世代論からみた「明治維新から2030年の未来」
― 循環史観で先読み

第2回 日本をつくりあげた世代

2013.12 代表 松田久一

「20年ごとの世代配列が時代を生み、歴史サイクルは80年でひとまわりする」――20年後はどのような世代が活躍し、どのような時代になっているだろうか。明治維新から現代までの系譜を分析し、循環史観で次世代のヴィジョンを先読みする。

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 世代循環による歴史循環史観によって、日本の明治以降の近代化を分析してみる。日本の「未来の過去」はどこにあるのか、そして、それはどんな時代と時期であるかを探っていきたい。

 日本は、長い歴史と独自の文化、文明を持つ国である。歴史家のA・トインビーや『文明の衝突』で知られるS・ハンチントンでさえ、極東の小さな国である日本を、独自の技術と文化をもった文明と認めている。

 地球を生態的な視点からみれば、日本は、ユーラシア大陸の東に位置する島々からなる火山列島である。ユーラシアで生まれたメソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明からは取り残された地域であり、ユーラシアのパワーに圧倒されてきた。それが、イギリスやヨーロッパに封建社会が成立し、日本にはヨーロッパに「相似」する江戸社会が誕生した。イギリスでは封建社会が、日本では江戸社会が、それぞれの道は異なるが独自の近代化、市場経済への道を辿った。近代化への平行進化であり、「ふたつの道」(川勝平太)である。

 日本の近代化、経済の市場化は、その多くをイギリスなどの欧米先進国から学んだ。したがって、欧米基準で、政治、経済、社会を比較しがちである。その結果、江戸社会に対する評価は、近代化遅滞の原因にもなった閉鎖的な「鎖国社会」であり、明治維新も、イギリスやフランスの市民革命に比べて、「不徹底なもの」と言われてきた。たしかに江戸は、欧米に比べて、科学技術や産業力、軍事力で遅れをとっていたし、対内的にも、経済社会の発展によって豊かな町人層が出現し、幕藩体制下での米本位制などの経済的矛盾が噴出していた。しかし、この解決策として日本が目指したのが、明治維新を契機とする急激な欧米を範とする近代化である。日本の近代化は江戸社会から進むことになったのだ。

 そして実際に、江戸社会は日本の近代化の母体であり、自然との循環経済システム、人々の間の互助システム、寺子屋などの教育システム、老人の役割など、学ぶべきものを多く持つ社会となっている。

 この近代化を成し遂げた世代が、江戸後期、実際には1771年生まれを起点とする10の世代である。

 大衆的な世代が成立するには、教育制度、労働市場の成立、マスメディアの発達などが必要である。これらの条件がないと、同年代生まれが、共通体験をし、共通の価値観を形成する世代状態が生まれ、世代連携による世代現象が社会的に出現するような事態は生まれない。これらの条件は、江戸時代には、武士層には整っていたと思われるが、人口の90%以上を占める農民や町民にはなかった。したがって、ほとんどすべての人々を巻き込む経済の世代分析には、近代化の契機になった明治維新、そして、それを準備した江戸後期、特に、町人層にも寺子屋などが普及した時期から、世代区分を始めるのが合理的である。

 他方で、ディルタイやオルテガなどは、世代分析を、先の条件を満たしていないギリシャ・ローマ文明からはじめている。これが可能なのは、思想や宗教といった文化を対象とし、後世に作品や文章を残した特定の知識人を対象にした世代論だからである。

 1781~2000年までの約220年の間には、11の世代が存在する。11世代の区分は、ライフサイクルの局面の長さである20年を基準とし、社会的な歴史的な節目となる事件や期間を考慮し、区分したものである(図表4)。以下で、それぞれの世代について見ていこう。