寧ろ、単なる思い付きを捨て易くさせ本質的な直観に集中でき、発想の方向性を示し、それらが創造的思考の節約(economy)になるからである。
具体的な分析テーマは、ブロードバンド時代にマス広告の効果が低下しているなかで、広告を含む広義の情報コミュニケーションはどのような原則に基づき政策立案すべきか、ブランドによる差別化競争を展開する上で低価格競争とポジション変更とどちらが有効か、製品多様化競争の基本原理は何か、どういう条件で多様化し、あるいは集約すべきか、需要層によって異なる価格づけを行う価格差別化戦略は有効か、組織小売業への売上集中度が高まるなかで業種小売業を中心とした系列チャネルを抱えるメーカーはどのようなチャネル差別化戦略をとればよいか、メーカーが組織小売業間の激しい価格競争に巻き込まれないで収益を得るにはどうすればよいか、等である。
実践的で実務的な問題についての解決策を立案するための原則を明らかにした。各章ごとに現代の市場競争に必要な戦略経営及びマーケティング政策に関して再度集約すると15の原則に集約できる。
「第1章 情報ディファレンスによる差別化」では、広告(説得的プロモーションと情
報的プロモーション)を含む企業の情報提供は現代では製品サービスの「複合財」として不可欠なものであることを前提として、次の五つが確認できる。
原則1 一般的な原則として、企業は、広告などの情報提供による売上増加の効果が価格など広告以外の手段による売上増加の効果を上回る限りは広告への支出を増やした方がよい。
原則2 企業が広告をするかどうかは、広告が十分な伝達効果を持ち、広告のための費用を十分にカバーしうるだけの売上があがる場合に限られる。
原則3 広告による情報提供が社会的にみて望ましい形でなされているか否かは、広告による情報伝達効果の程度と、広告が成功した場合に(個々の企業レベルではなく)業界全体でどれだけの売上があがるかによって決まる。
原則4 情報伝達効果が不確実であり、他企業も広告の恩恵を受けるときには、情報提供が社会的に見て望ましいにもかかわらず、個々の企業としては広告を行わないのが合理的となる場合がある。また、広告による情報伝達効果が乏しいほど、情報提供が社会的に見て望ましいにもかかわらず、個々の企業が得られる売上が十分に高くない場合、個々の企業としては広告を行わないのが合理的となりやすい。
原則5 市場の成熟度と自社製品の人気によって、最適なプロモーションは異なる。市場導入期では説得的プロモーションがよい。しかし、導入期から成長期の段階で自社へのブランド固定が高い場合は情報的プロモーション、低い場合は説得的プロモーションを採用した方がよい。成熟期では情報的プロモーションを採用すべきである。しかし、成熟期から衰退期の段階で自社へのブランド固定が高い場合は情報的プロモーション、低い場合は説得的プロモーションを採用した方がよい。
「第2章 競争主導のポジショニングと差別化戦略」では次の三つである。
原則6 企業は、製品に対する顧客の選好分布とコスト条件に応じて、利益を最大化する製品ポジションと価格を設定するのが望ましい。
原則7 製品に対する顧客の選好の集中が強ければ強いほど、企業が得られる利益はより大きなものとなる。
原則8 製品に対する顧客の選好が集中している場合には、利益増加の手段として、製品ポジション変更よりも価格変更の方が有効であり、逆に顧客の選好が分散している場合には、価格変更よりも製品ポジション変更の方が有効である。
「第3章 製品多様化競争の経済分析」では次のふたつである。
原則9 企業の製品多様化の程度、すなわち最適製品投入数は、市場規模、製品投入コスト、市場への参入企業数、製品差別化の程度、プライス・コストマージン、そして競合他社と比べた自社製品の相対価格によって決まる。
原則10 企業の事業部間での製品多様化の程度の違い、すなわち最適製品投入数の事業部間比率は、製品投入コストの部門間比率、各製品の生産に伴う限界費用の部門間比率、参入企業数の部門間比率によって決まる。
「第4章 価格差別化戦略」では次のふたつである。
原則11 企業に価格設定能力がある場合、異なる需要層に対して、同一の商品・サービスを同じ価格で販売するのではなく、異なる価格で販売する価格差別化を行うほうが、利益の増加につながる。商品・サービスの購入者による裁定行動が完全に機能しない場合、利益増加の手段として、価格差別化の有効性はより高いものとなる。
原則12 同一チャネル業態内で競合関係にある小売や卸などの流通企業が、あるメーカーの同一製品を扱い、両企業間で販売コストに差はなく、消費者も両企業で販売される当該メーカーの製品を同質的とみなしている場合には、同一チャネル業態内での流通企業間の競合の問題は解消され、メーカーの競合製品間での競争の問題に帰着される。
「第5章 流通再編期の差別的チャネル戦略」では次の三つである。
原則13 メーカーは、差別的取引による主力チャネルと補助チャネルの使い分けを行うことで、より利益を増やすことができる。
原則14 メーカーが差別的取引を行う場合、ある程度の販売規模を有し、サービスなどの差別性で非価格競争を志向する小売企業を主力チャネルにするのが望ましい。
原則15 メーカーが差別的取引を成功させるには、主力チャネル化する小売企業と戦略を共有し、専用商品の供給や差別化ソフトの提供などを通じて、自社製品の販売インセンティブを高めることが必要である。
これら15の原則は実践で悩む実務家には有用性を認めて貰えると思う。是非、実践に生かして頂きたい。さらに、本文の各章を読んで頂き、前提となっているモデルや実証結果を参照頂ければ、自社への適合度を高め、自在に応用して頂けるはずである。現在は、マーケティングの経済学の方法論を活用してさらに適応領域と政策内容を拡張させている。
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