Ⅱ. 現代の戦略とマーケティング

1.戦略思考を鍛える

2014年ブラジルW杯観戦で学ぶ

  実践戦略思考

2014.06 代表 松田久一

01

サッカー観戦と戦略

 W杯が目前に迫ってきた。ひとりの日本人として、とにかく日本代表に頑張って欲しい、と願うばかりである。サッカーは、勝敗や行方を個人的に楽しめるだけではない。実は、サッカー観戦から学べる戦略的発想は多い。サッカー「ド素人」の私の素直な感想である。

 筆者は、対戦相手と日本代表の戦力分析のうえで、まず戦い方の仮説を立てる。実際の試合展開のなかで、その戦略仮説を検証し、教訓を得るという楽しみ方をしている。こうすることによって、実験のできない経営の代わりに、スポーツの戦いの領域で自分の戦略発想を鍛錬することができる。

02

サッカーと企業間競争の本質

 引き分けを含めて勝敗が明確になるサッカーは、観客を巻き込んだ組織集団と組織集団との戦いである。そのため、サッカー観戦が戦略の勉強に役立つ。つまり、サッカーが顧客の好意とゴールを巡る企業間競争と、戦いの本質において同じだからである。そもそもサッカーを含む集団スポーツには戦略がいる。個人間の意図的な連携の仕方が勝敗に大きな影響を与えるからである。スポーツの戦略論は、戦争を起源としたオリンピック精神から、戦争の平和的代償行為として錬磨されてきたもの。精神分析の大家であるS.フロイトのように、戦争の本質は闘争本能だと思われてきた。従って、戦争をなくすには、別の手段でその欲望を充足することが必要だと信じられてきた。その手段が集団スポーツである。そして、戦略経営は遅ればせながら1980年代に、ビジネスにおける戦争戦略論の企業間競争への応用として派生したものである。どちらもルーツは同じ戦争戦略論である。従って、戦略論としては、戦争も、スポーツも、ビジネスも同型である。そして、この類推の視点からW杯を観戦してみると、サッカー専門家とは違う戦略的な見方ができ、戦略発想を楽しみながら鍛えることができる。

03

サッカーの戦略とは何か

 サッカーには本格的な戦略論がない。「3-4-3」などのシステムや「ボランチ」などのポジションが、戦略論と語られる場合が多いが、素人には専門的すぎて、戦術的な論理のように思える。従って、もう少し大局的な観点から、戦略を考える枠組みが必要である。

 先にふれたように、戦略を戦力の運用方法と捉えると、サッカーの戦闘力は、個人の身体能力の合計である「物理諸力」と「精神諸力」の乗法である。プロイセンの軍人であるK.V.クラウゼヴィッツの「戦闘力=物理諸力×精神諸力」の考え方である。

 この式は面白いことを示している。物理諸力が限りなくゼロでも、精神諸力が無限大ならば、戦闘力も無限大になるということである。従って、負けないという意思さえ失わなければ戦いには負けないことになる。ゲバラのゲリラ戦や毛沢東の遊撃戦は一理あるのである。ただし、この式には制限条件がついている。物理諸力の劣位のすべてを精神諸力によって補うことはできない、ということである。つまり、スポ根は大切だが、スポ根だけでは勝てないということを示している。

 サッカー代表の戦略とは、サッカーの普及や振興の目的のために、個々の試合(戦闘)において、戦闘力(戦力)をいかに運用するかを決めることだ。ザッケローニ監督とスタッフの仕事は戦略の構築と、現場での適応と修正である。

 従って、監督の最初の仕事は、戦力を最大化する代表選抜を選ぶことである。今回のザックジャパンの選抜は、「高さを捨てた攻撃サッカー」をコンセプトにしたと報道されている。恐らく、試合において常に「主導権」を握り、攻撃中心の試合を展開してライバルに競り勝つ戦略を遂行するための選抜である。その結果、細貝や豊田などの高さのある選手を選抜せず、DFに吉田を中心とするなどの不安を残し、FWやMFに重点を置いた選抜となった。その象徴がJリーグでの活躍している大久保だ。サプライズ人事といわれているのは、大久保がザックジャパンで、1度しか、しかも40分しか起用されていないからだ。

 代表選抜で戦闘力は決まった。個々の身体能力と技術などの23人分の合計が戦力である。この戦略で、日本(FIFAランク47位)は、コートジボワール(同21位)、ギリシャ(同10位)、コロンビア(同5位)と戦う。FIFAランクは実際のゲームでは意味がないが、戦力の指標としてみると日本は勝てる余地はない、ということである。

04

戦略目標と勝敗を決する3要素

 ランク差がどれぐらいの戦力差に換算できるかはわからない。しかし、戦略家の通念では戦力差が、2倍までは十分に勝てる余地はあるが、3倍、4倍となっていくと、戦力を運用する戦略でいくら優れていても勝てない、となっている。

 この戦力差のうえで、リーグ戦を抜けるには、圧倒的な戦力差のあるコロンビアには引き分け、コートジボワール戦とギリシャ戦を1勝1分で決着。1勝2分で、コロンビアに次いで2位通過というのが妥当なところである。これを、リーグ戦の目標にし、その後は、「神風」の勢いに乗り、有力対戦相手であるイタリアを破って、ブラジルと戦うというシナリオである。

 戦いの勝敗とは、戦略と個々の戦闘における戦闘力の戦術的運用、観客や天候を含む諸条件、そして、偶然によって決まってくる(クラウゼヴイッツ)。FIFAランキングは、過去の戦闘力をランキングにしているに過ぎない。60%以上の確率を制する戦う条件や偶然が考慮されていないからである。日本は、戦闘力では圧倒的な劣位にある。個々の身体能力も劣る。対戦相手は、高い身体能力を持つアフリカのコートジボワール、円熟スキルがあり、身体能力も高いギリシャ、ブラジルにひけをとらないコロンビアである。

 明らかに戦闘能力で優位にあるこれらの相手に、日本が戦いをリードし、攻撃で勝つというのがザックジャパンのコンセプトである。どうやって勝つのか。これが考えどころであり、見所であり、戦略発想の鍛えどころである。

05

リーグ戦突破を見極める5つの戦略を見る眼

私は、戦争戦略の原則に従ってリーグ戦を勝ち抜く仮説的な戦略を考えてみた。勝敗を見極めるポイントは5つである。これらの観点から自分の戦略発想を検証してみようと思っている。

戦力の集中

 第1は集中である。すべての試合に全力を集中するのは、スポーツ精神としてはすばらしい。しかし、戦力の劣る日本が勝つには、限られた戦力を集中するしかない。具体的には、コロンビア戦を捨てて、コートジボワール戦とギリシャ戦へ戦力を集中するのだ。FIFAランキングの戦力比較で、もっとも近いのはコートジボワールである。リーグ戦では、このゲームにすべてのマインドやコンディションを調整し、戦力を投入して勝利を目指す。コートジボワールも日本と同じ条件なので、対戦相手の中でもっとも戦力の劣る日本にすべての戦力を集中してくるはずである。軍事的天才と呼ばれるナポレオンは、戦略の本質である集中について名言を残している。「軍学とは与えられた諸地点にどれぐらいの兵力を投入するかを計算することである」。この集中がよりよくできた方が勝つはずである。しかし、日本にとって幸運なことに、「化け物」と呼ばれ、超注意人物であるコートジボワールの中盤「ヤヤ・トゥーレ」が4月中旬に負傷し、代表への合流が遅れている。

主導による攻勢

 第2は、試合における主導権の獲得である。主導権とは、常にゲームを支配し、攻勢に立つことである。具体的には、ボール支配率であり、シュート数や先取点である。思いがけない先制点によって、守備の立て直しや焦りを導ければ、ゲームの主導権は握ることができる。このように、主導権を握ることは、勝利の必要条件ではないが、十分条件である。

 日本は、コートジボワールやギリシャには、身体能力で劣る。ここでいう基本的な身体能力とは、身長、体の強さ、走るスピード、ドリブルやパスなどのスキルなどである。他方で、小回り、走行可能距離、瞬発力、持久力、判断力は上まわれるはずである。相手よりも優位にある能力でいかにゲームの主導権を握れるかが勝敗の鍵を握る。選抜の特徴である「高さを捨てた攻撃サッカー」の戦力を生かすには、1点の失点を覚悟しながらも、攻撃の主導権を握り続けることである。

運動量による優位置

 第3は、相対優位の確保である。1人で3人と戦うとき、どうやって勝つか。走るなりして、3人を1人ずつに分断し、1対1の条件で3回続けて勝てばよい。つまり、個対個の戦いで優位にあれば、相手を分断、孤立させて勝つことができる。これは「個別撃破」の原則である。攻撃でも、守備でも、常に相手に対して「数的優位」つくり、背後をつく位置にいるなどの「スペース優位」を持てば必ず勝つことができる。そして、この数的優位やスペース優位を持続して確保するには、持久力を養って走りつづけたり、運動量で勝る忍耐力を形成したりすることが必要である。

12人目のプレイヤーの引き込み

第4は、観客を味方につけることである。ブラジル人にとって、コートジボワールやギリシャは人気のある国とは言えない。他方で、ブラジルには、約150万人の日系ブラジル人がいる。日本とブラジルには良好な外交関係もある。また、日本の多くのファンが、ブラジルを訪れ、現地で応援することが予想される。この利点を生かして、12人目の選手を獲得して、対戦相手に対して12人対11人の数的優位をつくることである。

世代間競争と組合せの妙

 第5は、新しい世代の精神的強さを引き出すことである。日本では、よくサッカー世代論が語られる。「黄金世代」、「谷間世代」、「新・黄金世代」、「プラチナ世代」などである。「団塊の世代」のように社会的な世代区分は、5年区分や10年区分が多いのに対し、サッカーはほぼ4年区分である。W杯やオリンピックが節目になる。4年ごとに選手強化が図られ、選抜される。同年代生まれの選手が、同じ試合を通じて同じ経験をし、人々の印象に残る試合をすることによってサッカー世代を形成する。

 今回の選抜を、生年でみてみると、最年長が1979年生まれの遠藤である。1982年生まれが、川島、今野、大久保の3人、1986年生まれが西川、長友、本田、岡崎の4人、1988年生まれが権田、吉田、香川の3人、1990年生まれが酒井高、酒井宏、山口、斉藤、大迫の5人である。

 これをサッカー世代でみてみると、小野伸二、高原直泰、稲本潤一などの1979年生まれを中心とする「黄金世代」に属するのは、遠藤ひとりである。続く、1981-84年生まれの「谷間世代」は、大久保、長谷部などの4人である。1985-1988年生まれの本田、香川などの「新・黄金世代」が9人である。そして、1989年以降生まれの柿谷などの残りの7人が「プラチナ世代」である。サッカー世代論からみると、2010年の南アが、谷間世代中心であったのに対し、今回は、谷間世代がベテランとなって、「新・黄金世代」が基軸になり、プラチナ世代が新人として次のW杯へつなぐことになる。サッカー世代論から見てうまい世代交代の時期である。
社会的世代論からみると、別の見え方がする。価値意識によって区分する社会世代区分では、サッカーの黄金世代は、団塊ジュニアに重なり、谷間世代はバブル後世代、新・黄金世代は少子化世代、プラチナ世代はゆとり世代になる。

 南アW杯は、バブル後世代が基軸になって、少子化世代が活躍するという世代構成だった。バブル崩壊後に価値観を形成し、就職難の経験を通じて、日本と自分の将来に不安を抱く世代が中核メンバーとなって戦った。若手の少子化世代は、一人っ子が大半で、両親、祖父母、学校や社会から大事に育てられながらも、就職難は当たり前で自分の実力で前向きに生きることを運命づけられた。バブル後世代とは対照的な楽観的な明るさと積極さを持っている。

 この対極的な価値観を持つ世代によって構成されているのが、今回と前回のW杯の共通の特徴である。常識的に考えれば、代表選手間の価値観が違うのだから組織をまとめるのは至難の業である。これをひとつの目標にまとめることが組織問題である。しかし、前回と今回で、違いもある。前回が、バブル後世代の持つ悲観的見通しとリスク回避的な態度や精神力が、世代構成からみてメインになるのに対し、今回は、少子化世代が基軸となり、楽観的で積極的な価値観が支配的になると予想される。前者の世代意識を代表するのが、大久保、長谷部であり、後者が本田、香川、長友などである。

 この対極的な世代の価値観がどう対立し、協調するのかが、精神諸力、チーム運営と組織力の見極めどころであり、勝負の見所である。ザックジャパンの攻撃サッカーのもと、本田、香川、長友が攻勢をかけ、大久保、長谷部が手綱をしめるようなうまい「組合せの妙」が生まれれば吉である。しかし、少子化世代が楽観論で暴走し、バブル後世代がリスク回避的に守勢に回るならば、組織は分断されることになる。ドイツW杯の二の舞である。世代論は、サッカーの組織性を見るうえで見逃せない。