眼のつけどころ

予測不能の時代をどう乗り切るか?
-2017年にひと言

2017.01 代表 松田久一

 「予測不能の時代」がやってきた。

 経営やマーケティングは、時間軸としての時代をどう捉え、断面として現在の業界環境下での機会と脅威を分別し、会社の強みや弱みを睨んで、現在の経営行動を決定することだ。簡単である。しかし、これは人口知能(AI)ではできない。システムであるAIは、目的自体を定義できないからである。経営やマーケティングは、時代を規定し、その時代に合わせて事業を再定義して、目的を設定することが、本質的課題である。そして、それが企業に長期的成功をもたらす。

 時代をどう読むかは、どう規定するか(肯定)、どういう時代ではないか(否定)、を明らかにすることである。時代を読む名人だったドラッカーは、四半世紀前の1996年当時を「乱気流の時代」と規定した。現在もそうだ。

 この年は、自社連立という「アクロバット」村山内閣から、「期待」の自民橋本内閣が誕生した年だ。アメリカでは、クリントンが再選された。

 1980年代は、日本が自動車、半導体やエレキなどのものづくりで世界市場を席巻する「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代であった。そして、「金融ビッグバン」の始まりであり、「日本的経営」の崩壊が始まる時代だった。終身雇用、年功序列、従業員主権などはもはや死語となった。

 それが完全に逆転、リードされ、離されたのが1990年代だった。「失われた20年」のきっかけを創った時代だ。1980年代は、アメリカの経済規模や人口などは日本の倍で考えればよい、と教えられた。しかし、現在ではGDPは3倍、人口も3倍である。中国も今や日本の2倍だ。

 ドラッカーが「乱気流の時代」と規定した期間に、日本は乱気流に呑み込まれ、アメリカは乱気流をうまく乗り切って、企業にとって「黄金の時代」になった。しかし一方で、中流層が崩壊し、1%の人々だけが富んで、99%が貧しい社会になるという代償を支払った。

 いまもまさに、1996年に優るとも劣らぬ激しい「乱気流の時代」である。

 どこに日米の差があったのか。