眼のつけどころ

「復讐」の時代
-テレビドラマから時代を読む方法

2018.07 代表 松田久一

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なぜ復讐心は繰り返すのか-世代交代、歴史進歩と反動、そして感情

 理性的な合理性に重点を置く近代価値では、救われない感情が、復讐心を生んでいる。しかも、復讐心は、時代によって高揚したり、低下したりを繰り返す。反復して、繰り返すのには主にふたつの理由がある。

 ひとつは、世代交代と循環で説明できる。

 歴史は、世代交代による循環史観からみれば、4段階で変化していく。既成秩序のなかで、第1段階で新しい時代精神が形成され(精神覚醒)、第2段階で新しい理念が高揚し、内向する(高揚内向)、そして第3段階で新旧の対立が生じ、社会的な危機が生じ(現実危機)、最終段階で新しい制度が形成されて移行する(制度形成)(「世代論からみた「明治維新から2030年の未来」-循環史観で先読み」参照)。

 この4段階で定式化すると、第3段階で社会の亀裂と分断が生じ、復讐心の高揚が起こる。つまり、世代交代によって、20年単位で歴史が転換期を迎える際に、社会の分断と亀裂が生じる。そして、不条理が生まれ、復讐心が高揚するということである。やがて、それは新しい制度のなかで、抑圧あるいは救済されて、沈滞していく。 

 もうひとつの理由は、「歴史は繰り返す」(ヘーゲル「歴史哲学」)という法則を持っているからだ。さらに、マルクスは「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」)と付け加えた。

 ヘーゲルは、歴史が繰り返すのは、歴史が理念に向かって一方向に突き進むのに、現実にはそれを否定する反動が生まれる。しかし、歴史は、常に理念に向かって進むように軌道修正する。それが、歴史が繰り返す理由だと述べている。

 実際、モンテ・クリスト伯が書かれた時代は、人々が自由へと向かう共和制と、それへの反動として王政復古が繰り返されている。

ナポレオン3世
図表

 マルクスはナポレオン3世を、ナポレオン時代の喜劇的な再現とみた。市民革命の英雄であったナポレオンが、その革命理念を否定し、皇帝についたことを人々の「悲劇」とみたのに対し、「色男」と呼ばれたナポレオンの甥であるルイ・ナポレオンが皇帝へ即位することを喜劇とみた。歴史は、市民を主体とする近代的価値、自由への実現へと向かっているのに、その実現を期待されながら自らそれを否定する事態が再び起こったからである。軍事的天才であったナポレオンに対し、階級を超えて大衆的支持によって皇帝についたルイ・ナポレオンは、マルクスには喜劇にしか見えなかった。マルクスも、ヘーゲルと同じように、現実的な階級矛盾と闘争によって、歴史は「共産主義的自由」へと向かうと信じていたからだ。

 人間が、自由に向かって、理念や階級闘争を動因し、歴史が一定方向に「進歩」するとは思えない。従って、歴史が繰り返すのは、否定できないものを、現実が否定しようとする反動によって生まれると考えた方がよい。それは、一体、何なのか。答えは、人間を進化させてきた感情である。

 復讐心が高揚と低下を繰り返すのは、まず時代によって形成された世代交代がある。そして、進化的に否定できない感情の存在である。人間が、生存していく上で必要な形質として獲得した感情の存在である。

 復讐心の歴史を明治以降の歴史から概観してみると、繰り返されるのは前近代的な仇討ち理念ではなく、復讐心を生む感情の存在である。

 感情とは、人間が危機的な環境に適応するために基礎づけられたものであるからだろう。喜怒哀楽として表現される感情は、人間が逃げたり、戦ったりする、生き残り行動に必要な交感神経優位の引き金になる進化的な機能だ(戸田正直「感情-人を動かしている適応プログラム」)。

 生存競争のなかで、人間が肉食動物などと遭遇した際に、体は戦闘態勢に入らねばならない。その緊急対応のスイッチが、感情である。喜怒哀楽によって分泌される物質が神経及び筋肉を緊張または弛緩させる。この機能が、人間的な社会関係や倫理観にまで拡張されたのが復讐心だ。

 まとめると、世代交代によって、歴史は変わっていく。その中で、社会の分断と分裂の時期は、不条理な事態が生まれ、復讐心が高揚する。近代社会は、その復讐心を否定してきた。ところが、復讐心は人間が適応進化過程で獲得した感情を源泉とし、歴史貫通的なものである。

 従って、復讐心は、近代以降も、繰り返し高揚することになる。

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未来は感情の支配する前近代にもどって行くのか

 モンテ・クリスト伯が新聞に連載された1844-1846年は、フランス革命、ナポレオンのヨーロッパ戦争、王政復古と続き、フランス人同士が「血で血を洗う」戦いを繰り広げていた。そして、混乱を極め、クーデターによってナポレオン3世が皇帝の地位に就く1852年の少し前である。市民革命で達成された価値が、王政復古によって否定されようとしている時期であり、ナポレオンは悪の象徴であった。そして、デュマは42才の壮年成人期である。

 この時代は、フランス革命後の「革命と名望家の時代」(柴田三千雄)といわれる。「自由、平等、博愛」という近代理念と、「王権、身分制、紐帯」という「アンシャン・レジューム(旧体制)」、つまり前近代の価値とが激しく対立した時代である。

革命と名望家の時代
図表
レ・ミゼラブル
図表

 デュマと同世代で、しかも同年生まれにヴィクトル・ユーゴがいる。ユーゴは言うまでもなく、1862年に書かれた「レ・ミゼラブル」の作者である。この歴史舞台は、1813-1833年であり、市民革命の価値が否定される革命後の王政復古の時代である。「レ・ミゼラブル」は復讐の物語ではない。王政復古時代の不条理な苦難に遭遇する人々を描きながらも、空腹から1本のパンを盗み19年間も投獄された罪人のジャンバルジャンが、神父の深い慈悲を受け、貧しき人々を助け、非業の死を遂げた女性の娘を育てていく更生と、聖人へと至る物語である。前近代的な復讐を超克した物語である。銀の燭台のエピソードは、小学校の教科書にもなり、私も読んだ記憶がある。

 デュマが、この時代に巌窟な復讐心を持つ主人公を描いたのに対し、ユーゴは正反対に慈悲を通す人を主人公に選んだ。言い換えれば、2人の違いは、前近代と近代の価値の相克でもある。この相克は、ポストモダンの入り口にある現代にも引き継がれている。

 デュマは2002年、生誕200年を記念して、パリの「パンテオン」にフランスで6人目の作家として祀られた。これは大変に名誉なことだが、ユーゴから遅れること100年、当時のシラク大統領は、遅れた原因を「人種差別」にあると認めるコメントを発表している。未だにフランスでも、近代価値と前近代価値の対立と相克が続いている。

 21世紀のポストモダン(近代以後)社会は、近代的な価値では救いきれない復讐心などの感情がより強く支配する。この動きに拍車をかけているのは、逆説的な事態だが、生活への情報通信機器の浸透である。まさに、ネットのデジタル情報空間を支配しているのは、嫉妬、妬み、嫉みによる復讐心であり、感情の塊である。我々は、デジタル情報が溢れる環境で、皮肉なことにデジタル化情報では十分に捉えきれない感情の時代を迎えている。

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