眼のつけどころ

「真実」を越える消費者行動分析

2017.04 代表 松田久一

意志決定に根拠を与えるリサーチ

 どうしたら現代の消費者行動を理解できるか?特に、「真実性」が相対化している時代には極めて難しい。求められているのは、多様化し、矛盾するデータを統合して、単なる真実を超える「ほんたうのほんたう」(宮沢賢治)である。

 マーケティングは、消費者ニーズを満たすことを通じて、対価を得るビジネスだ。極端な販売の解釈だが、売ること自体を目的とする販売とは、そこが違う。そのため、消費者ニーズとそのニーズを満たすための消費者行動の分析からマーケティング政策は立案される。

 入門層にとって、マーケティングとはデータを集めることであったり、リサーチをしたりすることのように理解されがちだ。しかし、これは明らかに誤解である。

 制度経済学の重鎮だった故J.K.ガルブレイスも、同じような誤解をした。企業が、マーケティングリサーチによって消費者行動を捉え、宣伝や広告によって、人々の欲望を生みだし得ると解釈した。ガルブレイスは、これを「依存効果」と呼び、「市場の内部化」と理解し、「新しい産業国家」の歴史段階と解釈した。

 つまり、消費者サイドの需要と供給サイドの供給が、市場価格によって調整されるのではなく、市場メカニズムが、企業内部のマーケティング組織に組み込まれて供給サイドに取り込まれ、資本主義を超えたという理解である。しかし、実際はどんな寡占市場でも、需要を100%の確実性のもとでコントロールすることは不可能だ。

リサーチで消費者行動をとらえることの難しさ

 マーケティングの意思決定は、理念としてリサーチにもとづいて行われるべきであるが、実際に消費者行動をデータでとらえることは極めて難しい。

 リサーチにもとづく意思決定が難しい根拠は、ふたつある。ひとつは、データから意志決定はできない、という経験にもとづく。何かを意思決定する際に、オプションごとにコストベネフィット分析を行って、オプションの評価を計量化でき、優先順位が明らかになったとする。それに従って戦略的な意思決定ができるかというと、そう簡単にはできない。理由は、「コストベネフィット分析」という分析枠組み自体を疑う判断力を人間は持っているからである。また、リサーチが明らかにできるのは、生活者である消費者の一面にしか過ぎないからである。単純なデータでは簡単には決定できない。

 もうひとつは、消費者ニーズや行動は、そう簡単には捉えられないということだ。

 例えば、ニーズという概念自体が明確に定義できない。消費者の「何かが足りない」という欠乏意識がニーズである。英語では、needと単数表記になり、wantsの複数表記の組み合わせで使用される。これを日本語訳では、「ニーズ(need)と欲求(wants)」などと訳されていることが多い。他方で、A.マズローの「欲求段階説」と呼ばれる「自己実現欲求」などの「欲求」用語の原語は、needsである。さらに、英語では、desire、日本語には、欲望、願望などの用語がある。この用語は、フロイトの精神分析用語に関連づけられている。

 つまり、消費者ニーズを捉えるための基礎概念自体が揺れている。これは消費者行動論でも同じである。個人的には、精神分析的に基礎づいた自我の不安による他者欲望が転化して、製品へのニーズや欲求を生むと考えておくのが精神分析や現代哲学と整合的であると解釈している。

 例えば、自動車のニーズを考える際に、製品の属性や機能への期待や評価といった項目へ、いきなりブレイクダウンして概念操作するのではなく、まず他者への模倣欲望を捉えるべきだということだ。

 このように、リサーチは利用できる概念によってまったく違うものになり、データを集めて、ファインディング(事実確定)すれば意志決定できるなどというのは「神話」に過ぎない。

 マーケティングが実践学でありながら科学を標榜する限りは、消費者行動分析にもとづいて意志決定されるべきである。しかし、実際は選択された理論枠組みを用い、一定の根拠を与えるに過ぎない。経営者やマーケターの判断は、実際にはデータから導き出される「事実」、「解釈」や「推論」によって根拠づけられる。換言すれば、企業理念にもとづく、意志決定に根拠を与える「事実」、「ひらめき」や「ストーリー」である。そのため、一部の経営者が主張する「リサーチなどは不要」という主張も「相対的」には正しい。

古典的な消費者行動とリサーチ体系

 それではどんなリサーチがマーケティングの意志決定に役立つのだろうか。私の信念は、消費者行動分析の単なる真実ではない「ほんたうのほんたう」の追求である。

 実際には、現代に通用する消費者行動やマーケティングリサーチのいい教科書がないのが実情だ。 

 例えば、消費者行動では、R.D.ブラックウェルなどの「Consumer Behavior」(1968年初版)が定番であり、単純な調査体系ではない意志決定に資することを目的に書かれた最初のテキストが、D.A.アーカーとG.S.デイの「Marketing Research」(1980年初版)が基本だった。昔は、このふたつのマスターレベルのテキストをベースに、版の改定と「Journal of Marketing Research」等の研究誌を読んでおけば十分だった。

 実務でも、消費者行動のプロセスモデルをベースに、リサーチを企画し、意志決定に役立つように報告書を編集していた。

 しかし、これらは「古典」としての意味は持つが、内容は古くなってしまった。もはや消費者行動を、古典的な手法だけでは捉えられなくなってしまった。従って、マーケティング政策の基本的な意思決定である、どんな製品サービスを提供するか、どんな価格で提供するか、どんなプロモーションで説得するか、どんなチャネルで販売するか、などの課題に役立つことは難しくなった。

 それは三つの理由からである。

古典的な体系ではネットとリアルの融合行動が捉えられない

 ひとつめは、消費者行動がネットベースに変わってしまったからだ。

 日本などの先進国の消費者で、スマホや携帯を日常生活に利用せず、インターネットも利用しない人は、高齢者やネット嫌いの人々を除いてほとんどいない。ネット世界とリアル世界を往来し、多種多様な情報に基づいて私たちは行動している。しかし、テキストではリアル世界しか想定していない。

 具体的には、次のようなモデルが想定される。製品への欠乏が生まれ(ニーズ)、情報探索が行われ、選択候補が絞られ、製品属性が比較評価されて、態度が形成される。そして、製品が選ばれる。単純に、製品の認知(A)、記憶(M)、試用(T)、使用(U)、愛用(L)と捉えるプロセスモデルと同じである。そして、この基本プロセスに、消費者のデモグラフィック属性、価値観やライフスタイルが影響を与える。

 多かれ少なかれ、このようなモデルが描かれている。ここでネット世界は、情報検索や認知ソースに加えられるだけだ。しかし、ネット世界が購買プロセスのあらゆる局面に浸透してきている。実際は、ネット世界や、リアル世界をブラブラして、リアル店舗で衝動買いしたり、ネットで買ったりである。これでは、実際の行動とデータが合わない。データは、何らかの理論や概念枠組みにもとづいて収集される。従って、サングラスをかけて行動をみているようなものだ。サングラスの色が変われば、見える世界の色は違う。これまでのサングラスでは、もはやネットベースの消費者行動は捉えられない。

消費者行動分析のデータの多様化とベイジアンテクノロジー

 ふたつ目は、データが質的に多様化、量的に巨大化し、異端だった「ベイズ統計学」が主流になってきたことだ。マーケティングリサーチの基本は、等確率抽出によるサンプリング調査を用いた量的分析と、異質性の原理でリクルートされた小集団のインタビューによる言葉の分析である。

 しかし、データ収集と分析を取り巻く環境は大きく変わった。

 「大規模な量、変化速度、質的多様性」の三つの特徴を持つ「ビッグデータ」を所有する企業は増えた。POSデータによる「死に筋」カットなどの利用はよく知られていたが、ビッグデータは質の異なるデータである。また、政府は、その販売も認可しようとしている。こうしたビッグデータの分析は、多数のコンピュータによる分散処理システムを利用した「関連性」分析に限られる。また、「家計調査」などの政府関連の統計の公開が進み、より利用しやすくなった。

 正統なフィッシャー統計学に代わり、ベイズ統計が分析と統計的記述の主役に躍り出た。

 そもそも政府の統計調査以外は、等確率抽出によるサンプリングができなくなった。日本では、住民基本台帳が整備され、この台帳をもとに等確率抽出を保証する手続きが可能だった。世界中でこのような厳格なサンプリングが民間企業でも可能な国は日本だけだった。しかし、個人情報保護意識の強まりによって、法改正が行われ、民間企業はできなくなった。そのため、母集団の平均などの母数の推定は、これまでの厳格で「正統」な「フィッシャー統計」では推定できなくなった。

 さらに、政府系以外の伝統的なパネル調査の結果を評価するのも難しくなった。法制上、民間企業では等確率抽出が困難になり、代案として母集団を定義し、国勢調査結果などからエリアをサンプリングして、該当エリアの住宅マップからサンプルの等確率抽出を行う方法もある。しかし、コスト高になり、現実的に難しい。単身世帯の増加で、不在率が高まり、入館が難しい高層マンション居住者が10%を越える。

 そこで、気軽なインターネットリサーチで、「クオータ(割り当て)サンプリング」や「サンプル補正」等が行われ、便宜的に利用されるようになった。しかし、このデータを利用して、平均や比率の推定をすることは正統な統計学では、本当は意味がない。

 他方で、理論的には19世紀から知られていたベイズ統計学が、コンピュータの発達によって理論から現実的に利用できるようになってきた。マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツは、これを21世紀に革命的イノベーションを起こす「ベイジアンテクノロジー」と呼んでいる。

 ベイズ統計を説明することは簡単ではない。これまでの統計と比べて異なる点は、平均などの母数を直接推定し、「母数の平均」や「分位点」で集団の統計的記述をするということである。因みに、「母数の平均」などという表現は、正統な統計学ではあり得ない。

 ベイズ推定は、知りたい事後分布(客観分布)はデータの尤度、事前分布(主観分布)と規格化条件によって決まる、という「ベイズの定理」を利用し、コンピュータとフリーソフトによって可能となったMCMC(マルコフ連鎖モンテカルロシミュレーション)手法で推定する手法である。

 東京都居住の男女個人を母集団とし、たまたま調査した(任意)50人の政府の支持率が50%であったとき、この結果は正統な統計学では何の意味もない。テレビ番組で行われる100人に聞きました、というような「調査もどき」である。

 しかし、ベイズ統計では、一定の意味を持つことになる。ベイズの定理にもとづいて、二項分布を事前分布と仮定し、50%が出現する確率を5万回ほどシミュレーションして、事前分布を次々と更新し、「確信区間」を推定できる。もちろん、結果は確信区間が広すぎて使いものにならないのだが、どの程度正規かが、仮定を置くことによってわかることになる。

 母集団の「ひとつの母数」を「大数の法則」や「中心極限定理」を利用して、等確率抽出によるサンプリング調査で得た標本の「標本平均」を推定したり、検定したりする伝統的統計学とは大きく違う。

 現在は、迷惑メールのフィルター、関連推奨、AIなどの分野に利用され、フリーソフトの「R」や「Stan」などを利用した統計分析や統計記述の世界にも浸透している。伝統的な有料ソフトウェアの時代は終わりつつある。

 言葉の分析を基軸とする質的調査の代表格であるグループインタビューなども、精神分析をベースにした個人インタビューや実際に家に訪問してフィールドワークする文化人類学的手法へと多様化している。日本では、文化人類学は馴染みが薄いが、アメリカのリサーチでは文化人類学者が主体となる「異文化理解」としてのインタビューが常識化している。

 データ収集方法も変わってきている。Webなどのアクセスデータが収集できるようになり、アクセスログが収集できるようになった。政府や民間企業によって定期更新される経済データなどは、「スクレイピング」や「クローラ-」で自動化できるようになった。ブログの書き込みも、こうした手法でデータ収集し、テキストマイニングを行えるようになった。これらの領域は、まだまだマーケティングの意志決定には未利用であるが、可能性を秘めている。

 このようにマーケティングリサーチの定番であった質的および量的調査の体系は、完全に崩れたと言っても過言ではない。そして、それが統合されないままに異なるデータが意志決定者の周りを飛び交っている。リサーチャー、マーケティング意志決定者、IT技術者、外部機関などの連携も不可能なのが実態だ。

方法論的個人主義への懐疑と新たな挑戦

 三つ目は、リサーチを支配する「方法論的個人主義」のパラダイム(共同規範)が、もはや限界にきている。この方法論は「個人の意識の合計が対象集団の意識になる」という前提である。換言すれば、「個人の意識や行動は他者の影響を受けない」ということだ。

 これは、現実には、あり得ない前提である。文具好きの筆者は、戦後詩人を代表する「田村隆一」が使っていた万年筆というブログを読むと、すぐ買いに行くたちである。そもそも欲望とは、このような模倣から生まれる、というのが精神分析および哲学的な見地である。消費者ニーズとは、何かが足りないという欠乏意識である。そして、前述したように、欠乏を生むのは他者への模倣欲望であると解釈することが合理的である。

 方法論的個人主義を乗り越える方法はふたつある。ひとつは、方法論的個人主義を想定しない数理モデルを使用してシミュレーションを行うことである。

 例えば、2年ほど前に、アメリカで大きな話題になった「ヒップスター効果」の分析がある。「ヒップスター」とは、長い髭などを特徴するファッションスタイルのことだが、このようなファッションが広がる理由をフランスの数学者が解明したというものだ。アメリカでは10以上メディアが紹介したが、科学への関心が低い日本のメディアではまったく紹介されなかった。

 これに使われたのが、方法論的個人主義を前提にしない、個人が相互依存関係にあるモデルを用いた数理シミュレーションである。結論は、「個人が他者との差異化を追求すればするほど、他者と同質的なスタイルが生まれる」というものだった。これは、モデルを構築し、そのシミュレーションが現実との整合性を持てば、モデルの正当性を認めるというものだ。また、消費者間が製品購入に関し、ゲーム理論的な「戦略的な依存関係」にある場合には、同調圧力が強くて、お互いが買わない戦略が均衡になることを簡単なゲーム理論で明らかにした(「『嫌消費』世代の研究」、東洋経済新報社)。

 もうひとつは、方法論的な個人主義を生理反応レベルで実証することである。MRI(磁気共鳴)データなどで脳の血流から反応部位を特定する方法である。例えば、MRI装置内で、ソフトドリンクのロゴマークをみせると、脳の報酬系部位が活性化し、ドーパミン分泌されたかどうかを確認する実験ができる。このような実験で、ロゴマークの認知が、快楽をもたらすドーパミンの分泌に影響があると実証されれば、被験者はロゴマークに反応して、そのソフトドリンクを購入すると十分に予想できる。これは、「古典的な条件づけ」や「オペラント条件づけ」が成功したとみることができる。その手段が、テレビCMなどの反復視聴などのプロモーション手法であると特定できれば、「パブロフの犬」のように、本人の合理的意思の説得ではなく、脳に直接アプローチできる。このような関係は、ビール市場で一定の関連性があることが確認された。しかし、売り手がコントロールできるほどのものではない(「『買わない』理由、『買われる』方法」、朝日新聞出版)。

 この方法も、MRIという医療装置の利用によって、方法論的個人主義を越えて、学習理論による消費者行動理解をすすめるアプローチである。

消費者行動分析をマーケティング意志決定に結びつけるのは「私」

 消費者行動分析のためのデータや分析方法は、大きく変化している。五つほどのメインの調査手法に加えて、六つほどの新たなデータと手法に拡大している(図表)。

図表

 問題は、このように拡大したデータや分析手法による消費行動分析を、どう意志決定に結びつけるかである。そのためには、一面的な事実ではなく、多面的な事実を明らかにし、相対主義的な真実性ではなく、絶対主義的な「ほんたうのほんたう」にどう到達できるかである。あれも、これも本当では、決定などできない。信念のある決定には、絶対的な確信が必要である。「マーケティング意思決定システム(MDSS)」を構築し、それにもとづいて決定できる教科書的な組織をつくるよりも、消費者行動の本質を理解しようとする意識を醸成した方がよい。リサーチの世界は、リアルな世界とは異なる箱庭的な真理を求めがちになるからである。

 さて、最後に現代の消費者行動を理解し、実際の意思決定に役立つための要点をいくつか整理したい。

 ひとつめは、リアルとネットの融合がすすむ消費者行動を捉えるためには、伝統的な方法に依存するのではなく、「訪問インタビュー」での行動のディテール、ネットのアクセスログ解析やネットワークの分析などのより多面的なリサーチが必要である。ひとりの消費者が特定市場の特定ブランドを購入するに至る経路を徹底的に捉え、どう接点を再構築していくかである。認知、評価、態度、購入などの購買プロセスモデルにとらわれていては何も「出てこない」。

 ふたつめは、量的調査に行動分析は意思決定に根拠を与える上で説得力がある。しかし、現状のサンプリング環境では、サンプル補正やベイズ統計の利用が不可欠になる。経営者はベイズ統計を理解する必要はないが、より説得力のある単純なデータの見せ方ができるようになる。「背理法」的な論理は必要なくなる。

 現実には、もはや民間企業でサンプリングすることは不可能である。従って、統計的には根拠なき、安価なインターネットリサーチに依存することになる。伝統的なパネル調査も世代交代が進むと入れ替えも難しくなる。そのため、公開されない質問紙作成技術、サンプル補正技術やベイズ統計の未確立な利用技術を蓄積すべきである。恐らく、ベイズ統計が生かせる「探索的なマス調査」が大きな意味を持つようになると予測できる。

 三つ目は、より学際的アプローチが必要である。現代の消費者は、検定などのフィッシャー統計、多変量解析、伝統的なグループインタビュー手法などの主に「調査屋」的なスキルでは捉えられるものではない。本格的な精神分析、文化人類学、脳科学、進化心理学、ベイズ統計、ITテクノロジーや数理シミュレーションの知識が必要になる。こうした学際的な知識に加えて、意思決定に精通していなければならない。様々な専門性を横断的に統合できるゼネラリスト性が両立できるスタッフや組織が必要である。

 最後に、持論をひとつ。現代の消費者を理解する最大の鍵は、「いま(現在性)」「ここ(場所性)」に生きる「私」にあるということである。この「実存」を通じてしかデータは「真実」を語らない。データの解釈が「腑に落ちて」こそ、意思決定ができる。つまり、解釈者は、「生活者」でなければならないということである。