眼のつけどころ

三越伊勢丹の退任騒動の本質は何か?

2017.03 代表 松田久一

 2017年3月6日、三越伊勢丹ホールディングスの大西洋社長が3月末で辞任すると報道された。後任は、杉江俊彦専務が指名された。大西社長は、「死に体」であった百貨店を、「伊勢丹新宿本店メンズ館」によって蘇らせた功労者である。業界も私個人も大西社長への期待は大きかった。しかし、最終的に「百貨店」という「業態」を再生することはできなかった。それが辞任の本質的な理由である。

 一部では、お家騒動などに焦点を当てているが、企業トップの突然の退任劇や不自然な辞任発表は、経営危機のなかの生き残り路線の違いとして表面化する。お家騒動は表層であって、深部は生き残り戦略の違いである。

 もし経営責任を問われるとすれば、消費税増税および爆買い後の経営不振にある。特に、百貨店の出世コースといわれる婦人服売場の改装後の衣料品の販売不振、伊勢丹サローネなどの小型店の不振、非関連事業への多角化、ポイントカード制導入の不評などである。

 ひと言で言えば、これらの一連の対策では、三越伊勢丹ホールディングスの中核事業の百貨店をどうしたいのかがわからない。新しい戦略ビジョンを提示できなかったということだ。しかし、他に提示できた経営陣がいたとは思えない。

 百貨店という業態は、江戸時代の呉服商から脱皮し、大正時代に、欧米先進国の輸入業態として生まれた。世界で最初の「ライフスタイル別小売業」「業態店」である。業態とは、小売経営の基本となるターゲット、品揃え、価格、販売方法などの消費者起点のシステムのことである。その原点は、19世紀に勃興する中流層をターゲットに、総合的な部門別品揃えで業態を確立したフランスの「ギャラリー・ラファイエット」だろう。この業態が、日本では、日本的な顧客への「義」(ロイヤリティ精神)の接客が加わり、中流家庭向けの生活文化を提案する総合的品揃え、接客と部門別品揃えで独自に成立した。日本流の百貨店業態の創造の栄誉は、ロンドンの「ハロッズ」に学び、三越の創業に資した「日比翁助」に与えられるべきかと思う。大正時代である。

 この時期に、同時に、酒などの製造業の供給する製品を起点に、商店街立地に「業種別小売店」が生まれた。江戸時代に「棒っ手振り」と呼ばれた商人の売り歩きが、鉄道などが発達したターミナル駅に不特定多数をターゲットとする固定立地の小売店として定着した。つまり、百貨店と商店街に集積する小売店は、明治以降の近代化のなかで、製造―卸―小売の「三層」が分離して誕生した近代小売業の「双子」である。

 戦後の物不足時代になると、小売業は、多様な業界で成長した。業界横断的な百貨店業態も同様だ。1950年代半ばから1970年代のオイルショックまである。しかし、百貨店は、1970年代をピークとしてその後はGMS(総合スーパー)に、1980年代にはコンビニエンスストアなどの新しい業態に追い抜かれ、もはや小売業の主役ではなくなった。理由は、根本的には、存立基盤である郊外に持ち家を持つサラリーマンの中流層が減少したからである。百貨店は、日本社会の総中流化によって支えられてきた。その中流層の格差が進み、分解し、郊外ではGMSに、営業時間外の夜間はコンビニに顧客を奪われた。近年、成長しているEC市場も衰退要因としてあげられているが、百貨店への影響力は大きくない。中流層の減少と階層化が、百貨店業界を苦しめている主因だ。

 また、最近の20代にとっては、百貨店は買い物の場所ではなく、繁華街の待ち合わせ場所という認識だ。働く女性にとっては、地下の午後6時以降の特売の食品売場にしか興味はない。

 もはやすべての中流層に総合的な品揃えを提供する事自体、百貨店の業界人を支配する幻想に過ぎない。

 少し振り返ってみれば、百貨店生き残りは、中流層の拡大を基盤に、1970年代には「ヤング」(=団塊世代)を発見し、ジーンズなどのファッションで成長した。その立役者が三越の「岡田茂」であり、お家騒動の元祖である。そして、バブル経済、その崩壊と長い低迷を経て、伊勢丹新宿店が「ミドルメンズ」を発見し、「メンズファッション及び小物の総合的な品揃え」で成功した。そして、アベノミクスの資産効果で「中の上」の「高級品」が成長を牽引し、百貨店は「上層階」から業績がいいと言われた。さらに、中国人の「爆買い」へとシフトした。時代によって、新しい顧客層を発見し、品揃えを変えることによって生き残ってきたと言える。百貨店は「時流適応業」である。

 このような変化のなかで、大西社長がリードする経営陣は、百貨店をどう変えようとしたのか。

 先にあげた一連のアクションからみれば、「伊勢丹」の「社名ブランド」を全面に押し出し、衣料を基軸に展開し、非関連多角化で生き残ろうとしたと読める。特に、新宿伊勢丹の改装後にみられるのは、「伊勢丹」ブランドが個別ブランドよりも品揃えで優先され、個別ブランドが次にくる展開である。ファッション売場では、個別ブランドの面積が小さくなり、ブランド数が増え、家具売場では、ブランド別売場から品種別売場に変わった。そのためブランドで選びにくくなった。「伊勢丹」という社名ブランドに絶対的な自信を持つ戦略である。

 また、飽食時代にエンゲル係数が上昇する中で、成長する食品売場にまったく手を入れなかった。むしろ、催事は縮小傾向である。そして、都心攻略の決め手となったであろう「成城石井」の買収に失敗したのも痛い。また、独特の割引制のカードから一般的なポイント制への切り替えは、家電店のカードと変わらなくなり、多くの顧客に不評である。「年間100万円買えば10%引き」になり、もはや「特別な顧客」になれるという購入意欲を刺激するものではなくなった。

 このように大西経営陣の戦略はうまくいかなかった。百貨店という業態をどうするか、という本質的課題には手をつけず、次々と打つ手が裏目にでた。そして、増税後の消費不振の影響が経営実績に如実に表れ始めた。

 それではどうすればよかったのか。私見では、ふたつの選択肢があったように思う。

 ひとつは、1日8万人という集客力と川越から横浜までの広い首都圏の西方商圏立地を生かして、中流層ではなく、顧客を絞り込んで「中の上」をターゲティングする「高級総合品揃え接客業」へ転換することだ。アベノミクス以後の資産効果による「中の上」層へのシフトは十分に可能であった。そのためには、消費文化の異なる「爆買い」シフトはすべきではなかった。

 もうひとつは、成長する食品へのシフトである。「クイーンズ伊勢丹」では飽き足らない顧客向けの食材を発掘し、メンズ館のような「食品館」型の展開である。「都市型食品専門百貨店」と言ってもいい。メンズ館の強みは、他の百貨店が1~2名程度のバイヤーしかいないのに対し、30数名と言われるほどの体制で品揃えを充実させているところだ。メンズファッション誌の編集部より体制が充実しているので、品揃えがまったく違う。同様のことを食品でも、やれたはずである。

 ふだんよく利用する顧客として、三越伊勢丹には、次の経営体制で、もっとも困難な新しい百貨店への転換、という本質的な課題に愚直に取り組むべきだと進言したい。そして、「豊かな消費社会」後の「生きがい」を提供する業態へと転換してもらいたい。江戸時代のファッションをリードした伊勢丹創業者の小菅丹治と、三井呉服店を三越に脱皮させた日比翁助のDNAは、継承されているはずである。


(尚、この見解は個人の意見であり、会社を代表するものではないことをお断りしておく。
参考:松田久一著「比較ケースで学ぶ戦略経営」KADOKAWA中経出版)